2008年09月30日(火)
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10/2と6と、イベント出演します。平日ですが、ぜひ。→
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学校の歴史の授業はたいてい明治時代ぐらいで終わってしまう。昭和史なんかほとんど時間を割かれなかった。
考えてみれば、歴史というものは最近のもののほうが情報量が多いはず。戦後の歴史なんて時間的に見れば歴史として取り扱うなかではほんの短い期間だが、その情報量たるやそれ以前の時代すべてを合わせたよりも多いんじゃないかと思う。
最近のことは記録としてまだよく残っている、ということと、記録する手段がすごく増えた、ってことの両方によるんだと思う。
さらに記録する手段が増えると、歴史情報の定義そのものがあらためて問われることになるのではないか。だって、記録できるものが限られていた時代には、そりゃあ政治とか経済とかが優先されるだろうけど、そうじゃなくなるとあらゆることが記録されちゃう。そうなったとき「どういう情報を歴史の授業で教えるか」が難しくなるんじゃないか。
だってたとえば「徒然草」なんて、情報量全体が少ないから残っただけとしか思えない。あれ、今にしてみりゃクオリティ的にはただの日記ブログだよね。しかもつまんない。あれを今後も授業で取り上げるのなら、ゆくゆくはこの「カモだより」もとりあげるべきだ。いや、すまん。ずいぶん大きいこと言った。
昭和史はまだいい。平成の歴史に関して、100年後の歴史の教科書作る人は、膨大な書籍だけでなく、スポーツ新聞やはては個人サイトや掲示板までありとあらゆる情報を相手にどうするんだろう。「瀬戸内寂聴がケータイ小説書いてた」とかもちゃんと教えるんだろうか。
たぶんどうしようもないので、歴史の授業は未来永劫、明治時代で終わりにするんだと思う。
(総裁談) | | |