2006年06月30日(金)
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昔話「鶴の恩返し」で不思議でならないのは、なぜ鶴は機を織るときにわざわざ元の姿に戻ったのか、ということだ。自分の羽を材料として利用するにしても、いったん鶴の姿で羽抜いてストックしておいてから人間の姿になって織ればいいじゃないか。そうすりゃ「覗くな」なんて低いレベルのセキュリティを施さずに済む。
ところで、人間工学の最大の敵は「慣れ」だと思う。
たとえばパソコンのキーボード。これほど人間工学的に言って使いづらいデザインのものはない。アルファベットの並び順、いわゆるQWERTY配列は決して「打ちやすい」ようにデザインされたものではない。もっと打ちやすい配列は考案されているが、みんな今の配列に「慣れ」ちゃってるのでそんなものは誰も使わない。
全体の形そのものもそうだ。直線的にキーが並べられている普通のキーボードは手首への負担を考えるとこんな良くないデザインはない。人間工学に基づいた中央部が盛り上がったぐんにゃりとしたデザインのキーボードもときおり見かけるが、多くの人はそれを使おうとしない。人間工学的に誤りであっても「慣れ」ているもののほうが「使いやすい」から。
どう考えても「機を織る」という行為は人間の体に最適化されたアクションのはずで、人間工学的にはそのほうが作業しやすいんだけど、「鶴の恩返し」の鶴は鶴の姿で動くことに「慣れ」ちゃってたんだと思う。
(総裁談) | | |