2005/07/30  

夏は特別な季節だとされている。

気候的に言って過ごしやすいのは春や秋だ。決して夏は過ごしやすいとは言えない。最近みなさんも実感していることと思う。

それでも夏が好きだと言ってはばからない人は多い。やはりなんと言っても四季の王様は夏だ。

好きと言うには問題の多い夏だが、それでも愛好者が多いのはそれは休みが多かった学生時代の記憶のせいなのではないか。小学生、中学生、高校生、大学生と夏休みはまさに生きる喜びそのものだった。しかし考えてみれば、夏は厳しい季節だからこそ長い休みが与えられるものなのだ。はなから無条件に好きになれる季節じゃない。「夏は恋の季節」とか浮かれている御仁達にはしっかりしろ、と言いたい。

一方でたまに冬が好きと言う人もいる。そう言う人は例の韓国ドラマに影響されている節があるのかもしれないと思う。

もしかしたら、あれは夏による市場独占に対抗するための広告代理店の戦略だったのかもしれない。なんのためにそんなことをするのかは分からないが。

そんなことより、あの夏の輝きをとりもどすために、学生並みとはいわないものの夏休みをくれ、と言いたい。ペとかソナタとかそういうおためごかしはいいから。

(総裁談)
 
 
 

2005/07/29  

「うるおい」が苦手だ。

ハンドソープやボディソープなどによく「うるおい成分」などが配合されているが、あれが苦手だ。手を洗ってすすぐが、いつまでたっても石鹸のヌルヌルがとれない。むきになってすすいでいるうちに、はっと気がつくのだ。これは、もしかして、うるおい?

そのヌルヌルが石鹸のそれなのか、うるおい成分のそれなのかみんなどうやって判断しているのだろうか。前者のヌルヌルから後者のヌルヌルへはシームレスに移行するのでなかなか判断が難しいと思うのだが。少なくともぼくには見分けがつかない。

みんな「うるおい」だと思っているものは実は石鹸成分のヌルヌルかもしれない。みんな騙されてやしないか。だいじょうぶか。

あと似たような理由でぼくにはリンスのすすぎ具合もよく分からない。リンスを頭髪に浸透させた後すすぐが、あれはどこまですすいでいいものなのか。なんとなくヌルヌルがいやでしっかりとすすいでしまうのだが、たぶん台無しなんだと思う。

考えてみれば「うるおい」と「ヌルヌル」は同義ではない。ヌルヌルではないうるおいがあったっていい。そうすればこんな風に消費者を混乱させずにすむ。

いま求められているのは「カサカサのうるおい」だと思う。なんだそれ。

(総裁談)
 
 
 

2005/07/27  

小学生の頃、地震があったときにすべきとされる行動がどうにも納得いかなかった。

曰く、「机の下に隠れる」「すぐに窓やドアを開ける」。1つ目の行動は言うまでもなく落下物から我が身を守るため。2つ目は地震で建物がゆがんで窓や扉が開かなくなって外へ出られなくなるのを防ぐためだ。ひとつひとつは納得のいく対応だが、しかしどう考えてもこの2つは同時には行えない。

しかもさらに「ガラスが割れるなどしてあぶないので窓には近づかない」という注意もあった。お前は窓を開けさせたいのかそうじゃないのかどっちなんだ。

こういう相矛盾する指示に混乱するのは、ぼくが子供だったからだと思う。「まあうまいことやってよ」といったあいまいな対応は大人にしかできないアクションだ。実際、大人の世界にはもっと納得のいかない矛盾だらけの指示がたくさんあるが、みんな空気を読んでそつなくこなすものだ。むしろ筋の通った指示などめったにない。

「上からの指示で追加の仕様を盛り込んでいただきたいんだが、納品は1ヶ月早めてもらいたい」

やはり大事なのは、大惨事のなかでとにかく生き残ること。それにつきると思う。

(総裁談)
 
 
 

2005/07/26  

NEWSというジャニーズ系のアイドルのメンバーの一人が未成年であるにもかかわらず、いわゆる酒の上での失態というやつをやってしまい、無期限の芸能活動停止を言い渡されたという。

それに対し、ファンが復帰を願って署名しているとか。しかしその署名、誰に渡すんだろう。

不祥事をしでかして処分されたが、それに不服だと言ってファンが署名活動をする。

海老沢会長とかナベツネの辞任に対してもファンは署名運動すればいいと思う。誰に渡すんだか分からないけど。根強いファンはきっといると思う。

ぼくもいつ不祥事をするかしれない。とりあえず署名活動をやってもらえるようにがんばりたいと思う。

妙に社会派になってしまったので、ここらへんで。

(総裁談)
 
 
 

2005/07/24  

7/13の「カモだより」で「サードパーティー」について書いた。

他社のOSやハードウェアなどに対応する製品を作っているメーカーを、純正メーカーと対比して「サード」と呼んでいるらしいが、それだったら「セカンドパーティー」じゃないのか。いったい2番目はどこにいったんだ、という内容だった。

つまり、純正メーカーは当然「ファースト」だと思っていたのだが、とある方からのご指摘によれば、純正メーカーは「セカンド」なのだそうだ。びっくり。

だったら、「ファースト」はなんのか。なんとそれは顧客なのだ。

お客さんが「ファースト」。「サポーターは12番目の選手」みたいでなんか嫌だ。

(総裁談)
 
 
 

2005/07/22  

本日7/22付けのデイリーポータルZ「立体駐車場を鑑賞する」というなんとも分かりづらい内容の記事を書きました。

あるいはこの団地サイトをご覧いただいている皆さんには多少ぐっとくるかもしれませんが、一般的にはぽかーんとしてしまう思います。それでも書かずにはいられませんでした。こういうのを「業」というのでしょうか。こんどこそライタークビかもしれません。

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とあるセミナーに参加した。講師は外人さん。カナダ人だった。

喋り手が外人さんの場合しばしば起こることに、聴衆の日本人の反応が妙に外人っぽくなる、というのがある。

日本人が講師であったなら絶対こんなところで笑わないだろ、というところで笑ったり、「Ah〜」って感じで妙に感心した声を出して反応したり、質疑応答が妙にユーモアを交えた内容になったりする。

グローバル社会などと言いつつ、まだまだ日本人は外人に対して構えているのだと思う。

講師が外人であっても、いつもと同じように居眠りしたり、かかってきた携帯電話に小声で答えながら会場をこそこそ抜けていくような平常心でありたいと思う。

(総裁談)
 
 
 

2005/07/20  

忍者が麻を育ててそれを毎日飛び越えることでジャンプ力を鍛えるという話を聞いたことがあるだろうか。

前の日よりもちょっとだけ高くなっている麻を飛び越えることを繰り返しているうちに、いつのまにかものすごいジャンプ力を身につける、という寸法だ。

自分のジャンプの自己ベストがNセンチなら、次の日にNセンチ1ミリを飛べても不思議はない、というのはなんとなく説得力のある話だが、実際はそんなにうまくはいかないだろうと思う。どこかで限界がくるはずだ。やらされる忍者もさぞかしつらいことと思う。

ところで、以前知り合いが過労で倒れて入院した。入社以来少しずつ残業が増えてゆき、倒れる前数ヶ月の超過勤務時間は150時間もあったとか。先月の残業時間がN時間だったら次の月はN+1時間ぐらいこなせても、というのはやはり無理がある。

忍者が麻を飛び越えさせられるのも、ちょっとした組合問題なんじゃないかと思う。

(総裁談)
 
 
 

2005/07/20  

先日ビジネスホテルに泊まったときのこと。洗面所の蛇口に「この水は飲めます」とあり、脇にその英訳が書いてあった。「Drinking Water」と。

ぼくのつたない英語力だけを頼りに思うところを述べさせていただくと、これは間違いじゃないのか。それは水が何かを飲んでいる情景描写になってしまうのではないだろうか。

水は「飲まれる」のだから「Drunk Water」じゃないのか。いや、しかしこうやって書いてみるとまるでアルコール飲料が蛇口から出てきそうな感じがする。やっぱり違うのか。あるいは「Drinkable Water」か。これもいかにも日本人的な英語のような気もする。

そんな悶々としてところに今日の昼食時に目にした「飲むヨーグルト」の文字。

(総裁談)
 
 
 

2005/07/18  

そろそろセミの声を聞く季節になった。

7月初旬とかにその年最初のセミの声を聞くたびに複雑な心境になる。ちょっと早すぎやしないかと思うのだ。なんせ成虫になったら寿命が短い昆虫だ。こんなフライング気味で鳴いたところで、ちゃんとメスが見つかるのか。

ぼくがセミだったら「まだまだ早いよな」「もういいかな」「いやいやまだまだ」とか思って間合いを計っているうちに秋が来てしまうんだと思う。

(総裁談)
 
 
 

2005/07/17  

「アキレスとカメ」という話がある。紀元前5世紀ころの古代ギリシアの哲学者ゼノンが考えた、俊足で名高いアキレスはいつまでたっても前を歩いているカメに追いつくことが出来ない、というパラドックスである。

ところで、ぼくは長距離走が苦手だった。

正直にいうなら長距離走に限ったことではなく、体育全般が苦手だった。そのなかでも特にマラソンが苦手だったのだ。冬のマラソンの季節になると本当に憂鬱になった。嬉々として走る連中の気が知れない。

思うに、運動神経云々より以前にぼくにはいわゆる「根性」というやつがまったくもって欠けていたのが問題だったのだろう。運動神経よりも根性が最も如実に現れるスポーツ、それが長距離走なんだと思う。

前述のゼノンのパラドックスは、どちらかというとマラソン大会で一番になっちゃうような体育会系の人間より、根性のない「文化系」な人間が形而上的思慮をめぐらせるのにうってつけの問題だと思う。だがしかし、だったらなぜ「アキレスはいつまでたっても前を歩いているカメに追いつくことが出来ない」というように、アキレスが主語なのか。

せめてこういう文化系の人間向けの問題ぐらいは「のろまなカメは俊足のアキレスにいつまでも追い越されることがない」というようにカメのほうを主語にしてほしかったと思う。

(総裁談)
 
 
 

2005/07/13  

コンピューター関連の用語で「サードパーティー」という言葉がある。他社のOSやハードウェアなどに対応する製品を作っているメーカーのことだ。

昨日、二次会について書いたが、この「サードパーティー」は日本語に訳すとさしずめ「三次会」だ。

この「サードパーティー」。OSや機器を製造した純正メーカーと対比する意味で「サード」らしいのだが、それだったら「セカンドパーティー」じゃないのか。いったい2番目はどこにいった。

三次会ごときで、二次会か三次会か分からなくなるのは早過ぎると思う。

(総裁談)
 
 
 

2005/07/12  

「二次会」というのがいまひとつよく分からない。いいじゃん、一次会のままで、といつも思う。

ところでロックバンド「HOUND DOG」がデビュー25周年記念コンサートを行い、そこで巷で噂されている解散説を否定したようだ。

「巷で噂されている」と書いたが、正直に言うとそんな噂は聞いたことがなかったし、きっとそんな噂はなかったのではないかと思う。より率直に言うと「HOUND DOGってまだいたんだ」というのがぼくの感想である。だからそんな噂流布しようもないのではないかと思うのだ。ファンの方には申し訳ないが。ほんとすいません。

一方で「SHOUW−YA再結成!」というニュースも聞いた。そういうニーズがあるのか、というのはおいておいて、「HOUND DOG」も「SHOUW−YA」もぼくのなかでは遠い過去であり、「まだいた」と「またやるんだ」の間の違いはそう大きくはない。ファンの方には申し訳ないが。ほんとすいません。

ただ思うのは、そんな状態だったら「まだやる」よりも仕切り直して「またやる」のほうがなんとなくありがたみがある。リフレッシュ感というか。

つまり二次会とはそういうものなのかもしれないと思った(*1)

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*1
そしてやっぱりそんなんだったら一次会で終わりにしてもいいんじゃないかと思う。

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(総裁談)
 
 
 

2005/07/08  

前から気になっていたのだが、駅にある定期券の落とし物を知らせる掲示板に書いてある名前に、異常に外国人の名前が多い。

「ルーク・S・パンチャマ」とか日本人がおもしろがって使う偽名とは思えない素の外人名がよく並んでいる。日本にいる日本人と外人さんの割合を考えるとかなりの高確率で外人さんが定期を落としていることになる。

会社の人ですぐ「中国人はずるいから」とか「アメリカ人はバカだから」とか言う人がいる。いわゆる偏見というやつだ。

日々なるべくこういう偏見を抱くことなく生きていこうと思っているぼくだが、「日本にいる外国人にはおっちょこちょいが多いのではないか」という思いをぬぐえない。なんなんだろう、あれは。

(総裁談)
 
 
 

2005/07/07  

マッキントッシュのコンピューターはウィンドウズに比べてウィルスなどにやられる可能性が低いと言われている。

つくりがウィンドウズにくらべて多少セキュアだということもあるだろうが、最大の理由はマックユーザーが少ないので彼らをターゲットにウィルスなんて作らない、というものだ。

ただ、ここのところマックもふたたび人気が出てきていて、今後はマック向けのウィルスも多く出てくるだろうという専門家もいる。

ぼくはマックユーザーなのでこれは困る。

あと、マックの人気が出ると結果的に「マック」という言葉が日常的に口に上るようになる。そうするとマクドナルドの略称である「マック」と区別が付かなくて難儀するということも多発するようになるのではないか。

そうしたらやはりマクドナルドは関西風に「マクド」と言わねばならなくなるだろう。

ぼくは関東の人間なのでこれは困る。

いろんな意味でマッキントッシュは不人気のままでいて欲しいと思う。

(総裁談)
 
 
 

2005年6月のカモだより