2010年11月15日(月)
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ぼくは、かけるところの多い人間だが、その傾向が最も強いもののひとつに「自分の直接関わりのないことに関して、熱意を持って論評する」という能力がある。
具体的には、たとえば政治だ。いやわかっている。政治はぼくに「関わりのない」ことじゃない、ってね。でもぼくが政治のプロじゃないことは確かだ。そういう意味だ。わかるだろう?だからこの線で話を進めさせてもらおう。
で、要するに自分に専門性のないことがらに対してあれこれいうことを、うとましいと思ってしまうのだ。なんだろうこれは。
こまったことに、いってしまえば「よく知りもしないこと」に関していっちょまえの口をきくことが、世間ではある種「大人のたしなみ」として求められているように思うのだ。
尖閣島問題についてどう思う?日中関係に関しては?うん、とくになにも。あれはプロ(政治家)に任せてるから。というわけにはいかないのだ。大人たるもの。難儀なことだ。なんのために我々は専門性を分業しているのか。
世の中にはそういう熱意を持って専門外のことを論評するのが上手な人たちがいて、彼我の差はどこから生まれるのだろう、と不思議だったが、先日あれが原因なのではないかというものを見つけた。
野球だ。プロ野球。
ぼくは生まれてこの方まったくプロ野球に興味がない。これが原因だ。どういうことかというと、プロ野球ファンって、「俺が監督だったら〜」とか「あの采配はないよなー」とかよく言う。あれ、ものすごく政治家に対する「あれはないよね」に似ている。
ぼくからすると「いや、いろいろあってああなったんじゃないの」と思うのだが、プロ野球ファンがプロ野球ファンたるゆえんは、こういう「専門外のことに関していろいろくさす」ことを楽しめる点にあるようだ。思い出すと、中学生のプロ野球ファンの同級生はすでにいっちょまえの口をきいていた。
さらに言うなら、これは野球だけでなくあらゆるスポーツ観戦趣味全般に関していえることかもしれない。
「いっちょまえの口を聞けるようになるための訓練」としてのスポーツ観戦趣味。スポーツ選手が引退後政治家になるのも、そういうことなのかもしれない。
(総裁談)
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