●2005/09/30 |
友人の会社に、社内では知らない人のいない有名な部長さんがいるそうだ。 社内の人が口をそろえて「すごい人」という人なのだそうだ。よく知られたエピソードでは夜道で警官にやや理不尽な職務質問を受けたのに腹を立て口論となり「じゃあ相撲で決着を付けよう」ということになってその警官と一番結んだところ、接戦のすえみごとうっちゃり、その健闘を讃えられおとがめなしで握手して帰宅した、という武勇伝があるのだそうだ。たしかにすごい。もしかしてある意味警官の方がすごいんじゃないかという気もするが。 「でもねえ、仕事でもすごい人ってことになってるんだけど、このエピソード以外の『すごさ』は誰からも聞いたことがないんだよね」と友人が言っていた。 「桃太郎」と同じぐらいの知名度を誇る「金太郎」が、桃太郎とちがってちゃんとしたストーリーをほとんど知られていなくて「熊と相撲を取って勝った」というエピソードだけ覚えられている、という状況に似ていると思った。 ほんとに金太郎ってなんであんなに有名なんだろう。よく考えたら不思議だ。 (総裁談) |
●2005/09/29 |
オフィスで電話の取り次ぎをしようと思ったらその人はもう帰っていた、というときなんと言うか。先日「もう退社しました」って言ったら「え!辞めたんですか?」と驚かれた。そうか「退社」は辞めたって意味か。 確かに「退学」って言ったら学校を辞めることだ。学校から家に帰るのは「下校」だ。じゃあ会社から家に帰るのはなんだ。「下社」か。それは天下りか。 「もう帰りました」とも言いづらく以来なんとなく「打ち合わせに出たまま今日は戻りません」とかいうような言い方をしたりする。 「もう帰った」ということに言葉をあてがわなかった点に日本人の「遅くまで働くことは美」という意識が見え隠れしている。 なんだか勝手な社会批判になってしまった。というか、これは社会批判なのか。 (総裁談) |
●2005/09/27 |
「前世で悪行をはたらいたために、いまあなたはつらい目に遭っているのだ」という論理をときどき耳にする。輪廻というやつだ。 東洋ではおなじみのこの考え方だが、どうだろう。前世のことなんか覚えてないので、自分はその人の生まれ変わりだなんていわれても困る。他人と同じだ。他人の罪を今償うなんてただのとばっちりだとしか思えない。 来世の自分なんてどうせ他人も同じなんだから、と思えばあまり悪行を控えようという気にもならないだろう。抑止力に欠けるといわざるを得ない。 営業をやっている友人が「外注先の開発のミスをかぶらなきゃならなくなった。とばっちりだ」と言っていたのを思い出す。輪廻など持ち出すまでもなく、この世には理不尽な因果応報があふれている。 (総裁談) |
●2005/09/26 |
「ファンタスティック・フォー」という映画が公開された。 放射線を浴びて超能力を見につけた4人が悪に立ち向かう、というストーリーである。 この4人の超能力はそれぞれ個性的で、ひとりは自在に体を伸縮させることができ、ひとりは体を透明にすることができ、ひとりは発火能力と空を飛ぶことができ、ひとりは岩の体で怪力を持つ。 問題は2つめの透明人間の能力をもったのが4人の中での唯一の女性だという点である。 4種類のさまざまな能力のなかでも、この能力を女性に割り当てたのは賢明だったといわざるを得ない。男性が透明人間になったらやることはひとつだ。とても悪に立ち向かってなんかいられないと思う。 (総裁談) |
●2005/09/24 |
ひどく乱暴な分類だと分かっていつつ言うが、一般的に世の中の人間は「体育会系」と「文化系」とに分けられることになっている。 そして体育会系は、なんというか、言いにくいが、文化系にくらべて頭が不自由だということになっている。ぼくが言ったわけなじゃないですよ。一般的な話。あくまで。 いや、正直な話、ぼくはもろに文化系だったので、この「文化系は体育会系より頭がいい」という趣旨の都市伝説をすこし信じていたところがある。モテモテの体育会系に対する唯一の存在意義としてすがっていたのだ。 しかしサッカーがブームになるに従って「もしかしたら体育会系の人は頭がいいんじゃないか」と思うようになった。それはオフサイドのルールだ。 「賢さ」において底上げされてきた文化系の自分だが、何回聞いてもオフサイドのルールが分からない。なんなんだ、あれは。 あれがわかるなんて体育会系の人はとても頭がいいんだと思う。 (総裁談) |
●2005/09/22 |
iTunes Music Storeでちょくちょく音楽を買っている。 よく「そのうち携帯電話がなかった時代を知らない大人がいるようになる」とか「コンビニがなかった時代どうやって生活していたのか思い出せない」とか言うが、オンラインで音楽データを買うのが普通になると、CDを包装しているビニールがなかなかはがせないでいらつくことを知らない大人がいるようになるのだろう。 消費者に対するiTunes Music Storeの最大の貢献はあれをなくしたことだと思う。あと、輸入版買うとケースのヘリに貼られてるへんな銀色のシール。 (総裁談) |
●2005/09/21 |
「創業以来わが社に脈々と受け継がれるDNAが」といういい方を耳にした。 会社の偉い人とかのインタビューや談話でよくこの「DNA」とか「遺伝子」などの言葉を耳にするが、破れかぶれのときに根拠ない自信の表れとして使われるような気がする。国内製造業はいまだ好調とは言えないが、わが社には製造業のDNAが受け継がれているから大丈夫、とか。 きけば、人間のDNAの塩基配列の約半分は、その機能が殆ど分かっていない繰り返し配列が占めているそうだ。たぶん、上記のような企業のDNAもほとんど意味が分かってないんじゃないかと思う。 約半分が「繰り返し配列」というのもなんとなく納得。 (総裁談) |
●2005/09/16 |
先日はじめてCoCo壱番屋というカレーチェーンに行った。 こういうチェーン店の良いところは予想できる・安心できる、という点にあると思うのだが、ここではオーダーの際にご飯の量とか辛さをどうするかなどをきかれてとまどった。店員さんが外国の方で片言の日本語だったこともぼくの混乱を助長した。 「ほにゃらら○×○△☆※×はイカガナサイマスカー?」 普段行きなれている人なら、ああご飯の量と辛さについての質問を受けているのだな、と予想できるのだろうが、ぼくはココ初心者だ。わけが分からない。 ぜんぜん安心できない。よく料亭とか高級フレンチの店とかで味わう「注文の作法が分からなくて緊張する」というのと何ら代わりがない。これではチェーンの意味がないのではないだろうか。チェーンも一見さんお断り、常連優遇の時代か。 そう言う意味では現代の料亭とはサブウェイじゃないかと思う。 というか、自分で書いてていまどき「ほにゃらら」はないだろう、と思った。 (総裁談) |
●2005/09/10 |
足の裏から体の悪いところが分かるというマッサージがある。 いわゆるリフレクソロジーというものだ。足の裏のある部分をぎゅうと押されて「胃腸が弱ってますね」とかしたり顔で言われるあれだ。 体の各部位が足の裏とつながっていて、それはいわゆる反射区とか呼ばれているらしいが、神様は人間を設計するにあたってなんでまた足の裏なんかにそんなコンディションモニタを設置してしまったのだろうか。もっと他の場所でもいいだろうに。 だいたい、じゃあ足の裏が悪かったらそれは足の裏のどこに反射区としてモニタされるのか。 さらにいうなら胃腸が悪くて足の裏のある部分が痛かったら、その「足の裏が痛い」という状態が足の裏の反射区にモニタされ、そのことが再び「足の裏が痛い」という状態として…って無限に「足の裏の反射区」にフィードバックされてしまうのではないか。バッファオーバーフローだ。人体におけるちょっとしたセキュリティホールかもしれない。 この「足の裏の反射区」のセキュリティーホールを悪用した不正アクセスによるマシンの乗っ取りの危険性が憂慮される。 「足マッサージしてあげるよ、俺うまいんだぜ」とか言ってベッドインに持ち込むのがそれか。 (総裁談) |
●2005/09/08 |
ジュエリーとかバッグとかの名門ブランド、カルティエ。 このカルティエって、昔は「カルチェ」って言ってなかったか。あと「カルチエ」と呼ばれていた時期もあったように思う。 綴りは「Cartier」だ。ぼくはフランス語に詳しくないが、たぶん「カルティエ」が実際の発音に近いんだろうと推測する。 その昔「カルチェ」って呼ばれちゃっていたのが「カルチエ」になって、そしていま「カルティエ」に。これが日本におけるカルティエの歴史だとすれば、実際の発音に近づいてきたのだから、カルティエにとって歴史は良い方向に進んでいるんだろう。 だけど、「Cartier」はやっぱり「カルチェ」がふさわしいような気がする。なんとなく。ハンチング帽は「ハンチング」であるべきであって「ハンティング」と呼ばれるべきではないように。 必ずしも正確であることが善ではない。Cartierは「カルティエ」と呼ばれることと引き替えに大事な何かを失ったのではないか。 べつに失ってないっすね。 (総裁談) |
●2005/09/07 |
宇宙人はなぜかカタカナでしゃべる。マンガや小説に登場する彼らのセリフがカタカナだ、という意味だ。 ほかには外国人やロボットもカタカナでしゃべるのが伝統だった。 しかし、最近はそれら劇中でもロボットはカタカナでしゃべらない気がする。発言をカタカナで表記することが聞き手と発言者との間の心理的・文化的な距離を表現しているものとすると、ロボットが身近なものになったということかもしれない。昨今のロボットブームの成果か。 また同様に外国人もカタカナではしゃべらなくなってきているように思う。これも外人が珍しくもなんともなくなったということだ。 あとは宇宙人だ。残念なことにぼくが死ぬまでに宇宙人が身近な存在になることはないと思うので、このままカタカナでしゃべり続けるんだろうと思う。 しかし一方でカタカナ表記それ自体が表現方法としてなんだか古いという問題もある。最近少年漫画でも外人が英語をしゃべる様がちゃんと英語で書かれていたりするのはそういう意識も手伝ってのことではないか。 宇宙人のしゃべりも新たな表現手法を開発しなければならないのでは、と思うがなんせ外人とちがって宇宙人の言葉が実際どういうものなのか誰も知らないので少々やっかいだ。 「ぁナ=ιゎ宀干ュ宀ι゛ωτ゛す」とかギャル文字で表現するのも良いと思う。うそ。よくない。 (総裁談) |
●2005/09/05 |
夏ももう終わりだが、みなさん旅行など楽しまれただろうか。 夏の旅行といえば海と山ということになっている。「海派?山派?」などとも言うが、考えてみたらこの二択はどうなんだろう。海はよいとしても、山ってそんなにメジャーか。「派」などと信条のカムアウトを迫るオルタナティブとしてかなり強引ではないだろうか。 というか「海はよいとしても」って言ってしまったが、「海派」だってどうなんだろう。少なくとも今年の夏海に行っていないぼくにとっては海も山も縁のなさでは一緒だ。だいたいクロールができないし、ぼく。 そう考えるとこの二択はほぼ、例の「うんこ味のカレーか、カレー味のうんこか」という究極の選択と変わるところがない。「タカ派?ハト派?」と迫るのと同じぐらい無茶だ。 山を二択の片方に据えることの不自然さを書こうとしたが、はからずもぼくのこの夏のしょぼさが露呈してしまったのでここらへんにしておきたい。クロールできないとか言っちゃったし。「オルタナティブ」とか言って煙に巻こうとしたがダメなものはダメだってことだ。なんだこの文章。 (総裁談) |
●2005/09/04 |
あるいはご覧になった方もいらっしゃるかと思うが、過日テレビに出演した。 そのごしばらくたって先日、出演したテレビ局の方から突然電話がかかってきた。「選挙に出馬なさったり、応援演説をされたりする予定はありませんか?」とのこと。 なんなんだいきなり、と思って話を聞いてみれば出演した番組の再放送が選挙公示後なので、もしそういう予定があるのだとすれば公平を期すため放送予定日を変更するから、とのこと。そういうことか。ごくろうさまです。 ていうか、団地マニアが出馬って。どんな政策を掲げるのか。 ・団地は古びたままで!団地の建て替え阻止! ・団地周辺の植林反対!(撮影しにくいから) ・布団干すの禁止!(撮影で邪魔になるから) すいません。出馬とか絶対しません。 (総裁談) |
●2005/09/02 |
「あたし蚊に刺されやすいの」という人がいる。しかもちょっと自慢げに。うれしいか、蚊に刺されて。ぼくはやだよ。 「あたし雨女なのよ」とか「もう最近忙しくて全然寝てない」といった類の「不幸自慢」といっしょかと思う。うれしいか、いつも雨で。寝不足で。ぼくはやだよ。 「あたしって霊感強いのよね」っていう人の真意を図りかねて困ったものだが、あれも同じような「不幸自慢」なのかもしれない。 うれしいか、霊とか見えて。ぼくはやだよ。ついでに蚊に刺されちゃえ。 (総裁談) |
●2005/09/01 |
「タンスにゴン」のCMには長らく沢口靖子さんが出演している。調べたところ6年前からだそうだ。 このCMはなかなか個性的な内容でしばしば話題になったものだ。たぶん初出演当時は「きれいな女優さんがこんな変なことをやっちゃう」という意味合いのものだったのだと思う。 しかし今、沢口靖子さんを「きれいな女優さん」として認知している人はどれだけいるのだろうか(*1)。最近は彼女のTVでの女優活動をあまり目にしないので、もしかしたら彼女はすでに女優ですらなく、「ゴンの人」でしかなくなっているのではないか。 「きれいな女優さんなのに」という前提がなくなると、結果的にたまに女優として出ているところを見かけると「CMでヘンなことをやる人が女優業もやっている」と受け取られるようになってしまう。憂慮すべき逆転だ。コペルニクス的転回だ。 ぼくもこのサイトを始めた当時は「ふつうの会社員が変なことをやっている」だったのに、最近では「団地マニアなのに会社員ですか!?」とか言われることが多くなった。なによその「なのに」って。 聞けば沢口靖子さんは6年続けたこのCMから降板するそうだ。上記のような自体に危惧を抱いたのだとすればすこし遅きに失したのではないか。 ぼくもそろそろ団地から降板すべきだろうか。なんだ「団地から降板」って。 --- *1 もともと当時からべつに「きれいな女優さん」じゃないだろう、あの歯グキが、とかいう意見はこの際置いておいて。別にそんな意見はありませんか。言い過ぎですか。いや、きれいな人だと思いますよ、ぼくは。 --- (総裁談) |
2005年8月のカモだより |