2005/08/31  

「人身」っていう言葉は本来「人間のからだ」っていうだけの意味なのに、なにやら不吉な響きがする。それはこの言葉が「人身事故」ぐらいでしか使われないからだ。あと「人身売買」とか。

「人身」がかわいそうだ。もっといろんな場面で使ってやってニュートラルな意味に戻してあげたい。たとえばセックスを「人身プレイ」とか呼んだらどうだろう。どうだろう、って。

あと絶滅危惧種としては「放置」が挙げられると思う。この言葉「放置自転車」か「放置プレイ」ぐらいでしか使われなくなりつつあるのではないか。

(総裁談)
 
 
 

2005/08/26  

『新党「日本」』という政党ができたとか。

その内容についていろいろと言われているが、ぼくが興味があるのは『新党「日本」』という語順だ。なんかいまどき風だ。

もうひとつの新党「国民新党」が『新党「国民」』だったら、と考えるとこの語順の食感がよく分かると思う。分からないか。

もちろん「日本新党」はすでにあるから、という説明もあるだろうがそれはエクスキューズだ。だって『新党「日本」』の母体は、新政策機構「チームニッポン」だそうだから。

何年か前にVリーグのオープニングセレモニーで日本チームが登場するとき赤坂泰彦が「ヒア・ウィ・ゴウ! チームニッポン!」と高らかに呼ばわっていたのを思い出す。「ああ、時代はもう『日本チーム』じゃなくて『チームニッポン』なんだ」と思ったものだ。最近はオリンピックとかサッカーでもよく「チームニッポン」って言ってる。(*1)「チームジャパン」じゃないところがポイントだと思う。

そのうち「日本・ザ・新党」とかが現れるんじゃないかと思う。

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*1
あと「チーム・マイナス6%」とかもな。

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(総裁談)
 
 
 

2005/08/25  

25ans(ヴァンサンカン)という女性誌がある。ワンランク上のエレガンススタイルを提案する、国際性豊かなクラスマガジンだ。(雑誌の紹介文章ママ)

25歳を意味するこの「25ans」だが、はじめてこの雑誌を見たときにはまさかこれが「ヴァンサンカン」と発音するなど思いもよらなかった。 読めない言葉をあえて名前とするあたりにすでにワンランク上感が漂う。こういう手合いに言ったら負けだが、しゃらくさい。

そんな経緯があったので「R25」というフリーペーパーが出現したときはずいぶん警戒したものだ。特に「175R」が読めなかった経緯もあり、会話には 気を遣った。「駅とかに最近ある、タダの、あのやつ」とか。

ふたを開けてみれば、読み方は「アールにじゅうご」。すばらしい。そのまんまだ。ターゲットは同じ25歳以上の世代だが、R25サイドのこのおもてなし感。 25ans は1980年創刊、R25は昨年の創刊。時代を経てバリアフリーが進んだということだろうか。時代は確実に良い方に動いていると思う。

25ansは発行部数11万部でR25は60万部。この数字に分かりやすいタイトルの重要性のすべてが表れていると思う。この二つの雑誌を単純に部数で比較するのはなにか大きく間違っている気が するが、そういうことにしたい。

この調子で今後は「C de C」も「シー・デ・シー」と呼んで良い時代になって欲しいと思う。

(総裁談)
 
 
 

2005/08/23  

この前テレビを見ていた父親が「サッカーって、いつも最終戦やってないか?」って言ってたのが面白かった。

そして野球はいつもオープン戦をやっている気がする。

スポーツ観戦に全く興味のないぼくだが、つまり、サッカーと野球の決定的な違いとはこういうことなんだろうと思う。よく分からんが。

(総裁談)
 
 
 

2005/08/19  

テレビで「戦後60年を考える」といった感じの討論番組を見た。

この手のデリケートかつややこしいテーマを議題とした議論というのは、どこにも着地しない。論客たちはそれぞれすでに確固たる考え方を持っており、それを述べ合うだけだ。

そして最後に司会者が言うのだ「こういった議論を重ねていくこと自体が大事ですね」って。「参加することに意義がある」みたいだ。たぶん戦後60年間に渡ってこの手の議論はずっとこういって締めくくられてきたんだと思う。

今度なにも決まらない会議の最期にこのせりふを言ってみようかと思う。

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本日8/19更新のデイリーポータルZ「給水塔を鑑賞する」という記事を書きました。団地の給水塔がいくつか登場します。

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(総裁談)
 
 
 

2005/08/15  

高校野球を見た。

一塁付近に、一生懸命セーフ!セーフ!って主張する人がいる。どう見てもアウトなのに。あのひとはなんなんだろうか。一生懸命言い張れば審判がつられてアウトをセーフって言っちゃうとでも思っているのだろうか。

仕事でプレゼンテーションをしている人の横で「そうそう、これが当社にしかない技術でして」とか「そうなんですよねー他社のものとはここが違いまして」とかその企画がいかにすばらしいかプレゼンテーターの話の腰を折って一生懸命解説する人がいるが、あれに似ている。

自分がプレゼンするときにこういう人がいるととてもやりづらいし、恥ずかしいし、ときには逆効果なんじゃないかと思う。バッターも同じ気分なんじゃないだろうか。そういう気分は社会人になってからで十分だ。高校生の夏には似合わない。

(総裁談)
 
 
 

2005/08/13  

帰還したスペースシャトルが飛行機の上に乗っかって運ばれる映像をご覧になっただろうか。

なんでもスペースシャトルは自力で飛行機のようには飛べないので、帰還後基地に運ばれるときにはそうやって飛行機にごやっかいにならなきゃならないそうだ。

宇宙に飛び立ち数々の問題に直面しながらも無事クルーを生きて地球に帰還させるという、ほかのどんな乗り物にもまねのできないミッションを成功させる力量を持ちながらも、地上では自分じゃ飛べない。なんとも間抜けな光景だ。

すごい人脈豊富でやり手の営業部長なんだけど、経理処理がぜんぜんできない、みたいでなんかげんなりする。

(総裁談)
 
 
 

2005/08/09  

テレビで「クローズアップマジック」と呼ばれる手品を見た。観客に至近距離で見せるマジックのことだ。

その名の通りすぐそばのカメラで写された映像を見ていたが、ぜんぜん種が分からない。すごい技術だと思う。

これを見てからお店で一万円札を出したときに「お確かめください」って言われておつりの千円札を店員が数えるのが信用ならない。あんた、もしかして。

マジシャンのギャラがいくらか知らないが、コンビニでおつりちょろまかす方が稼ぎが良かったりするんじゃないか、とかいろいろ思ってしまう。

本屋で「簡単!クローズアップマジック入門」とか目にするとどんどん疑心暗鬼になっていく。

(総裁談)
 
 
 

2005/08/07  

なにかっていうと物事を野球でたとえる人がいる。

「さしずめ今は9回裏ってところですか」
「営業マンはバッターであり、経理はキャッチャーだ」
「選球眼が大事だよ」
「営業はツーストライクからだよ」

なんで野球か。野球のことぜんぜん知らないんで、野球で表現されても困る。「はあ、そうっすね」とか言っちゃう。同じ分からないんだったらいっそのことクリケットとかのほうがすっきりする。

有名な野球用語のひとつである「外野は黙ってろ」っていうのは特にひどいと思う。

キャッチャー:「タイム! どうした、長野」
ピッチャー:「いや、おれ、もうダメかも」
ファースト:「何言ってんだよ。あと2人じゃないか、お前なら投げきれるって。自信持てよ」
ピッチャー:「いや、もうだめだよ、おれ」
レフト:「そんなことないって!」
キャッチャー・ピッチャー・ファースト:「外野は黙ってろ!」

野球ってひどい。

あと「トイメン」とか「リーチ」とか「ツモった」とかマージャン用語も困る。さっぱり分からない。

(総裁談)
 
 
 

2005/08/06  

いま大阪にいます。あした(というか今日)12時から13時ぐらいの間、ライターとして原稿を書かせていただいているデイリーポータルZが出展するBBフェスタ大阪にいます。お時間ある方は、ぜひ。ぼくは何もしないけど。

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アスベストが話題だ。

子どもの頃、身近な建物にはけっこうふつうにアスベストが使われていたようだ。というか、理科の実験でアルコールランプ使うときのお供に金網があったが、あれの白い部分って確かアスベストだった。

アスベスト以外にも給食で使ってたアルマイトの食器とか、プールに入る前に浸からされた高濃度塩素の「腰洗い槽」とか、「実は有害でした」みたいなのが多い。小学校って「実は有害でした」の宝庫だ。次はなんだろう。

スイカを皮まで食べちゃうのも「実は有害でした」あたりか。

(総裁談)
 
 
 

2005/08/04  

例のスペースシャトル船外活動に関しては「え?それでおしまい?」と思った方が多かったのではないか。

耐熱タイルの間の目地が飛び出てしまったのを取り除く、という史上初の作業であった。しかし、結果は「引っ張ったら取れた」。拍子抜けも甚だしい。

もちろん、無重力の宇宙空間での作業がとてもたいへんだということは分かる。プレッシャーも相当なものだっただろう。それでもさんざん煽ったあげくに「引っ張ったら取れた」。なんだよそれ、と思う。ほんとうにたいへんなことだったのか、ぼくにも出来るんじゃないか、という気にもなる。

しかし、だいたい宇宙飛行士になること自体がたいへんなことなのだろうから、あの「引っ張ったら取れた」にそれまでの血のにじむような努力が凝縮されていると思えばいいのか。

さんざん待合室で待たされた挙げ句に診察は30秒で終わり、診断は「風邪ですね」。「え?それでおしまい?」というあれにちょっと似ている。なんだよそれ。ぼくにも診察出来るんじゃないか、という気にもなる。

しかし、だいたい医者になること自体がたいへんなことなのだろうから、あの「風邪ですね」にそれまでの血のにじむような努力が凝縮されていると思えばいいのか。

やっぱりどうかと思う。

(総裁談)
 
 
 

2005/08/03  

迷惑メールのタイトルは大きく二つに分類できる。

一つはさも迷惑メールでないかのように装ったタイトルで、もうひとつはストレートに内容を表現したものだ。

前者は「先日の件」とか「こんにちは」とかそういうタイトルであり、後者は「絶対儲かる!10の秘密!」とか「女子校生がいっぱい!」とかそういうタイトルだ。

実際のところどんなタイトルであろうと、最近のスパムフィルターは優秀でたいていの迷惑メールは自動的に隔離されて読まれることはないのだが、なんとかメールを読ませようと各業者が必死に小細工を弄す中、後者のような歯に衣着せないタイトル使いはむしろ好感が持てる。

しかし一方で自分が仕事で言いづらいメールを出すときのタイトル選びを考えると前者にも親近感を覚える。ぼくはクレームのメールが苦手なのだが、そんなときはまさに「先日の件」などというファジーなタイトルを使ったりする。

今気が付いたがクレームに全く手応えがないのは、もしかしてフィルターにはねられてるのかもしれない。

(総裁談)
 
 
 

2005/08/03  

国連のとある募金に協力したところ、領収書と丁寧なお礼状と基金の趣旨説明などが記された書類が届いた。

心配りの利いた対応だが、たかだか数千円の募金にこんなことをされると少々無駄な気がしないでもない。この書類の作成と発送にかかった経費はどれぐらいなのだろうか。

そういう書類を希望する人には対応してもらって、ぼくのような人間に関しては特に報告とかいらないからその経費分もできれば基金の本来の使い道に回して欲しい。そうはいかないものだろうか。

と思ってはたと気が付いたのが、税金ってそんな感じじゃないか。

やっぱり報告して欲しい。報告ってだいじ。

(総裁談)
 
 
 

2005年7月のカモだより