2007年02月28日(水) 
 
全然関係のない2つの言葉を「だけに」でつなぐと、落語の大オチになる。

「団地だけに水くさい」
「まんじゅうだけに六つです」

とか。なにが「だけに」なのかはどうでもいい。ゆっくりと滑舌よく言うだけでなにか意味がありそうに聞こえる。

あと、同じ言葉を「で」でつないで、後ろのほうをカタカナにするとAERAのダジャレになる。

「団地で、ダンチー」
「まんじゅうで、マンジューウ?」

てきとうにのばしたり、最後に疑問符をいれたりするとよい。

あと友人からきのうのカモだよりの「悪いということを分かっていてあえて事を行うこと/人」のことは「犯罪者」でいいんじゃないか、と指摘された。

そのとおりだ、友よ。

(総裁談)
 
 

2007年02月27日(火) 
 
問題点をあげつらうばかりで解決案を示さない人は嫌われる、という。

ところで、悪いということを分かっていてあえて事を行うこと/人を「確信犯」と言うのは誤用だ。先日、誤用と知りつつ(確信犯的に)このような意味で使ったところ「ほんとうはそういう意味じゃないんだよね」としたり顔で注意された。むかつく。

だいたい「確信犯」の正しい意味である「宗教的あるいは政治的な確信に基づいてなされる犯罪のこと」って、そんな犯罪は誤用であるところの「悪いということを分かっていてあえて事を行うこと/人」に比べたら少数じゃないか。言葉がもったいないからそろそろ譲ったらよいと思う。1年ぐらい移行期間を設けて2008年には現在の誤用の意味を正式なものにすべきだ。

これを誤用だと言う人は、じゃあ「悪いということを分かっていてあえて事を行うこと/人」のことはなんて言うべきか解決案を示すべきだと思う。

(総裁談)
 
 

2007年02月25日(日) 
塩の山300
工場ナイトの準備でとあるコンビナートへ取材に行ってきました。これは原料ヤードにいた塩の山。グレイト。

(総裁談)
 
 

2007年02月23日(金) 
 
ひややっこに興味がない。

あと、おでんにもあまり興味がない。これらの食物は多くの人が好むところのもので、ぼくがこう言うと「信じられない」という。どうやらひややっことかおでんをとりたてて好きではない人は人でなしであるようだ。くやしい。だってさ、そんなにおいしいか、ひややっことかおでんって。

こどものころは、大人になったらこれらのものが好きになるんだろうな、と思っていたがいまだに興味が持てない。見積りが間違っていたのか、まだ大人じゃないのか。

同様に、ゴルフも大人になったらいつかやるようになるんじゃないかと思っていたが、その気配はない。でもこれはそんなにくやしくない。

あと、いつか水が張られているところに意味無くコインを投げ込むようになるのかもしれないと思ったこともあったが、これもその気配はない。これは全くくやしくない。ていうか、なんでみなんな噴水とかちょっとした池とかにコイン投げ込むんだ。おでんよりわけわからんよ。

(総裁談)
 
 

2007年02月21日(水) 
 
ニュージーランドでは人間の数より羊の数のほうが多い、という。観光案内などでよく目にするコピーのひとつだ。

でも、それってそんなにすごいことか。日本だってたとえば人間の数より蟻の数のほうが多いだろう。たぶん。知らんけど。

なんなら「人間の数よりビフィズス菌の数のほうが多い」でもいい。なんか健康的だし。

(総裁談)
 
 

2007年02月16日(金) 
 
節分の日に、やおら太巻きを丸かじりする「恵方巻き」。もともと関西の風習だが、ここ数年関東でもはやっているようだ。

思うに、あれは太巻きが好きでしょうがない人がおもわず丸ごとかぶりついたさいに、その行儀の悪さをとがめられ、とっさに「いや、こうすると縁起がいいんだよ」とか言い訳したことから始まったのではないかと思う。

ーーー

いよいよ本日16日は「ダム祭2」の日です。ぜひお越しください。

あと、デイリーポータルZに「クリスト建築を鑑賞する」という記事を書きましたよ。

(総裁談)
 
 

2007年02月14日(水) 
 
階段で女の子とぶつかって、体が入れ替わっちゃう。少年の永遠のファンタジーだ。

しかし、入れ替わったあの子の体で何をしようか、むふふ。と思うのは若い証拠だ。30過ぎると向こうに行ってしまった自分の体が気になる。胃腸の調子とか、加齢臭は大丈夫だろうか、とか。自分の胸に出現したおっぱいなんてどうでもいい。大丈夫だろうか、ぼくの体。

大人になる、というのはこういうことだと思う。

(総裁談)
 
 

2007年02月11日(日) 

2/16にぼくも出演する「ダム祭2」の準備のため、主催者である「ダムサイト」の萩原さんとダムをめぐってきました。

やっぱりダムはいい。

続きは「ダム祭2」で。みなさまぜひお越しください。

(総裁談)
 
 

2007年02月08日(木) 
 
大臣が「子どもを産む機械」と言ったことが話題を呼んでいるが、矢継ぎ早に人間のあらゆることを機械にたとえればよいと思う。

「だらだらと会議をする機械」
「見積をする機械」
「2度寝をする機械」
「闘争機械」(*)
「納豆を買いだめしてた機械」

そして「失言する機械」。

「団地を見る機械」と言われたらどうだろうか。「子どもを生めない機械」と言われたら。



えーと、なんかエスプリの利いた社会派コラムみたいになりそうなのでここらへんで。

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*「子どもを産む機械」と言ったのが哲学者がだったらそんなに取りざたされなかったんだろうな、と思う。
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(総裁談)
 
 

2007年02月05日(月) 
 
「ツッパリ」という言葉がある。いわゆる「不良少年」といったあたりの意味だ。両方とも古い言葉だ。今はもう使わないだろう。

よく考えてみたら「ツッパリ」とは奇妙な言い方だ。なぜこんな呼び方になったのか。「つっぱる」とは言い換えればおそらく「たてつく」ということであり、要するに「ほっといたら流されてしまうところをあえて抵抗する」という意味なのだと思う。

しかし、「ツッパリ」と呼ばれていた人たちを見て思うのは、彼らはむしろ流されてそっち方向に行ってしまったのではないか、ということだ。真の意味であえて抵抗してがんばった人たちは「ツッパリ」とは正反対の方向へ行っているはずだと思う。

遊びたいのを我慢して一生懸命勉強して官僚や弁護士になった人たちこそ「ツッパリ」と呼んであげたい。

(総裁談)
 
 

2007年02月04日(日) 
 
「鬼は外、福は内」。ご存じ節分シュプレヒコールである。

よく鬼が豆に追い立てられ頭を抱えるようにして逃げ出す絵を見かけるが、それと入れ替わりに家の中へ入っていく「福」の絵というものは見たことがない。鬼はイメージしやすいが「福」って誰?

同じように、地獄は血の池とか針の山とか具体的なイメージがあるのに、天国ときたらなんかこうふわふわとしてて噴水かなんかあってとりあえず明るめ、というぐらいのあやふやなイメージしかない。そんなつまらないところが天国か。自分の部屋の方がよっぽど楽しいよ。

毎年節分の時期に思うのは、かように人間の想像力は悪い方向にしか働かないのだなあ、ということ。いや、なんというかいわゆる男性にとっての天国っぽいシチュエーションは思いつかないわけじゃないんだけど、そういうのはねえ。公式に天国にしにくいし。

ああ、そうか、要するに「鬼」とか「地獄」は万人に共通だけど「福」とか「天国」は人それぞれってことか。じゃあ、ぼくの福は誰だ。宇喜田団地か。それはほんとうに福か。

(総裁談)
 
 

2007年02月02日(金) 
 
取引先で、一緒に行った営業さんがジョークを言う。面白くもないけどつきあいで笑ったら、あとで「あそこで笑うなんて不真面目だ」と怒られることがよくあった。ええー、あれは冗談じゃなかったのかよー。

ところで、データねつ造とやらで話題の「あるある大辞典」だが、あれを素で「嘘だったなんて許せない!」と騒ぐ人がいると聞いてびっくりした。ぼくはそもそもあの番組はジョークだと思っていた。他の影響要素排除できないたかだか数人の「あるある会員」に対する「実験とか」やってる時点であの番組はエンターテイメントでしょう。二重盲検とか知ってる?

あの番組に出演していたタレント達は、ええー、あれは冗談じゃなかったのかよー、って思っているに違いない。かわいそうに。

(総裁談)
 
 

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