2002/09/30  

電車の中で、隣の人が読んでいるビジネス本に次のような記述があった。

「交渉提案の基礎:本命の提案をプレゼンテーションするときは、ほかの提案候補として、それよりも条件がやや劣るパターンを用意し、比較・選択させることで本命の提案をより良いものに見せる、というテクニックがある」

都営地下鉄12号線は通称「大江戸線」と呼ばれている。これは都知事が命名したものなのだが、今、冷静になってみれば、これはあんまりなネーミングじゃないだろうか。

それでも東京都民がこの名前をあまり気にしていないのは、「大江戸線」に決まる前のネーミング候補が「ゆめもぐら」だったからだと思う。

(総裁談)



2002/09/29  

今をときめくアイドルたちの過去のなんとなく恥ずかしい写真(高校生の時の制服姿とか水着姿とか体操着姿とか)を載せた雑誌などが人気らしいが、みなさんこういったものにエロを感じるのだろうか。

ぼく自身はあまりそういった回りくどい趣味は持っていないのでなんとも言えないのだが、過去の恥ずかしいものだったら、体操着とかじゃなくて学生当時のサイン帳(*1)のほうがいいと思う。

お別れに際して書いてるのに「4649」とか書いてるやつもいた。恥ずかしい。


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*1
ぼくが小学生・中学生のころに流行った、卒業時に友人にメッセージなどを書いてもらうためのA6版ぐらいの大きさのバインダーノート。「みんなのたーぼー」とかのデザインが流行っていたような。全国的なものだったのかどうか。今はもうないんでしょうか。共感しづらい話題で申し訳ない。

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(総裁談)



2002/09/28  

ゆとり教育の一環で行われる授業に「調べ学習」がある。

知りたいことを自分で見つけ、書籍で調査したり、観察・実験を試みたりする。子どもたちの主体的な学びを実現するためらしい。

ところで、小学生のとき家で思いつきの実験をしたことがある。

・豆電球は交流の電流でどう光るのか?
・コーラを何本飲めばプレゼントのヨーヨーが当たるのか?
 (冷蔵庫が満タンなため冷凍庫を瓶入りコーラで満たす)

二つの実験とも爆発・破裂して、とても危険だった。

一瞬の爆発を通して主体的な学びを実現したのはいいが、後始末や言い訳を考えるのにあくせくした記憶がある。
本当のゆとりとは何かを考えさせる結果となった。

※お分かりの通り、上記の実験はとても危険なのでマネはしないで下さい。

(N談)

2002/09/28  

大阪に行ってました。

帰りの新大阪駅でUSJツアー御一行らしき人たちを見かけた。30〜50代とおぼしき女性が10数人、という構成。なぜUSJツアー御一行と分かったかというと、みんなUSJの紙袋を持っていたからだ。お土産だろう。

問題は、その紙袋以外の荷物だ。みんなヴィトン。

みんなジュラッシクパークライドの絵が描いてある紙袋とヴィトン。バランス悪いったらありゃしない。

あと、アメリカのUSJはUSAっていうんだろうか、ってのが気になった。すまん、眠いので以上。

(総裁談)



2002/09/26  

NHKに「方言収集家」という人がでていた。

特に専門としているのが三重の言葉だそうだ。ところが、この人の出身は青森だそうで、案の定「なのにどうして三重の言葉を?」とアナウンサーに質問されていた。

ぼくとNは言うなれば「団地収集家」だ。しかしぼくらは団地に住んではいない。「なのにどうして団地マニアに?」とはあまり聞かれない。

「方言収集家」が方言収集を初めたきっかけは、かつて教師として三重に赴任したことだという。生徒の言葉が全く理解できなかったことに危機感を抱いて三重の言葉を収集・分析したのがことの始まりだとか。

一方、仮にぼくらが「どうして団地マニアに?」と訊かれたとすると、と想像すると、とても困る。きっかけなんてあっただろうか。

しかし、こういうきっかけをよどみなく語ることは、団地収集がひとつの確立された趣味世界として存在するために、パイオニアとしての我々に課せられた義務ではないだろうか。

それが事実である必要はない。この人の方言収集に限らず、こういったものをそれらしく語るポイントは「最初はそんなつもりではなかったのだが…」という「気がつけば物語」であることだと思う。その方が世間には受けるような気がする。

「友達のオーディションについていったら、自分の方がスカウトされてしまった。最初はそんなつもりではなかったのだが…」なんてのはとても良い。しかしこのあとに「そんなこんなで団地マニア」を結びつけるのは難しい。

というか、団地マニアの場合、どちらかというと「友達のオーディションについていったら、実はAVの撮影だった。だまされた。巻き込まれた」に近いと思う。

(総裁談)



2002/09/25  

日本語の現代仮名遣い、46文字を各一回だけ使い文章を作るパングラムと言われるものがある。

無理矢理作ってみた。

我らは人目凌いで団地行き
前さえ見せぬやつ
夜も更け 過労 骨折り なにくそ  
アコムをする

われらはひとめしのいてたんちゆき
まえさへみせぬやつ
よもふけ かろう ほねおり なにくそ
あこむをする

意味は、肩身の狭い団地マニアが正面からの団地の撮影に苦労して、もっと良い機材を買うために借金までしてしまうと言うもの。

次第に文から単語の羅列に変わっていくあたりは、団地巡り同様の疲労感が読みとれる。最後に困ってアコムを利用する羽目にならない様気をつけたい。

(N談)


2002/09/24  

新幹線の座席の前のテーブルの裏には、次のような文章が書いてある。

「かけ込み乗車は(危険ですから)おやめください」

なんなのよ、そのカッコは。括弧の中にわざわさ入れる内容というのは、「ちなみに」とか「あえて言うなら」とか、そういうものじゃないのか。ちなんでいる場合じゃないだろう。大事だろう、「危険だから」っていう部分は。

しかも英語表記も併記されていて、それは「For your safety,don't rush for your train」となっているのだから、なおさらだ。

なんて感じで釈然としないものを感じていたぼくですが、日光の名所、華厳の滝の駐車場にある一軒のラーメン屋の看板に

「安い!早い!(本格派!)」

と書いてあったのを思い出して、ちょっとほのぼのとした。「本格派」はカッコに入れないでもっと強調しなさい(*1)


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*1
そのラーメン屋にはラーメン以外の食べ物も売っていて

「ラーメン・ホットドッグ・バニラ」

という看板もあった。微笑ましさもひときわ、である。バニラは併置のレベルじゃないだろう、バニラは。

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(総裁談)



2002/09/24  

秋場所で横綱貴乃花が珍しく「待った」をしたらしい。

相撲界において「待った」や「変化」をしていては横綱相撲とは言えないらしいが、まずい、と思ったら「待った」もやむを得ないだろう。野球などでも同様に「タイム」を使って事態を修復する機会が与えられる。

ここで思い出すのが子供の頃よく使っていた「タンマ」だ。

「タイム」と「待った」の合わさった幼児語だ。
響きは幼児そのものだが、用法、効果も上記の2つとは異り、子供らしからぬ寛容さが特徴だ。
「タンマ」は事が起きてから使用していた。そして、事態をなかったことにしてくれる強引な調停役。どんなに「タンマ」に助けられたことか。

「ヒトラー発言」で落選した独グメリン法相に「タンマ」を教えてあげたい。

(N談)


2002/09/23  

「総裁ひとり旅」を新しく載せました。ご覧下さい。
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先週「ファッション通信」特集番組を観ていたら、大内順子のナレーションを久しぶりに聞くことが出来た。

番組の中で、あるデザイナーが一昔前のデザイナーの作った服と酷似した洋服を発表したことが話題に上がっていた。

「音楽の世界では今やアレンジやリミックスは当たり前、ファッションもこうしたアートに近づいたのかもしれません」と順子さんは話していた。

アレンジやリミックスか。
アートって便利。

時々、「この名称、住宅都市整備公団のパクリじゃないか」とご指摘を頂くが、この線でかわしたいと思う。

(N談)


2002/09/22  

総裁ひとり旅(上海出張編)の前編を新しく載せました。

彼の出張での成果をご覧下さい。

(N談)

2002/09/21  

「ホールインワン保険」というものがあることを知った。

ぼくはゴルフをやらないので全く知らなかったのだが、ホールインワンを出した場合には、そのゴルファーは同伴メンバーに一席設けたり記念品を配らなければならない習慣があるそうだ。なんだかんだで数十万の出費になってしまうこともざらだとか。

で、色んな保険会社がゴルフ場での傷害保険などと合わせてホールインワン保険というものを用意しているらしいのだ。

先日そんな話を会社の人に聞いて、一つ疑問に思ったことがあった。

「でも詐欺とかできるじゃないですか。『ホールインワンした』とか言い張って保険金せしめるとか(*1)
「いやいや、ゴルフは紳士のスポーツだから。グリーンの上では嘘はつけないよ」



紳士は駅のホームで傘をクラブに見立ててスイングの練習なんかしないと思います。


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*1
調べたら、「キャディ付で本人を含めて2名以上でラウンドして達成したものであること」とか、そういう条件があるらしい

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(総裁談)



2002/09/20  

「消去法で判断出来ないかなぁ!そんなのダメだよ。わかんないかなー。」
前を歩いている人の携帯の声。
しばらく同じ道を歩いていたが、づーっと怒って電話をしている。怒りすぎて引っ込みがつかないらしい。

「よく聞こえな    けど、もし、 し、あっ」
などと言った後、電話も切ってあげればお互い楽になれるのに。
わざとらしい勘違いでうまくコミュニケーションもあると思う。

(N談)


2002/09/20  

2002/05/10のかもだよりでアパホテルの女社長に関して書いたことがある。で、このサイトを見ていただいている方から、今日、その女社長を最近見かけないが、近況を知らないか、とのメールをいただいた。

まずは、世の中には知らなくて良いことがあるのではないだろうか、と言わせていただきたい。アパホテルの女社長の動向をウォッチする---いやいや、ぼくにもまだ失くせないものがある。

調べてしまっては最後だ。ここで踏みとどまるべきだ、と思い、とりあえず露出不足の原因をいくつか考えてみた。

・今はやりの「被害者の会」が結成され、退陣に追い込まれた。
・整形したら美人になってしまった
・電池が切れた

個人的には、今後とも女性美というものに夢を抱き続けていくことができるよう、最後の原因であることを望みたいと思う。あれはロボットだったんだよ。


次のロボット開発のトレンドは「二足歩行できる」とか、「踊れる」とか、「成長する」とかではなく、「造形上問題がある」だと思う。

(総裁談)





2002/09/18  

住宅都市整理公団はわたくし総裁とNとの二人で運営されているわけですが。

世の中には「コンビを組む」など二人で組んで物事を行うことを表現する言葉がいくつかあるが、そのなかでも最近気になっているのは「タッグを組む」という表現だ。

タッグを組む。かっちょいいんだか、こっぱずかしいんだか、なんとも微妙な響きである。この言葉が強く表現するのは「一丸となって物事にあたる」というというところだろうか。「コンビを組む」よりは協調性・行動性の両点に重きが置かれているような気がする。

翻って、Nとぼくとの間で「タッグを組む」という表現は可能かどうか。

「あーごめん、今起きた。1時間ぐらい遅れる」
「えーっ、レンズ忘れちゃったの?」
「またスターバックス寄るのー?」

とうてい「タッグを組む」にはほど遠い感じだ。

と思ったら「タッグ」とはもともと「鬼ごっこ」の意味だと言うことが判明。それなら我々は胸を張って「タッグを組んでいる」と言わせていただく。

警備員や団地管理人が来たときの足並み揃った逃げっぷりと言ったら、そりゃあもう。

(総裁談)



2002/09/17  

夏も終わってしまいましたが、スイカの話題を。

スイカに塩をかけて食べる人を見ると、オトナだなあ、と思う。

「甘みが増す」とか言うが、それが目的なら砂糖をかけた方が手っ取り早いんじゃないかと思う。なんとなく納得できるような理由を言うが、あれは一種の儀式で、意味なんか無いんじゃないかと思うのだ。そこがオトナだ。

試しに検索してみると、甘みが増すという理由以外に「水が出てしゃきっとなる」とか「夏に、流れる汗で不足した塩分を補充しつつ、採りすぎも調節する昔の人の知恵」とか、やはり説は一定していない。しかも韓国ではスイカには砂糖をかけるという情報もあった。やっぱり。

「まあ、風物詩みたいなもんだな」「しのごの言わずにかけりゃいいんだ」「そういうものなのよ」というそれ以上の質問を封じるのはオトナ特有の文化だと思う。「なんでなんでー?何か意味あんのー?」というのは子供のやることだ。


カレーを食べるときにスプーンを水を入れたグラスに入れて出すのもその一つだとにらんでいる。意味無いよねえ、あれ。

(総裁談)




2002/09/16  

会社の飲み会とかで、最後に一本締めとかやったりしますが、あれが苦手です。

たぶん、一本締めをやることでなんとなく収まりがつくと思っているのだろう。しかし、ぼくはそんなお為ごかしはごめんだ。湿っぽくなっちゃった飲み会は、湿っぽいまま終わらせていこうじゃないか。閉塞感に覆われている現在の日本社会を救うための一つの方法として「収まりをつけない」というのはどうだろうか。なんとなくだらりと終了。それで良いじゃないか。

ところで、とあるローカルテレビのチャンネルで公共広告を見た。交通安全を呼びかける内容のもので、幼稚園の子供たちに「シートベルトを締めようよ」とか斉唱させている。

問題はその斉唱の後である。

この手の、大勢のこどもをあつめて一斉に何か喋らせた後、続けて「わー」とか言わせるのは何故なんだろうか。なんか意味あるのかあの「わー」には。みんなで手なんか振っちゃったりして。

思うに一本締めとは、あの「わー」と同じなのではないか。あれをやることで、なんとなくとどこおり無く終了、という雰囲気になる。


でも飲み会の最後が「わー」だったら、それは歓迎したい。

(総裁談)



2002/09/15  

3連休ですが、天気が悪いので団地巡りは予定していません。そうなると特にやることがない29歳独身男性です。みなさまいかがお過ごしでしょうか。

根がぐうたらなので、3連休あると3日目の夕方ぐらいまでだらだらしてしまう。そのころになってようやく「よーし、いっちょ何かやってやるかー」てな気分になるのだが、もう遅い。


加速したかと思ったら新横浜で止められる東海道新幹線のような人生です(*1)



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*1
関西の方は「加速したかと思ったら新神戸で止められる」に置き換えてみてください。

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(総裁談)





2002/09/15  

新しく団地を追加しました。
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机に「蛇玉(昼花火)」がある。
黒い1B位の円形で火を付けるとモクモク燃えかすが出る花火だ。
花火と呼ぶにはあまりにも華がない地味な存在。

何年か前に夜に花火をするとき買ったものだが、取り出して火を付けようとしたら「蛇玉は昼間だろー」と言われた。昼花火であることの宿命か、仲間に入れてもらえなかった。

袋の注意書きにも「昼花火なので日没後は使用しないこと」とある。「バケツに水を用意すること」「大人と一緒に遊ぶこと」などという一般的な注意と共に書かれているが、分かるようで分からない注意書きだ。

しかし注意書きの様に、コンディションを気にすることで、モクモク燃えかすが出るだけの蛇玉が花火になるのかもしれない。


(N談)


2002/09/15  

新しく団地を追加しました。
お楽しみください。

(N談)

2002/09/14  

テレビを見ていたら「プロダイバー」という肩書きの人がでてきた。

10年前ならこの肩書きを見たり聞いたりしても何とも思わなかっただろうが、いまや多くの人が読み間違うことだろう。おいおい、お前、人間ニフティかよ、てな感じで(*1)。これをIT革命と言わずして何をそう呼ぼう?

「運動音痴」とか「スポーツ音痴」という言葉がある。「音痴」とは歌を歌うときにうまく音程がとれない人やその状態を言うのが本来の意味なのだが、ひろく一般に使われるようになったために「歌」の部分の意味がなくなって「うまくできない」ことそのものを指す言葉となってしまったわけだ。

今日、結婚式場の広告で「高島田」という言葉を見た。女性が和装で結婚式に臨むときにセットするあの髪の結い方のことである。この言葉で、ぼくは当然板橋区の巨大でステキな団地群(*2)を連想したのだが、この読み間違いは一般的ではない。やんぬるかな、すなわち「団地マニア」はまだ一般的な存在ではないのだ。

必要なのは団地革命だ。いや、団地マニア革命か。


将来はステキな団地をうまく見つけられない人のことを「団地音痴」と呼ぶようにまでするのがぼくら団地マニアパイオニアの使命だ。



団地音痴。韻も踏んでるし。いいじゃん。



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*1
気をつかっています。お世話になっております。

*2
言うまでもなく高島平団地のことである。いつかこの註も必要なくなる日が、必ず。

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(総裁談)



2002/09/13  

営業さんは仕事の一環として、打ち合わせなどの最中、要所要所で冗談を言う。そしてお客さんが冗談を言ったときは率先して笑う。そしてそれらは大して面白くないも冗談であることが多い。しかし彼らは程良く笑う。

ところで「会議口調」というものがある。例えば、会議のメンバーがそろって、本格的に会議を始めるまで、ちょっとした雑談が始まる。メンバーはお互いにみんな気心しれあった人たちで、普通に世間話なんかをしているのだが「さて、じゃそろそろ始めましょうか」と、会議が始まったとたん、「えー、まずはじめに前回の会議に関して皆様にご報告申し上げます」とか、敬語、謙譲語を交えたやけに堅い口調になる。これが会議口調だ。

会社の風習でぼくがなじめないものはいまだにいっぱいあるが、これもそのうちのひとつだ。

このことに関して、あることに気がついた。会議中に冗談をはさむときにはこの「会議口調」が突然くだけたものになるのだ。

たぶん、くだけた口調になることで「ああ、この人はいま冗談を言っているのだ」ということが分かる仕組みになっているのだと思う。仕事の一環として交わされる冗談など、本当に面白いものである必要などなく、ただ「いま冗談を言っているんですよ」ということだけ伝わればよいのだ。

「くだけた口調」は「冗談言ってますよ」のサインであり、そのサインを分かりやすくするために、会議はわざわざ堅い口調で進めるのではないかとすら思う。

問題は落差なのだ。仕事の後のビ−ルは旨い、というのと同じだ。仕事しなきゃビールなんてたいしておいしくもないんじゃないかと思わない?

(総裁談)



2002/09/11  




帰国しました。上は出迎えに来てくれた友人と妹が成田の到着ゲートで掲げていたもの。

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中国の人は本当によく日本の芸能界のことを知っている。くだんの女の子と日本のタレントの話などしたのだが、名前の漢字を中国語読みで発音するので、筆談になってようやく誰のことなのか理解できる。あー、「木村拓哉」ねー、とか。

面白いと思ったのは、名前にひらがなやカタカナがあると、それに漢字を当てて発音していることだ。「浜崎あゆみ」は「浜崎歩」だった。「宇多田ヒカル」もなんか漢字が当てられてた。忘れたけど。

ぼくが知りたかったのは「さだまさし」にどういう漢字を当てるのか、だったんですが、彼女は全く知らなかったようです。

さだまさしのアジア進出が待たれます。

(総裁談)





2002/09/10  

交通事故に遭ったことがある。

自転車で自転車用横断道を渡っているときに、横から車が走ってきて衝突。

交番が目の前にあり、お巡りさんがすぐ出てきて「あぁ、いつかやると思ってたんだ」と言っていた。

人んちで飲み物をこぼした時のセリフに似ている。

というか「あぁ、いつかやると思ってたんだ」は近所の野次馬の発言だ。
交番から出て来ることの早かったこと。

その後の事務処理も手続きを省く様は手慣れたもので、仕事が早い。見習いたい。

(N談)


2002/09/09  

明日、日本に帰ります。

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今日上海の中心街で日本人観光客とすれ違った。OLとおぼしき2人の女の子で、

「なんか、中国とか来ると、日本だけの狭い価値観にとらわれてた自分に気がつくよねー」
「そうだねー、自分再発見、って感じ?」

って言ってた。自分探しの旅ですか。


ところで今日はほぼ終日、上海の団地めぐりをしていたのだが、外から眺めていては分からない団地内の様子が気になったので思い切って中へ入ってみた。そうしたら、入って早々、入り口のところにいたおじさんに何かをまくし立てられて(もちろんなに言ってるか分からない)一目散に逃げてきました。うわーん。

日本だったらどうにかして入れるのに、やっぱり異国の地では難しいなー、と思って気が付いたが、本来入っちゃいけないのは日本も中国も同じだ。ただ単に日本だと侵入方法のこつをつかんでいるだけの話。


「日本の価値観にとらわれていた自分再発見」ってこういうことか、と思った。自分探しの旅ですか。

(総裁談)



2002/09/09  

まだ上海ですよ。

ひどい下痢をしています。水は飲まないように気をつけていたのですが、どうやらジュースなどに入っていた氷が曲者だったようです。

で、地元の薬屋に行って下痢止めを買ったのですが、これがまた怪しげな代物。一箱6元=90円だし、そもそも本当に下痢止めなのかどうか自信が無い。これ飲んだらおなか壊したりするんじゃないだろうかと心配だ。

ていうか、これ飲むために水が必要なんですが。

大学の心理学の授業で「ダブルバインド」って習ったなあ、と思いながら、トイレにこもって思案中。

(総裁談)



2002/09/08  

小さな十得ナイフをみつけた。
小さくても男のアイテム。サバイバルな状況を生き抜くために十分な機能が備わっているはずだ。
その仕様を見てみよう。

定番のナイフ、はさみ、ドライバーはなどはもちろん装備。はさみが本当に困難な状況で必要なのかはさておき、他にも定規、ピンセットが装備されている。
豪快さを装いつつもこまめに寸法を測ったり、棘を抜いたりする繊細なタフガイのイメージだろうか。

最後に気になるアイテムは「甘皮取り」だ。これまでの道具で困難を乗りきった後は甘皮を綺麗に取り除く余裕をみせるのが新しいヒーローなのだろう。

疑問が残るアイテム「甘皮取り」だが、そんなイレギュラーなイメージを払拭するのは黒合皮製の専用ケースだ。俗にいう大人袋。男袋と言っても良いこの手のケースは若干の疑問も飲み込み大人の男にしてくれる。

(N談)

2002/09/05  

聖書が家にあったので見てみた事がある。

冒頭に「こんな時聖書を読みましょう」とあり、幾つかのシチュエーションごとに読むべきページが書かれていた。

心がさいなまれた時
悲しみで心がふさぐ時
失望した時
心配な時
危機に直面した時
困難な状況になった時
孤独な時
試練にあった時
疲れた時
失敗した時
病気または苦痛の時
友人に裏切られた時
神さまの導きを必要とする時
旅に出発する時
平安を必要とする時
けんかした時
友達がいなくてさびしい時
がっかりしている時
死ぬのが怖くなった時
女の子や男の子が好きになった時
お金がほしい時
教会に行きたいけれど、勇気がない時
など

さすが聖書、きめの細かい心遣いと思わせるが、場面にムラがありすぎはしないだろうか?イエス様も収拾がつかない様子だ。多分そんなとき聖書を読むのだと思う。

また「〜のときー↑」と言われるとサッポロ/がぶ飲みコーヒーのCM「いつもここから」の紙芝居芸を思い出す。聖書がないときはがぶ飲みでもいいような気がする。

(N談)


2002/09/04  

2002/05/28のかもだよりで「歩絵夢」という喫茶店について書いた。

皆さんもおそらく目にしたことがあるかと思うが、「歩絵夢」「来夢来人」は全国の場末のどこにでも見られる喫茶店/スナックで、チェーン店なのではないかと疑うくらいの全国展開ぶりを見せている。

そしたら今日、上海の求人情報誌に「日本語が話せる中国人・中国語が話せる日本人スタッフ募集---来夢来人」という広告が載っているのを発見した。上海までチェーン展開かよ来夢来人、という以上におどろいたのは「来夢来人」がどんな店なのかの説明が一切無いことだ。もしかしたら中国語で「来夢来人」とは一目瞭然の何かの意味があるのかもしれない、と思ってくだんの中国人の女の子(*1)に聞いたら、何のことだかさっぱり分からない、と言われた。やっぱり。

ついでに、「男呼組」は?、と聞いてみた。すごく困った顔をしていた(*2)

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(*1)
2002/09/02のかもだより参照。

(*2)
こんなことばかり聞いていたらお近づきになんかなれないと思う。

追記:
「男呼組」ではなく「男闘呼組」だというご指摘のメールをいただいた。そうか、それで彼女は困った顔をしたんだな。明日もう一回聞いてみよう。これで一気にお近づきになれるかもしれない。

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(総裁談)


2002/09/03  

麻雀牌を使ったパズルゲームに「上海」がある。

頭を使う様でいてそうでもない、淡々とした展開が持ち味のゲームだ。

そもそも、麻雀牌を使用している点でなんとなく弱腰だ。
一方、本来の遊び、麻雀のニッチをねらった所に大人の感覚を捉えることもできるが、ピラミッドの様に麻雀牌を積み重ねてゲームが始まる所は子供心を忘れていない印象を与える。
麻雀牌を使ったパズルゲームは『四川省』や『琉球』など他にもあるらしく、さりげなくファミリーを形成している点はやっぱり大人。

なかなかゴールが見てこない。「上海」がパズルゲームだと実感。

(N談)


2002/09/02  

 今日、ステキな上海の女の子と知り合いになった。

 もちろんぼくは中国語はしゃべることができないし、彼女も日本語をしゃべることはできない。お互い片言の英語で意思疎通している。とてもステキな女の子なのでぜひもっとお近づきになりたい、と思ったのだが、その時ぼくは重大な問題に気がついた。

 それは中国語がしゃべれないことでも、英語があやふやであることでもない。ぼく自身のアイデンティティの問題だ。つまり、「団地マニア」として自分を紹介できない今、ぼくに残っているものは一体何なのだろうか、と。

 日本でなら「いやー、実は団地マニアなんすよー」「えー、なにそれー」てな感じで話題も弾もうというものだが(*1)、団地マニアが(恐らく)存在しないここ中国でどうアピールしたらよいというのか(*2)

 こういう悔しさが原動力となって柔道なんかも国際的なものになっていったに違いないという、まちがった認識を抱きつつ、明日からの作戦を考える総裁です(*3)


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*1
うそです。そんなんで話題なんか弾んだことありません。

*2
思い余って「アイム ダンチマニア」とか口走ってみました。すごく怪訝な表情をされました。

*3
仕事しろ。

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(総裁談)




2002/09/02  




プラネタリウム「メガスター」が、東京・お台場の日本科学未来館で公開された。「メガスター」は個人で制作したプラネタリウム。最大の特徴は、170万個もの星を投影できること。

宇宙にそんなに星があるのなら地球以外にも団地のある星があるかもしれない。

歪んだロマンを押さえきれず、調べるとやっぱりあった。地球から120万億キロは離れた、第四惑星に。

4つの月と共に確かに5棟の低層の団地が写真に写っている。しかし、高層でないのは少し残念。

きっと怪獣が壊しやすいから低層団地にしたのだと自分に言い聞かせるが第四十三話は予算カットで怪獣は登場しないはず。
ロケ地/たまプラーザ団地も近場で済ませた感じがする。

金はなくてもロケにはこだわってもらいたかった。

-ウルトラセブン/第四十三話「第四惑星の悪夢」より

(N談)


2002/09/01  

 突然ですが仕事で上海にいます。

 いま泊まっているホテルを選んだ決め手はホテル内LANが整っていることだった。この条件にこだわった理由は、もちろんこうして「かもだより」を書くことができるようにだ。こういうのをIT革命というのではないだろうか。

 ビデオ普及の背景にはエロビデオがあったそうだが、新しい技術は常にくだらない動機で普及するものだということを、ここ上海で実感。


 あとホテルの前が団地なのも至極満足。

(総裁談)



2002年8月のカモだより