2002/06/30  

 また写真の学校に行っていたときの話です(06/27のかもだより参照)。

 いずれみんなが塹壕から出てきて、必ずや「なぜ写真を勉強しようと思ったのか」という質問が交わされるに違いない、と思ったぼくは、あらかじめその質問に対する無難な回答を用意しておかなくてはならない、と考えた。正直に団地の魅力を理由として語っても話がややこしくなるだ。へたをすると相手は再び塹壕へ戻ってしまうかもしれない。

 と考えていたら、会社を辞めてカメラマンになっている夢を見た。ただ問題は、それがカメラマンといっても日刊ゲンダイの「失礼します」の女の子を撮るカメラマンだったことだ(*1)。

 さらに問題なのは、なぜ日刊ゲンダイの仕事をしているのかと夢の中で質問されて、夢の中のぼくは「『ゲンダイ』がカタカナだったからです」と答えていたことだ。

 夢の中のこととはいえ、自分が全くもって信用ならない。

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*1
いろんな会社のOLさんを写真とインタビューで紹介する、という記事。だと思う。電車の中で人が読んでいるのを見かけるだけでちゃんと読んだことないのでよくは分からないのですが。
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(総裁談)





2002/06/29  

『es[エス]』という映画が上映されている。

残虐な結果を生み実施が禁止された、1971年のスタンフォード大学で行われた“監獄実験”を題材にした心理劇。役割付けだけでいとも簡単に豹変する人間の深層に潜む狂気を描くているらしい。

小学4年の林間学校でのこと、夜、大部屋でくつろいでいると先生が風呂場の忘れ物を持って現れた。

あっという間に人だかりができ、その忘れ物を取り上げた上級生が「パンツじゃん。「S」って書いてあるぞー。誰のだー」とはやし立てた。

見覚えのあるグンゼのパンツ。当時、僕の母が兄のものと見分けるために付けた僕の名前のイニシャル「S」だった。

恥ずかしさと見つかることの恐怖に耐えきれず僕の口から出た言葉は

「Sだと島田のかな?」

探される役割から探す役割へ自分の身を置き、その場をしのごうとしたが追求の手は厳しく、しばらくの間「S」と呼ばれることになった。

失敗でいとも簡単にあだ名が付くというお話。

(N談)


2002/06/28  

 広島の平和記念公園の石棺には「過ちは繰り返しませんから」と彫ってあるそうです。


 ところで「君の瞳に恋してる!」っという、いわゆるトレンディドラマ(以下「トレドラ」)があったのを覚えているだろうか。ぼくは覚えてませんけど。見てないし。

 これは1989年に放送され、主題歌は「どうしようもなく恋愛(ラブアフェアー)」。どうしようもないのはおまえだよ、と言っておきたい(*1)。出演者は中山美穂とか菊地桃子など(*2)。

 今回、友人にその脚本書いてた伴一彦ていう人のホームページがあるよ、と教えられたので見てみたのだが、そこにはシナリオも掲載されていた。
http://www.plala.or.jp/ban/kk0101.html

 いや、もう、なんていうかさ、なんていうの?このいたたまれなさ。あんまりにしょっぱい気分になったんで、みなさんにもおすそわけしたい。

 このような悲惨な過去があったと言うことを皆さんには肝に銘じて、今後の人生を歩んでもらいたい。


 ていうか、使わなかったですね「トレドラ」。


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*1
ただ「どうしようもなく団地(ラブアフェアー)」というように応用したいと思った。

*2
「石田純一もでてんじゃないのー」と、半ば冗談で思ってたら、ちゃんと出てたんでげんなり。
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(総裁談)





2002/06/27  

 元軍人が語る、塹壕での話を聞いたことがある。前線の塹壕の中でじっと銃撃が途切れる瞬間を待つあいだの精神的な消耗はたいへんなものなのだそうだ。まっさきに外へ飛び出してしまう兵士というのは勇敢なのではなく、待つことに耐えきれない弱い人間なのだとか。たいていそういう兵士は撃たれてしまうのだそうだ。

 去年、じつは写真の学校に通っていた。もちろん団地の写真をよりステキに撮れるようになるために。で、授業初日、講師が来るまでの間や休み時間に、久々にある独特の雰囲気を味わった。

 高校生になって第一日目とか、人生の節目節目で味わってきたあの雰囲気だ。なんとなくお互い探り合っているんだけど表面上は無関心を装っている、あの息詰まる緊張感。これから半年間毎週顔をあわせるのだから、間合いを測ってないでさっさと話し掛けたりすればいいのに。もう高校生じゃなくていい大人なんだから。

 残念なことに日本には、こういう初対面同士の状況下での自然な話し掛け作法がないので、まっさきに塹壕から飛び出す勇気ある行為は疎まれる。アメリカ人だったら「ヘイ!調子はどうだい?俺はウィリアム。ビルって呼んでくれ」とか言いながら、やおらヤンキースの話とかしちゃうんだろうな、きっと(*1)

 日本の場合は飛び出した兵士は、「あいつ、なんか軽薄だよな」とか言われた挙げ句、その話題で周りの人たちが急に仲良くなっちゃったりする。被弾である。

 ぼくはこの雰囲気が非常に苦手なので、塹壕からみんなで飛び出す作法を早く確立して欲しい。


 「フルーツバスケット!」って叫ぶ、とか。

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*1
たぶん、アメリカ人に対するひどい偏見。

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(総裁談)





2002/06/26  

 帰りの電車の中に、何かのイベントがあったのか、メイド系コスプレの女の子達が数人いた。

 途中の駅から乗ってきたおばちゃん達が、それを見てひそひそと「フーリガンよ、フーリガン」って言ってた。いやいや、全然違うから。

 でも、極端な格好・活動をしている人たちをこれからは「フーリガン」と呼んで片づけてしまうのはいいかもしれない。

 暴走族を見て「フーリガンよ、フーリガン」。
 街宣車を見て「フーリガンよ、フーリガン」。
 行列のできる店を見て「フーリガンよ、フーリガン」。


 いつの日か、団地マニアも「フーリガンよ、フーリガン」と呼ばれるぐらいの甲斐性を持ちたいものだ。

(総裁談)




2002/06/26  

病院で行われるX線撮影は得られる画像が鮮明であると共に放射線障害を避けるために被ばくの量も考慮しなくてはならないらしい。

慎重に行われるX線撮影はきめ細かく判断基準が設定されていることが予想される。
あるX線撮影の手引きを見てみると

『撮影条件は、自分の体格との対比で覚えるのがよく、自分よりこれくらい太っているので5kV上げようとか、また小児の膝などは自分の手首の太さと同じで撮れるなどと考えていくのがよい。しかし感覚的要素が多いのも事実である。』

感覚的要素。簡単に語られている。僕らの団地撮影の露出と肩を並べる頼りなさ。
「実際、撮って見なきゃわかんないんだよねー」といった感じだ。

他の手引きでは放射線の危険を身の回りに存在する様々な危険や、健康を害するものと比較している。

『X線検査はコーヒーと同じぐらいです。一般にX線検査に使用される放射線量は害が
少ないことがわかります。』

コーヒーを比較の材料に無理矢理使っているところも団地と似ている。(団地データの見方参照)
「コーヒーと同じぐらい」は感覚的要素に近い気がする。「感覚」に頼り気味のX線撮影だがX線撮影だけじゃないのではと不安が広がる。

以前、焼き鳥屋で「店出して30年になる」と話すベテランオヤジが焼いてくれた焼き鳥は生焼けでとてもまずかった。長年の勘は本当にあてにならない。

(N談)


2002/06/24  

 かねてから転職してみたいなと思っている職業がいくつかある。小林製薬の商品ネーミング担当と週刊誌のグラビアページに必ず添えられている詩のような文章を書く仕事などだ。

 前者はいわずもがな、「熱さまシート」「ただいまポット洗浄中」「歯ミガキッシュ」「サカムケア」などでおなじみの職業だ。後者に関しては、女性には説明が必要かもしれない。

 女の子がビキニで夕暮れの海岸に悩ましげに肢体を横たわらせている、というようなグラビアページには、なぜか必ず、いったい何のために、という詩が添えられているのだ。明朝体で。エロ本にも必ず。

 「水平線が茜色に染まる頃---君の瞳をずっと見つめていたい…」

 とか。
 あるいは、語りかけのセリフが添えられることも。

 「ねえ、つぎはどうする?パロットフィッシュでも捕まえる?それとも沖まで泳ごうか?それとも…」

 とかそんな感じ。

 最近、これらの職業に加えてラビナスのヘアカラー商品のネーミング担当もあこがれの的である。

「原宿カッパー」「渋谷ゴールド」「青山アッシュ」「代官山スモーキー」

 でおなじみのラビナスのヘアカラー。いくつか考えてみた。

「宇喜田ブラウン」「光ヶ丘オレンジ」「塩浜ブルー」「稲毛ネイビー」


 これら街の選定と色について詳しくは「団地データ/公団」をご覧いただきたい。

(総裁談)




2002/06/23  

 駆け込み乗車をやめよう、という趣旨の交通広告などでは、なぜか駆け込んでいるのが、擬人化されたゾウやキリンやクマだったりする。なぜ人間じゃだめなんだ。

 この手の広告に限らず、キャラクターものというのは、モチーフがたいてい動物だ。浦安にいるやつなんてでっかいネズミだよ。ネズミ。ネズミとアヒル。

 あと病院とか薬局のマークなんかもなぜか動物をデザインしたものが多い。パンダがキャラクターの薬局ってよくある。

 いずれも、どうしてかと問われれば「親しみやすいから」と答えるんだろうが、ちょっと考えてみれば、ゾウとかキリンなど、こういう動物って生まれてこのかた数えるほどしか実物を見たことがない。たいていの人は親しみがわくほどこれらの動物を見たことはないと思う。その点、犬とかネコとかは、まだ分かるんだけど。

 しかも、ゾウとかって、近くで見るとかなり気持ち悪い生き物だと思う。堅くて短い毛がまばらに生えてて臭かったり。「キリンさんも好きです。でもゾウさんはもっと好きです」って実物の前ではなかなか。

 どうしても擬人化したいなら、もっと親しみのあるものにすればいいと思う。象やキリンよりもっと普段目にしているもの。ティッシュ箱とか電源タップとか、レシートとか。駆け込み乗車するティッシュ箱。パッチワークのカバー付き。

 生き物がいいのなら毎朝目にするホームレスとか。臭いもゾウに近いような気がする。

 でも距離があるからこそ親しみがわくんだ、っていうのもあるかも。女の子もいざ一緒にベッドはいるような仲になると、短いうぶ毛がまばらに生えてて、においがしたりすることに気がついたりするし。いや、全然気になりませんけどね。お互い様だし、そんなきらいじゃないっていうか、むしろいいにおいだなーって思うときもあるし、ってなんの話だか分からなくなってきたのでここらへんで。

(総裁談)






2002/06/22  

 ヨドバシカメラのシェーバー売り場の店員さんの顎にバンドエイドが貼ってあった。研究熱心?

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 いやだいやだといいつつワールドカップネタで申し訳ないが。

 「日本中が応援しています」とかテレビで言われると腹立たしい。俺をその中に勝手に含めるな、と。

 団地マニアをやっていると「自分が好きなものに、必ずしも他人も興味があるとは限らない」という心構えのようなものが自然とはぐくまれる。ワールドカップワールドカップ騒いでいる人にはこの認識がないので困る。「自分たちは絶対多数だ」という甘えがそこにありはしないか。ぼくらはステキな団地が見つかったからって道頓堀に飛び込んだりはしない。

 ということで、バランスのとれた人間形成のために、是非団地マニアになることを、皆さんにお勧めしたい(*1)。

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*1
なんかどこかで巧妙に議論のすり替えがおこった気がする。ていうか巧妙じゃないですね。
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(総裁談)






2002/06/21  

 髪を切りに行った。

 美容師さんが地下鉄の丸の内線の「国会議事堂前」や銀座線の「青山一丁目」という駅名は、バス停の名前みたいで変だ、という話をした。

「都営三田線には『板橋区役所前』という駅もありますよ」
「わー、それなんか完全にバス停の名前ですね」(*1)

 家で父親にその話をした。

「ほんとに『前』なのか」
「うん、確か、出口出たら区役所の入り口の目の前だったよ」
「そんなら正確には『板橋区役所下』だな。地下鉄なんだから」
「…」
「そういえば三田線には『志村坂上』っていう駅もあったが、正確には『志村坂下』だな」

 ぼくの父親はそんな父親。

 あと、僕の髪を切ってくれる美容師は妹の髪も切っているんだが、先日妹は髪を切りにいった折に「おにいちゃんの髪質はソフトモヒカンに向いているのでは」という提案をその美容師にしたらしく、今日、危うくソフトモヒカンにされるところだった。

 ぼくの妹はそんな妹。


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*1
よくご存じですね、と言われて、ええ、まあ、とか曖昧に答えておいたが、もちろんそれは、三田線の終点が高島平だから詳しいのだ。
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(総裁談)




2002/06/20  

つぎは2周目に入ってラクロスっていうのはどうすかね。
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 蕎麦屋ののれんとか看板には、ときどき読めない字が書いてある。「生蕎麦」って書いてあるらしいのだが、ひらがなの「む」に濁点がついているみたいな字が書いてあることがある。

 だから、先日団地巡りの途中で見つけた下の写真の店、一瞬蕎麦屋かと思った(*1)。

 そういえば会社の先輩の書く字がこんな感じの字だ。全然読めない。本人は「達筆だ」とか言い張ってるけど、あれはひどい。

 あと、団地撮影の際、Nがフィルムに書き込む撮影日時や団地名のメモも読めないことがある。


 これはステキな団地を前にして多少興奮気味なせいだと思う。


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*1
この店の近くには「南風」っていう喫茶店があった。たっちゃんがいるかと思った。
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(総裁談)




2002/06/20  

サッカーはもういいんですか?

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 父親と一緒にテレビでバスケットボールの試合をなんとなく見ていた。父親は学生時代バスケットボールをやっていたということもあり、一緒に見ていると適切な解説をしてくれる。おかげでスポーツ界全般に不案内なぼくでもそれなりに試合を楽しむことができた。

 二人の間で最も話題になったのは、ダンクシュートしたあとリングにぶら下がるのはファールにするべきだ、ということだった。

 見たところゴールはキャンティレバーの構造になっており、2メートルからの大男が勢いよくぶらさがるのに耐えられるように作るのは大変そうだ、という心配からそういう話題になった。父親は設計者である。

 そして、いったい、何人までのぶら下がりに耐えられるように設計されているのだろうか、メーカーはどこだ、という話題で持ちきりになった。


最終的に親子で出した結論はイナバ物置に違いないというものだった。

(総裁談)




2002/06/18  

 ぼくとそう歳の変わらない知り合いの男性が、実は僕、まだ童貞なんですよ、とカミングアウトしていた。

「若い頃はどんなんでもいいんで、はやく童貞を捨てたかったんですけど、この歳になると、もう、なんていうか、そんじょそこらの女じゃ俺のバージンは捧げられない、って感じになってきてるんですよね」

とか言ってた(*1)。是非がんばってもらいたい。

 かたやぼくは、実は今まで投票したことがない。彼と同じように、ここまでくると、もうそんじょそこらの立候補者じゃ俺の投票バージンは捧げられない、という気持ちになっている。

 あと、ぼくは生まれてこのかた、鼻血を出したこともない。ここまでくると、鼻をぶつけて、とか、のぼせて、とかいう理由ではなく、是非、漫画とかアニメにあるように、エッチなものを見て「ブー」って出したい。


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*1
女の子が言ったら納得できるんだけど、男が言うと「おまえ立場分かってんのか」っていう感じになるから不思議だ。いや、不思議じゃないか。
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(総裁談)




2002/06/17  

 ダニが嫌がられる理由のひとつに、テレビコマーシャルがダニを拡大して見せちゃったことが挙げられると思う。確かに顕微鏡で見たダニって、すごく気持ち悪い形をしている。

 東京都花粉症対策検討委員会という組織が毎年春の花粉飛散量の予報を発表している。前回(つまり今年の春)の予想は、最大で平年平均の2.2倍の量で、千代田区で1平方センチあたり3100〜3800個、青梅市では7300〜16900個だったそうだ。

 気になるのは、この予想が当たったかどうかということより、やけに細かい数字の予想だということと、単位が「1平方センチあたり」なことだ。「立方」じゃないのか(*1)。電流と同じように単位時間あたりの「面」の通過量を測るのだろうか?

 でも一番気になるのは「東京都花粉症対策検討委員会」なる組織が存在することだ。びっくり。普段何やってるんだろう。


 こんな数の花粉が東京の空間を舞っているのが見えちゃったら、すごく気持ち悪いはずだ。あと、ダニや花粉と違って「善玉」だけど、ビフィズス菌も見えちゃったら嫌がられちゃうと思う。


 ミルミルの中に億単位で蠢くビフィズス菌。

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*1
ガンダムのプラモデルの縮尺が1/144だったのも不思議だ。12の2乗。立体なのに。
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(総裁談)





2002/06/16  

 ちょっと前、京急の駅にデジモンスタンプラリーのポスターが貼ってあった。

 対象が子供ということで漢字には全てフリガナがふってある。

「集(あつ)めて応募(おうぼ)すると、抽選(ちゅうせん)で1000名様(めいさま)に当(あ)たる!」

 という感じで。

 ただ「超激強(ちょうげきつよ)」っていう独自の用語にフリガナをふって読ませるのはいかがなものか。

 「雅人です。まーくん、って呼んでください」っていう、むちゃな自己紹介に似ていると思った。

 分かりづらいたとえですまん。

(総裁談)






2002/06/15  

JALの今年の沖縄キャンペーンのテーマは「情熱視線。」だ。

そのポスターは砂浜に寝そべった小麦色の肌の女性が上目がちに情熱を表現している。

私たち公団員だって団地に向ける情熱視線では彼女に負けてはいない。

早朝、団地の前に立った青白い顔の男二人が腫れた眼で情熱を表現している。当然、犬の散歩をしている近隣の人々からの警戒の視線を感じずにはいられない。
そこは情熱視線で真剣さをアピールし、警戒視線をやり過ごしている。

ひょっとしたら、砂浜に寝そべった彼女の情熱視線の先にも何かやましいことが隠されているのかもしれない。
リゾートへの嫉妬心が勝手な仲間意識を生む。

(N談)



2002/06/14  

 北海道工業大学で視覚的「美しさ」を判断できるソフトウェアが開発されたそうだ。ロボットに搭載するのだという。開発した教授は「人とロボットがうまく共存していくには、ロボットが美しさを判断できることが必要」とコメントしている。

 仕組みは、画像をグリッドで切って、それぞれのマス目の色の濃さなどがどのように変化しているかをフラクタル理論で解析し、画像の複雑さの種類と程度を判別の基準とするのだそうだ。

 しかし、このやりかたでは、団地は「美しい」とは判断されないだろう。だって団地は最初からグリッドだし。区切ったってさ。

 ロボットと人との共存は実現されるのかもしれないが、団地マニアと人、および団地マニアとロボットとの共存の実現は、まだ当分さきのことになりそうだ。

(総裁談)



2002/06/13  

 先日、夜11時頃、品川の駅で

 「こうしてみると団地っていうのもなかなかきれいですね」

 と話している中年男性サラリーマンがいた。我が耳を疑ったのだが、確かに、確かに彼はそう言った。

 
 しかし、次の瞬間、彼はゲロを吐き、連れの男性に「今日はおまえ、飲み過ぎだぞ」と諭されていた。


 これからも団地啓蒙活動をがんばっていこう、と思いをあらたにした次第であります。

(総裁談)








2002/06/13  

 アメリカ人が来てある商品の説明をした。彼がしゃべったことのうち、ぼくが理解できたのはだいたい半分ぐらい。しかし、しゃべっていることは半分理解できても、自分からしゃべることは全くできなかった。

 そのあと営業さんたちと、こむずかしい会議をした。彼がしゃべったことのうち、ぼくが理解できたのは、アメリカ人の時と同じように、だいたい半分ぐらい。ただ、アメリカ人の説明のときと違うのは、自分もしゃべることができているという点だ。
 ただし自分がしゃべっていることでも、理解しているのはだいたい半分ぐらい。口から出任せ。

 「ネイティブ並みに英語がしゃべれるようになる」というのは、自分でもよく意味の分かっていないことを、さも賢そうにしゃべれるようになることなのではないかと思った。


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ナンシー関が死んじゃったらしいですね。
文章の癖を見ても分かるように、ぼくはナンシーのファンでした。あんまり、人の死に敏感な方ではないのですが、今回ばかりは、けっこうショック。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
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(総裁談)




2002/06/11  

 文章を打っていてときどき「作る」と「造る」のどちらを使うべきか迷うときがある。

 調べてみたところ、「作る」は有形無形を問わず広い意味でこしらえること全般を意味し、「造る」は酒や味噌のほか大規模な建造物をこしらえる意味だということが分かった。そして「創る」は新しくなにかを生み出すことを意味するとのこと。

 「明日を作る」は中学校の校歌っぽいが「明日を造る」は土建屋のコピー、「明日を創る」は政党のコピーっぽい。

 そして今日、会社で「若造」呼ばわりされた。

 若造。考えてみれば不思議な言葉だ。「若作り」は若くない人による若さの演出を意味するが(*1)、「若造り」となると、どうなるのか。上記の漢字の意味からすると、「大規模に若さをこしらえる」ということになるのか。

 30歳を目前にして会社でただ一人、黄色いスニーカーで出社していることを指して「大規模に若さをこしらえる」と判断されたらしい。そんな大規模じゃないと思うが。


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*1
ウィノナ・ライダーとかでしょうか。大屋政子さんは「若創り」に分類されると思います。合掌。
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(総裁談)




2002/06/10  

 大学生のバンドオーディションのサイトがあった。演奏をダウンロードして、気に入ったバンドに投票してグランプリを決めるのだそうだ。
  
 以前の「カモだより」でも書いたが、バンドのメンバー紹介の記述が、ファーストネームをローマ字で表記するというやり方ばっかりなのが気になる。気になる、っていうより、しょっぱい。

「ボーカルのMASAを中心にギターのKENJI、ベースのKOHKI、そしてドラムスのTAZYA(*1)の一体となったグルーヴが…」とかゆう感じ。

 ところで6月18日からYOSAKOIソーラン祭りが札幌で開幕だそうだ。YOSAKOI。

 これは高知県のよさこい祭りに感動した地元の大学生が企画して始まった祭りだそうだ。ステージで参加チームがダンスを披露するイベントらしい。今年で11回目(*2)。踊りながら「ソイヤー」って叫ぶのだとか。



 いっそのこと「ソイヤー」も「SOIYAH」とか表記すりゃあいいのに、と思った。



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*1
「タツヤ」と読ませたいらしい。MAZDAは昨年度大赤字だったらしいが。

*2
昨年はワールドカップを盛り上げようと、日韓合同チームも出場したとか。とほほ。
 気になるのはYOSAKOIソーラン祭りの公式サイトhttp://www.yosanet.comには「そもそもYOSAKOIソーラン祭りとは何か」の説明が全くないこと。知ってて当たり前なんだろうか、YOSAKOI。YOSAKOIソーランオリジナルチョロQ発売とかの情報はあるのに。
 あと、「このページはリンクフリーでは有りません」ってなんだそれ。インターネットの意味知らんのか。
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(総裁談)




2002/06/09  

 仕事でロゴマークのデザインをやらなくてはならなくなった。本職ではないのだが、一通り勉強したことはあるので、それなりに気をつけなければならないことは知っている。

 例えばそのロゴが製品の樹脂表面にシルクスクリーンで印刷される場合だけでなく、新聞紙のような紙質が悪く、黒と白の二色だけで表現しなければならない場合も想定してデザインしなければならないだろう。サイト上の非常に限られたスペースにモニタの低い解像度で表現可能かどうかも考えておかなくてはならない。

 それでも「そういう使い方するか?」っていう思わぬ媒体で表現されることもあるんだろうなあ、本職のロゴデザインの人はたいへんだ、って思う。

 ところで、国のロゴマークと言えるだろう「国旗」のデザインはどのようにしてなされたのか。作られた時代も時代なので上記のようなさまざまな場合を考えてデザインされたものではないだろう。

 例えばドイツとかフランスとか、縦あるいは横3色に塗り分けた単純なデザインは色の違いだけなのでぱっと見区別があまり付きにくいうえ、モノクロでは違いが表現できない。アメリカの国旗にしても50個も星を並べちゃうと、webサイト上で、例えば横20ピクセルで正確に表現しようと思ってもできない。日本の国旗も、モノクロにするとバングラディッシュやパラオと区別が付きにくい。

 しかし、たぶん今一番の問題はフェイスペイントしたとき表現できるかどうかだと思う。ブラジルの国旗デザインした人は「皮膚に描くか?普通?国旗を?」って思っていることだろう。

(総裁談)




2002/06/08  

お役所の隠蔽のニュースをよく耳にする。

子供の頃、大蔵省(現・財務省)の社宅に遊びにいったことがある。友人がパパの秘密の本を見せてくれるというのだ。

パパの秘密は誰でも分かる居間にある背の低いガラス戸の棚にあり、カバーがされた本がずらっと並んでいた。
中身は機密文書などではなく男性が隠し持つ一般的なものだったが、子供ながらに印象に残っているのは森の写真が印刷された紙でカバーがなされていたことだ。

明らかに怪しい。自然を使っているのが怪しい。

JRは空いた広告掲示板を森の写真で覆い隠し、アダムは股間を木の葉で隠す。

カモフラージュとして使われる森などの自然が不自然さを生む。個人的には嫌いじゃないが隠すのには向いていない気がする。

森の絵の中に無理矢理、動物の絵を隠している安野光雅の絵本があったが、彼のメッセージが今分かった。

(N談)



2002/06/07  

 「生物学的解決」という言葉があるそうだ。
ナチのユダヤ人に対する一連の掠奪や虐殺に対して、正当な賠償を要求しているユダヤ人による造語だ。裁判が長引き、被害者が死んでいってしまうことで、根本的な解決がなされないまま問題が「解決」してしまうことを意味している。

 ところでぼくが働いている会社では、入社3年までの社員は強制的に英会話のレッスンを受けなくてはならないことになっている。当然、というかなんというか、ぜんぜんやる気がなくて、ほとんどレッスンには出席しなかった。クラス自体もあまり面白くなかったし。
 去年、後輩に、今年はどのクラスをとるんですか?と聞かれ、ぼくはもう今年4目だからレッスンを受ける必要がないのだと言うと、いいなあー、と羨ましがられた。

 英語を喋れるようになったわけではないが、3年経って問題が「解決」してしまった。

 こう書いてみて、なんだか不謹慎なたとえのような気がしてきました。すいません。

(総裁談)




2002/06/07  

風邪で会社を休みました。緑色のタンが出たんでびっくり。緑て。光合成できるんじゃないか俺。
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 以前、一緒に仕事をしたことがある人が会社をつくったということで、設立記念パーティーがあり、ぼくも招待された。いろんな人が挨拶をする中、あるおっさんが、「既存のビジネスとビジネスの隙間に必ず新しいビジネスチャンスがある」と言っていた。

 ところでこの前、Nと団地巡りの途中、おなかが減ったので銀座で食事をすることにした。蕎麦が食いたい。でもおいしいやつじゃないと食ってやらない、ということでそのような蕎麦屋を探したのだが見あたらない。本屋に行って地図を探したが適当なものが見あたらない。しょうがないのでその本屋の店員に尋ねると、彼はこう言った。

「銀座はリーマンの街だから日曜は飲食店はやってないんだよねー」

 リーマン。蔑視用語なのか何なのか分からないが、とにかく下品な言葉だ。っつうか、本屋の店員にそんなこと言われたかない。

 後日「リーマン」を検索したら「リーマン予想」が出てきた。「平方数と次の平方数の間には必ず素数がある」という証明されていない数学上の問題だそうだ。

 会社を作った人はリーマンから社長になったわけだが、「既存のビジネスとビジネスの隙間に必ず新しいビジネスチャンスがある」というのも、言うなればリーマン予想なんじゃないだろうか。つまり、みんなそんなようなことを言うが、証明されていない。

(総裁談)





2002/06/06  

(まずは昨日の「カモだより」を参照)

 「一度蒸してから茹でるので、伸びて柔らかくならない」のに「ソフト麺」。しかも実際ソフト。そしてなによりとてもまずい。
 大人の世界は矛盾に満ちているのだということをかいま見せる意味でも、ソフト麺は「大人の食べ物」かもしれない。

 ところで、以前京都でみつけたある施設。図書館や体育館などが備えられている、こどものための施設のようだった。その入り口に置かれた石碑には力強く

「負けてたまるか」

という文字が彫られている。そしてそのとなりには手書きの標語で、

「友達に一歩ゆずる優しさを」

 こういうかたちで大人の世界は矛盾に満ちているということを教えているのかもしれない。

 というか、こういう訓練を経て京都人のパーソナリティは形成されるのかもしれない。「千枚漬があるえ、たんと食べよし」とか(*1)。

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*1
こう言われてほんとにたくさん食べると大変なことになるらしい。京都人って、ややこしいわあ。
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(総裁談)




2002/06/05  

「ソフトモヒカン」という髪型があるらしい。

その響きからは、鋭くとがったワルを装いつつもお年寄りには席を譲る一昔前の不良を連想させる。それは思春期の心の揺らぎといっても良いかもしれない。

ところで「ソフト麺」を覚えているだろうか?

正式名は「ソフトスパゲティ麺」。
パン給食に危機感を抱いた製麺業界が 学校給食向けに開発。つゆをかけずに食べられる洋風の麺。 特徴は一度蒸してから茹でるので、伸びて柔らかくならないこと。

らしいのだが、
「スパゲティ」で洋風をアピールしながらも最後に「麺」をつけて中華風に落ち着いて見せたり、ソフトなくせに特徴は「柔らかくならないこと」だったりする。

しかし、ここには「ソフトモヒカン」のようなモラトリアム感はない。むしろだめ押し気味のネーミングは大人を感じる。

「ソフト麺」、それは大人の食べ物だ。

(N談)



2002/06/04  

Wカップ?そりゃまたずいぶんと大きなおっぱいですね。

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 オフィスで仕事をしていたら、6時頃に急に人がいなくなったんで、なんだろう?って思ったら、ロビーにあるテレビの前に人がたかってた。
 ぼくは、みじんもサッカーに興味がないので、いじけて一人で仕事をしていたら、すごくはかどっちゃいました。いじけパワー。

 社会工学研究所と電通総研の試算によると、今回のワールドカップの経済波及効果は日本が1次グループリーグ敗退でも約3兆1800億円。ベスト8の場合は、約3兆3000億円。優勝なら約3兆6000億円だとか。日本代表が勝てば勝つほど、景気を刺激することになるらしい。

 この計算には、サッカーに興味がない人がいじけて仕事がはかどっちゃうことによる経済波及効果は含まれているのだろうか。

 いじけパワーによる景気回復。ただし、日本代表が勝ち進んでも3回ぐらいで本格的ににいじけて家に帰っちゃうから、上記試算にあるようにはいかない。そこがいじけパワーの限界。
 
(総裁談)




2002/06/04  

今日は6月4日、虫歯の日だ。

高校のときバトラー社の歯ブラシが流行っていた。
中でもレアな人気を誇っていたのが「エキストラハード/豚毛」だ。

その名に恥じない堅さは、これで歯を磨いても大丈夫なのかと不安を抱かせるハードさで、あこがれの的だった。
おまけに豚毛特有のにおいは強烈で誰でも使用できる代物ではないという希少価値を与えた。

ひどい歯ブラシな訳だが、若者にありがちな強がりが歯ブラシの選択に現れたいびつな例だと思う。

何年か前にイノシシ毛の歯ブラシを見つけたことがある。
毛色の黒から茶のグラデーショーンはワイルドのそのもので「エキストラハード/豚毛」を彷彿させた。衝動に駆られ、一緒にいた総裁にプレゼントした記憶がある。
もう若くないという気持ちがプレゼントに現れたいびつな例だと思う。

(N談)



2002/06/03  

 ぼくらが団地を撮るために使っているカメラは、本来素人が使うようなものではなく、プロフェッショナルか、または気合いの入ったカメラマニアが持っているようなものだ。

 こういう一般消費者向けでない高価なものに付属している特徴的なもの。それは合成皮革のケースである。

 このカメラのようなプロ用あるいはマニア向けのものは付属品が多く、それらを収納するためのケースを別途買わなくてはならなかったりするのだが、それが選択の余地なくみんな合成皮革だったりもする。
 ぼくは子供のころからこういう合成皮革の質感がなんとなくきらいだった。父親のカメラのケースが合成皮革で、それを見る度に、大人だなあ、と思っていた。
 
 聞けばNも同じ違和感を感じていたらしく、団地の撮影のときには二人で露出計が入っている合成皮革のケースなどを「大人袋」と呼んでいる。「そこの大人袋取って」とかいう感じで普通に使っている。

 まだケータイが普及し始めの頃は合成皮革の「大人袋」がついていた。そういえばウォークマンにも一時期大人袋ケースが添えられていたような気がする。

 こうみると、どうも高級感を醸し出すものとして「大人袋」はとらえられているらしい。したがって普及していくとともに、その商品から「大人袋」は消えていく。「大人袋」が添えられているかどうかは、その商品の普及度合いを測る指標ともいえるだろう。

 そして、ただひとつの例外。普及しているにもかかわらず、かたくなに「大人袋」であることをやめない、今日本で一番有名な大人袋。それはルイ・ヴィトンのバッグだ。

(総裁談)




2002/06/02  

 銀座に行ったら、「銀座のママ」と名乗るおばさんの占い師がいた。行燈のようなものにそう書いてあった。「新宿の母」とか、占い師は「街の名前+母」をよく名乗る。「母」を安易に英訳してしまったようだが、よりによって街の名前が銀座であったために、意味が違ってしまっている。「銀座のママ」って、あんた。

 ところで占い師が男性だった場合は「街の名前+父」を名乗るものなのだろうか(*1)。あまり聞いたことがない。これを同じように安易に英訳して「銀座のパパ」とか名乗ると、これまた意味が違う。

 そしてなにより「銀座のママ」と「銀座のパパ」で大きく違うのは前者はお金をもらい、後者はお金を払うという点だ。

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*1
「近代医学の父」とかは言うけど。
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(総裁談)




2002/06/02  

 なんとかワールドカップの話題についていこうと思い、昨日の「カモだより」に関係して、まずはサッカーのルールを調べてみた。
 
 2回イエローカードを受けた場合、レッドカードと同じ扱いとなり、退場になるとのことだが、この「Bが〜個でAが1個と同じ」という換算システムで思い出したのは、柔道の「技ありを2つ取ると一本と同じ」というルールである。

 ほかには「銀のくちばしを5枚集めると、金のくちばし1枚と同じ」というチョコボールのおもちゃの缶詰のルールも思い出す。

 以前つきあっていた女の子は銀のくちばしが印刷されているチョコボールの見分け方を知っていた。が、何回か教えてくれと頼んだにもかかわらず、なぜか教えてくれなかった。

 3年あまりもつきあっていて彼女が教えてくれなかったその見分け方はgoogleで検索してみた結果、あっさりと判明した。検索にかかった時間0.10秒である。3年の心通わせた歳月もgoogleの0.10秒にはかなわなかったということか。

 ワールドカップの話題のはずが、なんだか湿っぽくなってしまったので、ここらへんで。

(総裁談)





2002/06/01  

会社の先輩の女性がサッカーのルールについて教えてくれた。
いよいよワールドカップだいう感じがした。
内容は

イエローカード3枚で退場とういルールだ。
知らなかった。

自分ではサッカーが好きな方だと思っていたが、基本的なルールも知らないことでそうでもないことが発覚した。
他にもレッドカードの話をしてくれたが、「どうなんでしょう?」と曖昧な相づちしか打てなかった。

そのとき脳裏に浮かんだのは「カモジャパン」。8年前、サッカー日本代表はそう呼ばれていた。きっと「カモ采配」とか「カモマジック」など見所満載だったことと思う。

(N談)


2002年5月のカモだより