2008年06月23日(月)
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風邪をひいて久しぶりにテレビをよく見たら、どうやら世間では「おバカ」が流行っているようだ、ということが分かった。
誰がどうおバカなのかには興味がないが、この「おバカ」という呼称には興味がある。ポイントは「アホ」ではなく「バカ」である点だと思う。よく言われることだが、伝統的に関西圏の人は「アホ」とは言っても「バカ」とは言わないとされる。彼ら曰く、「アホ」には愛があるが「バカ」にはそういうニュアンスがない、と。
「バカ」呼ばわりに愛が足りないのは認めるが、「アホ」に常に愛が満ちあふれているかというとそんなことはないと思う。ぼくの見るところ「アホ」には「愛があるバージョン」と「本気でアホ呼ばわりバージョン(≒バカ)」がある。文脈と状況によって、関西圏の人ににはどちらのバージョンかを読み取れる能力が備わっているのだと思う。
しかし、「バカ」にはそういうニュアンスのレンジはない。そこで発明されたのが「おバカ」だ。「お」を接頭することで「バカ版・愛があるバージョン」としたのだ。
言語学者も発見していないと思うが、「お」には意味を和らげたり場合によっては逆の意味にしたりする働きがある。上記の「おバカ」もそうだし、「お利口」という場合もそうだ。本当に頭の良い人に向かって「お利口」とは言わない。小賢しさを揶揄する際につかうものだ。
そして人が「お若いですねー」と言うとき、いわれた人はほぼ間違いなく、若くない(*)。
たった一文字でニュアンスをコントロールできる「お」。「アホ」がいまひとつ首都圏で流行らない理由、それはこの「お」を頭に付けられないからだと思う。「おアホ」。言いづらい。語の最初が母音というのが敗因だ。
--- *あと、教師でも弁護士でも医者でもないのに相手を「先生」と呼ぶ場合もバカにしていることが多い。「さすが!○○先生!」とか。 ---
(総裁談) | | |