2002/03/31  

今年の花見の季節に思ったことを2つ。

・高島平団地内には、それは見事な桜並木がある。住民と団地マニアしか知らない花見の名所である。日頃は、住民に煙たがられがちな団地マニアだが、この小さな秘密を共有することで、この季節ばかりは両者の間に一体感が(*1)。春だけに、対立に雪解け。

・その機能から考えて、植物の「花」というものは、人間に置き換えた場合どの部位に相当するのかを冷静に考えたら、のんきにその下で酒なんか飲んでいる場合じゃない。

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*1
団地マニア側からの一方的な思いこみ。
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(総裁談)




2002/03/30  

そうは言っても、実際目にすると、かなりキツイですよ。あの広告。
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ある本に次のような文章があった

「りんごはりんご、フィッシュはフィッシュ、ほうれん草はほうれん草。チキンだってチキンでしょ。なのにカウの肉をビーフ、ピッグの肉をポーク、シープの肉をラムだなんて呼ぶんだろう?」
牛飼いの男は丘の上に立つ古い石造りの城を示して言った。
「あそこにいて毎晩豪勢な夕食にありついている連中は、自分が食っているのがまさか牛だなんて、そんなこと生まれてから一度も考えてみたことないからさ」

おそらくどこの国でも、家畜を飼い屠殺するのは卑しい職業とされているはずだ。上記の文章には、言葉のすり替えによって何ごとかを覆い隠すことの欺瞞への告発がある。


などと社会派を気取ってみたが(*1)、ここで言いたいのは、だからといって、それにしても「甘エビ」っていう名前はどうかと思う、ということだ。

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*1
「社会派」を誤解しています。
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(総裁談)




2002/03/30  

昨日のコラムのアパホテルの広告だが
個人的には嫌いじゃない

・社長の容姿
・コピー「私が社長です/I am a President」
・背景の薄紫色

古風な下品さがトータルにコーディネイトされている。

この広告を「エロ」か「バカ」に部類するとなると意見が分かれるところだと思うが
「エロ」に分類したいと思う。
この場合、髪の毛を数本指にからめているポーズが決めてとなった。

(N談)




2002/03/29  

基本的に、広告とは鬱陶しいものだ。

広告を見せられる視聴者はその鬱陶しさと引き替えにテレビをタダで楽しむことができる。
テレビに限らず、いまや広告はありとあらゆるところで日常的に目にするし、見て楽しい広告もちらほらあるので、広告の氾濫自体にあまり不満はない。
しかし、あまりにひどい広告を目にすると「この程度の引き替えでは割に合わない」と感じる。

その最右翼が、電車の中吊りで最近よく目にするアパホテルの広告だ。

「私が社長です」と女社長の顔写真が前面に押し出された広告なのだが、この社長の顔には、造形上大きな問題があると言わざるを得ない(*1)。これを見せられるのだったら、運賃はタダになった上に、若干の金一封があってしかるべきだ(*2)。

以前、新幹線で大阪に行ったとき、車両の一番前にこの広告が掲げられていたことがあった。運悪くぼくは一番前の座席で、新横浜に着かないうちに耐えきれなくなって、広告を裏返しにして見えなくしたことがある。

となりの座席に座っていたぼくと同じぐらいの年齢の女性が、ぼくのその行動を見て「ですよねー」って言ったのにちょっと笑った。

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*1
せいいっぱい控えめに表現しています。

*2
こうして書いていても、思い出してむかついてきます。この広告を見たことがない人のためにこの女社長の写真を載せますので、どうぞご覧ください。↓

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(総裁談)




2002/03/28  

30年近く人生を生きていると、とてつもない失敗やピンチが何度かあるものだ。

何とか切り抜けてここまで来たわけだが、中には水に流せない取り返しのつかない失敗というものもある。

そんな失敗を繰り返さないよう万一のエマージェンシーに備えて通勤のコースには必ず入れて落ち着けるボックスをいくつか用意している。

以前、「行きつけの店がない」と書いたが
こういった行きつけなら結構いいところを知っている。

もちろん、みんなで盛り上がったり、恋人同士愛をささやいたりはできない。

(N談)



2002/03/26  

手ぶらで会議。

ほんとは用意しなければない資料があったんですが。しょうがないので前回の資料を使ってお茶を濁した。ほかの出席者はみんな資料を用意してきてたんだけど、今回一番必要な資料はぼくが用意するはずのものだった。すんません。

 ところで、9月に厚生労働省による全国のホームレスの人数の調査があった。9月末時点で各自治体が把握したホームレスの人数を同省が集計したのだそうだ。

結果、2年前の前回調査2万451人から約18%増えて、2万4090人とのこと。特徴としては、首都圏から地方都市への拡大傾向があるとか。

ここでぼくが問題にしたいのはホームレスの増加についてではなく、大阪市だけ前回の調査結果を報告してきたため増減は不明(統計上は前回と同数と換算)だということだ。

お茶の濁し方が今日のぼくみたい。

また、前回の数字では、東京23区の5600人を大きく上回り大阪市が8660人でトップだった。

一番必要なデータはお前のところのじゃないのか、という点でも今日のぼくみたい。急に大阪に好感。

(総裁談)




2002/03/25  

スポーツマンシップという言葉がある。

スポーツマンには、単にルールを守ることだけでなく、正々堂々と紳士的にプレイすることが求められているらしい。

何年か前、高校野球で敬遠をしたピッチャーがものすごい非難を受けたことがあった。正々堂々としていない、というわけだ。別にルール違反じゃないんだし、勝つためだもん、いいじゃん、と思うのだが。勝ってなんぼ、なんでしょ?スポーツって(*1)。

いつになく辛口になっているのは、ぼくの人生が「スポーツマン」と縁遠いせいである。やっかみ、というやつだ。

一般にスポーツマンは「爽やか」「正義漢」「男前」とされているが、ぼくに言わせてもらえば、「スポーツマンシップ」とは

・後輩に10円渡して「パン買ってお釣りもってこい」という
・「腹筋50回」って言ってたのに、あと2回で終わり、というところで「ラスト50!」とか平気で言う
・合宿で後輩のパンツを脱がせて毛が生えているかどうかチェックする
・好きな娘の名前を無理矢理言わせる(そして吹聴する)

などなどだ。

中学校の体育祭のとき、サッカー部の主将が選手宣誓を言う役に選ばれて、緊張のあまり、微妙に間違えて「スポーツマンシップを乗っ取り!」と言っていたことを思い出した。言い得て、妙。

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*1
ただし、負けても「試合には負けましたが、自分のプレーができました」とかゆう言い訳が常套句として用意されているようですが。あと「試合に勝って、野球に負けて」とか「試合に勝って、自分に負けて」とか。わけわからん。
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(総裁談)




2002/03/24  

 仕事場である先輩のパソコンを覗いたら「仕事」という名のフォルダがあるのを発見した。じゃあ、そのフォルダ以外は何だ。会社のパソコンなのに。と思ったが、ぼくの場合も「会社」っていうブックマークのフォルダがあった。「統計入門」とかそういうサイトがブックマークされている。しかもリンク切れ。

 以来、会社のいろんな人のパソコンを覗いて見たが、たいていの人が「仕事」「業務」「会社」などのフォルダを作っていることが判明した。ちょっとおかしくないか。

 でも一番おかしいのはぼくのパソコンにある「団地」っていうフォルダ。

(総裁談)




2002/03/24  

電車のなか。携帯電話で怒っているおじさんがいた。

「だからさあ、それはおまえが悪いんだろう、竹ノ内君のせいじゃなくて」

「竹ノ内君には責任はないだろう、おまえのやったことなんだから」

「ま、わかったからさあ、竹ノ内君に一言入れとけよ、おれからも竹ノ内君に言っておくから」

どうやら、電話の相手に説教し、竹ノ内君をかばっているようだ。


でも、車内では竹ノ内君だけ実名でさらし者。

(総裁談)




2002/03/22  

こんなニュースがあった。

「キーたたく癖で社員特定 不正接続防止システムを開発」

社内の重要情報の漏えいやデータ改ざんなど、パソコンを使った内部犯行を防ぐシステムを神奈川県座間市のベンチャー企業が開発した。キーボードの入力速度や癖などを社員ごとにデータベース化し、実行者を特定する。

自分のキーボードにまつわる癖としては

・仕事に関係ないサイトを見ていて人が側を通ったとき軽くタイピングのまねごとをしてしまう。

・鉛筆で落書きをしいているのに「保存」のショートカットをたたいてしまう。

・一日に何度も「団地」をタイプする。

箇条書きにしてみて分かったことは、こんな癖を持つ社員は重要情報の漏えいなど出来ない上、仕事もしていないということだ。

(N談)




2002/03/21  

uno式回転寿司はどうか。

取り損ねたら「リバース」を出す。すると、回転が逆になる。メロンとか揚げ物は「スキップ」したい。

「ドロー4」出されたら4皿とらなきゃならない。450円皿ばかり4皿とか、たいへん。

「ワイルド」が出され「赤」っていわれたらマグロしかとっちゃだめ。個人的には鯵とか鰯とか好きなんで「青」は歓迎。一番イヤなのは「黄色」。卵焼きばっか。「緑」はわさびだけとか(*1)。


そしてお勘定にしようとしたら、店の親父が叫ぶ。

「unoって言ってない!」

2皿追加。

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*1
あと、地方の回転寿司では、独特のローカルルールに注意したい。「割り込み」とか。
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(総裁談)




2002/03/21  

ホームページでは法人用と個人用に構成されていて選択が出来るものがある。
わかりやすいし、便利なので重宝しているが、あるガラスメーカーの場合ひと味違う。

「お仕事の”ひらめき”をお手伝い 建築支援プラザ」
「住まいの”ときめき”をお手伝い 快適支援プラザ」

この2つから選ばなくてはならないのだ。
なかなかの難題だ。

調べごともそっちのけでしばらく考えて分かったのは、ひらめきたい訳でもなく、ましてや、ときめきたい訳でもないということ。そして、これ以上先に進めなかった。
中学生のころ先生に「一歩前に出る勇気を持ちなさい」といわれたことを思い出した。

(N談)


2002/03/20  




Z会の広告ポスターを見た。

「Z会あえて新宿に開講。誘惑に負けずに、ボクは、東大へ行く」(*1)

夜のネオンをバックに、メガネをかけたまじめそうな高校生が、そう決意していた。

そうだろう、そうだろう。だれも君たちが誘惑に負けるとは思わない。問題は新宿校Z会の講師の方だ。彼らが誘惑に負けちゃうんじゃないだろうかと、ぼくは心配だ。

教室で、待てど暮らせど先生が現れない。そこに入ってきた知らせは、テレクラの火事に巻き込まれた人の中に先生らしき人が…

大人の世界には、知りたくなくても、学ばねばならないことがたくさんある。そして、それらは、学校では教えてくれない。

---
*1
っていうか、「あえて」って、別にほんとにあえて新宿を選んだ訳じゃあるまい。全然別の都合があったんでしょ?バブルの頃に借りてそのままにしてた事務所がたまたま新宿にあったとか。
かように、大人の世界には学ばねばならないことがたくさんある。知りたくもないことが、たくさん。
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(総裁談)




2002/03/19  

東京駅の京葉線のホームは地下の深いところにあり、改札からホームへたどり着くまでにえらく時間がかかる。
この線は比較的最近に開通した線なので、ホームを作れる場所が地下の深い所しかなかったらしい(*1)。

このように、東京駅というのは、建て増しの連続で、その結果なんと50年工事しっぱなしなのだそうだ。

このまえ、テレビでスペインでサグラダファミリアを作り続けているチームに参加している日本人がとりあげられていた。
「現代の建築にはない未完成の魅力」とかなんとか、かっちょいいことを彼は言ってたが、そんなら東京駅作りに参加したほうがてっとりばやかったんではないだろうか。

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*1
最近開通した地下鉄大江戸線も同じように地下の深いところを走っているために、改札からホームまでがえらく遠い。改札〜ホーム間の電車が必要なのではないかと思う。
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(総裁談)






2002/03/17  

最近『ムック』が気になる。

『ムック もっと楽しむグアム』
『TMOCMムック プロが教えるセンスのいい部屋づくり』
『角川ムック 格闘魂』

などの「ムック」。

「ムック」とは
『「ムック」というのはmagazineとbookとの合成語です。編集の仕方や体裁が雑誌と書籍との中間であるような本を指す』
らしい。
まあ、どうでもいいことだ。
内容が中途半端で、持っているとなんか恥ずかしい部類の本だ。

会話における「ムック」の用法を思い出すと
「あー、そういうの『ムック』とかにありそー。」
というように少し蔑んだ時に使われている気がする。

先日、「『ムック』みたいな本って誰が買うんだろう?」という発言に
「誰の家にも一冊はあるんじゃないの?」と答えた。

「もちろん自分は『ムック』などは買っていない」という気持ちと共に
「もし、自分の家に「ムック」があったら」という心配がぬぐえなかったからだ。

家に帰ると
先に挙げた3冊のムックを発見。

「買ったつもりはないんだけれど」という自分を裏切る本それが「ムック」だ。

(N談)


2002/03/16  

郵便局からハガキが届いた。

何度読んでも文面が理解できなかったので郵便局で説明をしてもらった。

「あぁ、これは睡眠預金の通知ですね」

「普通預金は10年間出し入れがないとその預金は国の預金になるんですよ。睡眠預金って呼んでます。それに関するお知らせですね。」

ハガキの不明瞭な文章に納得。寝た子は起こすなということだ。事情は何となく推測できるが、それにしても強引な内容をマイルドな呼び名で説明するあたりは「ゆうちょ」ともに隠された本気を感じる。

(N談)



2002/03/15  

行きつけの店でマスターに
「いつもの。」とオーダーをしてみたい。

しかし、そもそも行きつけバーもなければ、アルコールも飲めない。
今後、訪れるともなさそうなこのやりとりだが、万が一に備えてイメージトレーニングは怠らない。

「いつもの。」と言うとカウンターを滑り出る幕の内弁当。
マスターと思っていたのはよく見ると毎日通っているほっかほっか亭のおやじだ。

昼食に幕の内弁当を食べ続けて3か月程たつ。
今度、60食程度の幕の内で「いつもの。」が通用するか試してみたい。

(N談)



2002/03/14  

「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは」と言って出迎える店が増えてきているように思う。

「いらっしゃいませ」には返事はいらないが「こんにちは」と言われたら「こんにちは」とこたえなければならないのではないだろうか、と思っていつもぼくは少し複雑な気分にさせられる。そしてたぶんそれが「いらっしゃいませ」ではなく「こんにちは」と言わせる側の作戦なのだろうと予想する。いや、複雑な気分にさせる作戦ではなく、「こんにちは」とこたえさせる作戦だ。

おおかた、お客さまとのコミュニケーションがどうのこうのというコンセプトなんだろうと思う。しかし当然店員自身は返事が返ってくるなど思って思っていないだろう。「はい、こんにちは」と返したらきっとびっくりするにちがいない。

この挨拶には亜種がある。「いらっしゃいませこんにちは」というのがそれだ。スターバックスではこう言われる。こう言われると、返事をする必要を感じなくなる。

理想と現実の折衷案といったところか。

また、変種として外国語で挨拶してくる場合もある。もちろん店員は日本人で、単なる演出としての挨拶である。

イタリア料理店でときどきそういう目にあう。「ハナモゲーラー」とかいう感じの言葉を店中の店員が声をそろえて言うのだ。あまりに堂々としていて、なぜかこちらが恥ずかしくなる。

ここまでくると、もちろん返事など期待していないのは明らかなのだが、万が一、もし本当に「ハナモゲーラー」と言っているとしたら、そのときはぼくも「ハナモゲーラー」と返せるような気がしてならない。

(総裁談)




2002/03/13  

帰りの電車の中で隣に座った人が、ネットワーク関係の技術書を読んでいた。その本はかなり専門的なもののようだったが、なぜか各章の扉に、文芸書にあるような引用が書かれていた。

「12章 UDPによるデータの信頼性
--僕はずっと待った。待って待って待ち続けた。それでもなんの頼りもなくて、それで僕は気づいたんだ。その便りは君からのものなんだって。---W・ストーラー」

とか、そんな感じ。意味なくロマンチック。技術書でしんみり。
ぼくも企画書とかで引用をやってみようかと思った。

「IT時代の戦略マーケティング
---ブルータス、お前もか」

とかいうように、ありきたりの企画に対して、自らつっこんでみたり、

「駅前再開発事業におけるネットワークコンテンツ提案
----足下には一面の海が広がり、淡いブルーの海岸線も海も、街では気づかなかった薄い霞にかすんでいた---アントニオ・タブッキ」

とかすてきな風景描写でプレゼンの場を意味なく和ませてみたり。

「顧客ニーズ吸い上げのための携帯ソリューションのご提案
----漠然性と暗示とからなる場における踏査とでもいうべき共時的反応は、たえず私によって元の表現に関連づけられ、表現がその反応を前提し包含しているかどうか検証されることになる---ウンベルト・エーコ」

とかさもすごい提案なのかと錯覚させてみたり。

それでもだめなら

「パラサイトシングル世代の囲い込み戦略
---乳房から鳩尾、下腹部へと舌が這うにつれ、久美子の裸身が首筋から足の指先まで濃密な桜色に染まっていくのが分かった---南里征典」

とかいうふうに相手の注意をあらぬ方向へそらせるという手もある。

(総裁談)




2002/03/12  

-じゃ一人ずつ
-うちのおやじも大丈夫ですし
-うちのおやじも・・ 戦わなきゃ現実と

戦うなら 医薬品!!
促せ、発毛
アポジカΣ

しばらく前にテレビで流れていた
カロヤン・アポジカのCM、髪の現実オヤジ編の一節だ
出来るなら現実となんか戦いたくない。
しかもその現実がハゲ。

「アポジカΣ」のCMに役所広司に登場して早11年がたとうしている。彼の起用も長期使用によりその効果が発揮されるとう会社の理念に基づいているらしい。

(N談)



2002/03/11  

1年ほど前、ローマ法王がイスラム教最古のモスクを訪れるという歴史的ニュースがあった。史上初だったとか。キリスト教とイスラム教は1000年近くも対立を続けているのだから、この訪問は大変なことなのだろうと思う。

法王は、宗教の違いを乗り越えて平和を実現しよう、という趣旨のメッセージを読み上げていたが、そのなかで「神のご加護の元に」という表現があったのが気になった。だからそれはどっちの神なんだ。

あなたが悪いんだから謝りなさい、と先生に怒られてしぶしぶと謝るが、その謝る態度自体が喧嘩を売っている小学生のようだと思った。分かりづらいたとえですまん。

(総裁談)





2002/03/10  

一級河川の土手には、国土交通省(旧建設省)が設置した、その川の名前が書かれた看板のような物が立っている。それには日本語のほかに英語も表記されているのだが、その英語がちょっとおかしい。例えば荒川は「Arakawa-river」となっているのだ。

妹にその話をしたら、彼女は英語で重箱は「Jubako-box」というらしい、と、同じような例を挙げた。

以来、同じような例を見つけては報告しあっている。以下、集まったものを紹介してみよう。

重箱ボックス
雪印ブランド
IT技術
シティバンク銀行
ホテルアネックス別館
ケリー・チャンさん

うっかり見過ごすところだったが、最後のは違う。

(総裁談)




2002/03/10  

グーで咳をとめる人がいる。

一見、フォーマルな雰囲気、大人感を醸し出すこの行動には疑問を抱かずにはいられない。

グーの握りを軽めにして、あわよくば口から出たものもスルーさせ無傷ですまそうと考えているのかもしれない。
下品な行動を包み隠すグー。

包み隠し、受け止めるのかなと思わせておいて受け止めないところが大人なのかもしれない。

(N談)


2002/03/09  

-食品表示に「適」マーク・農水省が来年にも

と新聞の見出しがあった。
食品表示問題が世間をにぎわしている。銘柄はおろか安全まで定かではない商品にとりあえず付けられる「適」マーク。
その場しのぎで嫌いではないが、本当に安全を考えるなら「カモ」マークを付けてはどうだろう。

地鶏や和牛に付けられる「カモ」マーク。
地鶏カモしれない。
BSEカモしれない。
自信のなさは真実の証だ。

(N談)


2002/03/08  

先日、Nが「終末時計」をネタにしたコラムを書き、わたくし総裁は「ムネオハウス」をネタにしたコラムを書いた。

これは、この二つをネタにしたコラムを書いてほしいという読者の一人からの要望をうけての挑戦でした。何故「挑戦」かというと、この2つは、あちこちで、いろんな形でネタにされ尽くされていて、おいそれとは書けないと感じていたから。

解決策として、Nは「チータ」と組み合わせるという思い切った方法をとり、わたくし総裁は「ムネオハウス」という言葉を直接には出さない方法をとった。いうなれば、Nは真っ向勝負をし、わたくし総裁は真剣勝負を避けた(*1)、というところか。

Nに感想を聞いたところ「嫌いなニンジンをがんばって食べてみたら、やっぱりまずかった、といったところでしょうか」との答え。要望を出した読者にも感想を尋ねてみたが、返事がない。

好きだったはずのニンジンが嫌いになってなければよいが。

---
*1
ドッジボールでは一回もボールをさわることなく逃げ回ってばかりいるタイプでした。
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(総裁談)

2002/03/07  

「モーツァルトの生家」
「モーツァルトが5歳まで暮らした家」
「モーツァルトが最初に演奏した部屋」
「モーツァルトが晩年を過ごした家」
一人の人でやたらとちなんだ名所をかせいでいる。
なんだかインチキ臭いなあ、といつも思う(*1)。

チータ芸能生活38周年で思いついたが、あとインチキ臭いのは「生誕○○周年」と「没後○○周年」ってやつだ。生誕はまだしも、死んだ事をネタにフェスティバルとか開いていいのか。

「○○周年」の数字はふつう切りのいい「10周年」とか「20周年」とか「100周年」なので、15歳で死んじゃえば、「生誕」と「没後」で5年おきにフェスティバルが開けることになる。これはかなりインチキ臭い。

冗談でなく、こういう人いたよなあと思って思い出したのが、やまだかまち(*2)。

---
*1
「モーツァルトが入札に深く関わっていたとされる家」はどうか。「モーツァルトハウス」または「モーハウス。」「。」は余計だ。いろんな意味でインチキ臭い。

*2
ってゆうか、やまだかまちって、死ぬ前は有名人だったんでしょうか。インチキくさー。
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(総裁談)




2002/03/06  

チータと言えば水前寺清子。今年で芸能生活38年を迎える。
38年というキリの悪さを補うため最近更新された地球最後の日までの時間を示す終末時計ともにその足跡をたどりたい。

1955/終末時計/2 minutes to midnight
/チータ/熊本県に生まれる。

1964/終末時計/12 minutes to midnight
/チータ/念願のデビュー。

1965/終末時計/12 minutes to midnight
/NHK『紅白歌合戦』に初出場。

1970/終末時計/10 minutes to midnight
/チータ/ドラマ『ありがとう』で一躍トップスターの座に上り詰める。

1982/終末時計/4 minutes to midnight
/チータ/東京郵便貯金ホールで初のリサイタル

1983/終末時計/4 minutes to midnight
/チータ/念願の『紅白歌合戦』のトリ務める。

1989/終末時計/6 minutes to midnight
/チータ/小松明氏と結婚。

1991/終末時計/17 minutes to midnight
/チータ/『三百六十五歩のマーチ』が、アニメ『丸出ダメ夫』の主題歌に。

2001/終末時計/9 minutes to midnight
/チータ/さくらまつり・水前寺清子オンステージ

2002/終末時計/7 minutes to midnight
/チータ/芸能生活38年

残念なことに1991年『三百六十五歩のマーチ』が、アニメ『丸出ダメ夫』の主題歌になったとき世界が最も核の危険から遠ざかったという事実はあまり知られていない。

(N談)




2002/03/04  

誰か教えてください。

「醜いアヒルの子」は、アヒルではなくて白鳥だったわけですが、父親は誰だったんでしょうか。

「めでたしめでたし」でいいんでしょうか。

(総裁談)




2002/03/03  

「十二番目の天使」という本の広告を見た(*1)。「読者からの感動の声」の文章に日本人とアメリカ人の感動の声があった(*2)。それぞれのコメントの「型」を比較すると、なかなか面白い。

日本人のコメントは、例えば

「何度も鼻をかみ、涙が流れるのを止めることができませんでした」

のように、ちょうど小学生の作文みたいな文章が多い。一方、アメリカ人の感動の声には、普段お目にかかれない独特の言い回しがある。

「人生、愛、そして勇気をテーマにした、とても特別な物語…オグ・マンディーノの『十二番目の天使』は、涙なくして読めない、感動の物語だ。(マーリン・オルセン/スポーツ・キャスター)」

「野球への愛、思い入れ、友情、勝利の喜び、敗戦のくやしさ・・・・『十二番目の天使』は、カリフォルニアで少年野球に明け暮れていた時代に、私を一気に運んで行った。(ジム・パーマー/野球殿堂に名を連ねる元大リーガー)」

新聞とか雑誌にある、映画の紹介もこういう感じの文章が多い。日本人にはないテイストだと思う。構造としては、

・いくつかのありきたりの単語を並べる
・間を空ける
・「(紹介するもの)は〜だ」と言いきる
・最後に名前と肩書き。しばしば雑誌名

というところだ。

これを応用してみた。

「微妙な褐色の色使い、ステップ式の構造、エレベータータワーの位置…浦安の『美浜東エステート』は団地界のシンデレラ城だ。(住宅都市整備公団・総裁/団地マニア)」

団地解説も、すごくそれっぽくなるから不思議。

ただし、日本人バージョンの型でやってみると、

「『美浜東エステート』を見たときは、何度も鼻をかみ、涙が流れるのを止めることができませんでした」

となり、「十二番目の天使」と同じ。がっかり。

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*1
イヤな感じのものに限って、すぐ目がいってしまうのは何でだろう。

*2
「涙が止まらない」とか「涙が流れるのを止めることができませんでした」とか「涙が出まして自分でもビックリしました」とか涙ばっかり。そういえば、オリンピックもそんなだった。みんな泣きたいらしい。「全米が泣いたベストセラー小説」ともなっている。全米はすぐ泣くからタチが悪い。

あと、全米、震撼しすぎ。
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(総裁談)




2002/03/03  

「銭湯は社会の縮図」という言葉を聞いた。

どんな人も風呂には入る。そして銭湯はどんな人にも開かれている(彫り物背負った人はだめらしいが)。そしてそれらの人と、いわゆる「裸のつきあい」というやつがある。そんな理由でこういう言葉が生まれたのだろう。

真夏の団地撮影後には、よく銭湯に寄る(*1)が、確かに銭湯では、ふだんの生活ではあまり接することの少ない、ご高齢の方から幼稚園児ぐらいの子供までのさまざまな年齢の人たちと時間を共にする。

ぼくは「膝を交えて」とか「腹を割って」とか「無礼講」とか、そういうの、苦手なんで、「裸のつきあい」もいまひとつ。どうもね。だから「銭湯は社会の縮図」という表現にも違和感を感じる。

しかし、銭湯を社会に見立てたこの言葉にある最大の問題は、女の子のいない状態を社会と呼べるものか、っていう点だ。

女湯と男湯が一緒だったら「銭湯は社会の縮図」という言葉を積極的に受け入れてもいい。というか、積極的に通いたい。その際には「膝を交えて」も「腹を割って」も「無礼講」も、そしてもちろん「裸のつきあい」も積極的に受け入れたい(*2)。果敢に実践したい。


特に「無礼講」あたりに魅力を感じる。

---
*1
この季節、カメラのなど撮影機材のほかに、タオルとシャンプー、石鹸などが荷物に加わる。

*2
さらに言うなら、膝以外も、いろいろ交えたい。
---
(総裁談)




2002/03/02  

攻撃をしかけられても政府の機能が維持できるように、政府高官約100人からなる「影の政府(シャドーガバメント)」が、秘密の地下施設で運用されている。

「政府高官約100人」
「影の政府」
「秘密の地下施設」

矢追純一の「シグマ計画」の話ではない。
テロリストの核攻撃に対処しようとするアメリカの話だ。
しかしここで「アメリカ」や「核攻撃」を付け加えたところで矢追純一の「シグマ計画」はまるで揺るがない。恐るべし矢追純一。

参考文献「矢追純一『宇宙人は本当に実在する』/河出書房新社」

(N談)




2002/03/01  

いくつかの鉄道会社が、携帯電話が使える車両や女性だけの車両など、さまざまな専用車両を企画している。

先日、秋葉原の下りのホームで電車を待っていたら、ぼくの隣にたくさんの風船をもった女性が並んだ。
その日は金曜日。時刻は12時前。案の定、到着した電車はかなり混んでいて、とても風船を複数持ち込めるような状態ではなかった。

その女性は、ちょっと迷った素振りを見せ、乗るのをあきらめた。次の電車を待つことにしたようだ。彼女とその風船達がどうなるのか見てみたかったので、ぼくもその電車に乗るのをやめて次の電車を待った。

しかし、やはり、次の電車も混み具合は同じようなもので、またも彼女は乗ることができなかった。ぼくは最期まで見届けたかったのだが、それはあまりにも不審だ。ぼくはその電車に乗った。手助けのしようもない。

おそらく、終電まで混み具合はひどくなる一方だろう。
彼女が乗ることができる列車が来るとすれば、それは終電後、密かにJRが走らせる、各駅で風船を持って困っている人たちだけを乗せる専用列車だ。

冬の夜、隅田川の川面を渡る車内で、ぼくは色とりどりの風船がいっぱいにつまった下り総武線を思い描いていた。(*1)

---
*1
特にオチらしいものがないときには詩的にまとめるといいということを発見。

(総裁談)




2002年2月のカモだより