●2005/06/30 |
K会、A会。 例の「鋼鉄製の橋梁工事を巡る談合事件」のニュースでしばしば耳にする談合組織である。 調べたらこの「K」「A」はそれぞれ「紅葉(こうよう)会」「東(あずま)会」の頭文字だそうだ。しかし、なぜわざわざアルファベットの頭文字にしたのか。実にそれっぽくてむしろ好感が持てるのだが。 たぶん、その目的ゆえ口をはばかって隠語的にそう呼ぶうちに定着してしまったのではないかと思う。つまりイニシャルトークだ。バナナ大使だ(*1)。 ところで「頭文字+会」で思い出すのは「Z会」だ。ハイレベルな通信教育でその世界でも一目置かれるブランドだ。たぶん。 このZ会。通信教育ではなく談合にこそ関わって欲しい「Z」だが、もともとはなんなのか。何かの頭文字なのか。 調べたところ「増進会」の頭文字とのこと。増進。これまた実にゼネコン、って感じだ。すてき。 「総裁」としては、今回の鋼鉄製の橋梁工事を巡る談合事件については、「紅葉」だの「東」だのおためごかしになんだか風流な名前など付けずに、「増進」ぐらいの勢いがほしかった、と苦言を呈したいと思う。以上。 --- *1 団塊ジュニアより若い方々にはわけが分からないと思う。すまん。 --- (総裁談) |
●2005/06/29 |
ひさしぶりに子音だけで名前を綴ったものをメールアドレスのアカウントにしている人にあった。 「nkmr@mail.com」という具合だ。「中村」が「nkmr」。 一時期はやったこのこじゃれ表記法だが、最近見なくなった。いっしょにいた若い子はこの表記方法を知らず、一生懸命解読しようとしていた。「なんて、かっこいい、ま…、マン?」とか言ってた。なんだそれ。 ところで古代エジプト文字のヒエログリフ。このヒエログリフはちょうどこのnkmrのように子音しか表記しないそうだ。だから、実際どのように発音していたかは未だ謎で、現在では暫定的な母音を付加するルールでもって発音しているらしい。 すたれて解読できなくなった「nkmr」を一生懸命解読するくだんの若い子は、さしずめロゼッタストーンを解読するシャンポリオンか。 もしかすると古代エジプト人もこじゃれただけなのかもしれないと思うと、シャンポリオンが不憫でならない。 (総裁談) |
●2005/06/28 |
「パーソナルコンピューターと市民革命」といった感じの記事を読んだ。曰く、パソコンがただの一般の市民にも力を与えたのだ、と。 ところでことしが平成何年か自信を持って言えない。西暦だとためらいなく2005年だと言えるが、平成はだめだ。こういう人は多いのではないか。 そもそも平成何年かの手がかりが身の回りに少ない。今パソコンに向かって文章を書いているわけだが、画面右上の年月日は西暦で標記されている。携帯電話を開いても西暦だし、カレンダーも手帳もそうだ。 最近ではお役所の書類も西暦で表記するところが増えてきているが、会社ではいまでもときおり『平成 年 月 日』と、平成で記入日を書かせようとするものにお目にかかる。困る。 一昔前なら恥を忍んで人に尋ねて書き込んだものだが、いまではこの手の書類もほとんどが電子的なファイルで送られてくる。 だから、『平成』の部分を勝手に『西暦』に変えて(あるいは『平成』を消して)力強く『2005』と入力する。書類が紙に手書きだった時代にはできないことだ。 これがパーソナルコンピューターによる市民革命なのだと思う。 (総裁談) |
●2005/06/25 |
もしかしたら自分以外の人間はみんな役者で自分をだまして演技しているのでは、という妄想を抱いたことはないだろうか。 小学生や中学生の頃にそんなこと思ったなあー、という人は多いのではないかと思う。 しかし、大人になるとこういうことを考えなくなる。なぜ大人になるとこういう妄想を抱かなくなるのか。 それは合理的・常識的な思考をするようになるからではなく、役者が演じているにしてはあまりにひどいシナリオだからだ。 だって、ほんとに今日みたいな会議はシナリオに必要ない。 --- *1 この年頃に抱きがちな妄想にはほかに「自分の考えはぜんぶ他人に読まれているのではないか」というものがある。「お前がおれの考えを読んでいるのは分かってるんだぜ」とかつぶやいたりして。 --- (総裁談) |
●2005/06/24 |
会話の中で「そのひと、芸能人だと誰に似てますか?」と聞かれた。 この質問はよく耳にするが、そんなに人はいずれかの芸能人に似ているものなのか。 一般的な傾向として芸能人には美男美女が多いのではないかと思う。おのずとその顔の造作分布はハンサム領域に偏っているはずで、一般の人の多様な造作空間をカバーしきれるはずもない。 しかし、伝達しにくい顔のできばえを芸能人にたとえる、というのは優れた表現方法だと思う。この方式を今後も活用して行くには、芸能人側の顔のバリエーションをもっとあらぬ方向を含めて拡張しなくてはならない。 今後、芸能界に求められているのは思い切った領域にプロットされる顔立ちをもった人材だということだ。 先日とある女性に「なぜ森三中が人気があるのか分からない」と聞かれたのだが、つまりそういうことだ、と説明しようと思う。 (総裁談) |
●2005/06/23 |
ロボットが脚光を浴びるようになって久しいが、彼らはどれほど進化したのだろうか。 ロボットが最終的にいきつくところは人間と同じ能力を持つことなんだろうと思う。しかし、その目標に向かってまずかれらが身につけた能力は、ダンスをすることだったり、「大好き〜」と言ってだきついたり、目を動かしたりして気持ちを表現したり、太鼓を叩いたり、道案内をしたりすることだ。 身につけることはもっとほかにあるだろう、と言わずにいられない。人間の能力の中でも比較的しょうもないことばかり身につけちゃいないか。人間の能力でもっと肝心なことっていっぱいあるだろう。 もしかしたら「おいしいものは最後にとっておく」という方針なのかもしれない。まずはどうでもいいことから順番に身につけていくというやりかたなのかも。 どうでもいいことの順番で言ったらそろそろ「ブログをつけるロボット」なんてのがではじめるんじゃないかと思う。 (総裁談) |
●2005/06/21 |
ぼくが勤めている会社でもクールビズがすすめられている。社内でノーネクタイの人を頻繁に見かけるようになった。しかしぼくは入社以来スーツを着たことがなく、「何をいまさら」という感じだ。 一方、ノーネクタイに乗じてのいわゆる「風紀の乱れ」を危惧したのか、服装規定なるものが回覧されてきた。曰く、ミュールはダメ、スニーカーはダメ、ジーンズはダメ、Tシャツはダメ、など。 えー、いままでTシャツとかで出勤してたけどなにも言われなかったのに。 クールビズのせいで逆に息苦しくなったぼくのクールカジュ。みんながノーネクタイになる前からノーネクタイだったのに。 「自分は売れるようになる前からファンだったんだぞ」、というあの心理がようやく分かった。 (総裁談) |
●2005/06/16 |
ものすごく髪が伸びている。 ぼくは髪を切りに行くのがあまり好きではない。めんどくさい。切りに行くペースはだいたい3ヶ月に1回ぐらいだ。伸びに伸びてどうしようもなくなったらしょうがないので切りに行く、という感じだ。 世の中ITで便利になったのに髪を切ることに関しては全然進歩してない。本やCDなんかが店に行かなくてもamazonで簡単に買えるこの時代にあって、理美容室のこの十年一日っぷりはどうだ。ワンクリックで髪が切れてもいいんじゃないか。 あと傘も進歩してない。棒に布張ったぶかっこうなものを手で掲げて上から降ってくる雨を受けとめる、なんて21世紀の人間のやることじゃないように思う。 (総裁談) |
●2005/06/15 |
子供の頃「厚さ1ミリの紙を10回折りたたんでいったらどれぐらいの厚さになるか」という問題が流行った。 計算したら簡単に分かってしまうので「考えずに直感で答えてね」という前置きが必須だ。 大人だと計算しなくても分かってしまうが、答えは1メートルとちょっとだ。正確には1メートル2センチ4ミリ。 大人でもこれは直感に反していると感じるだろう。10センチじゃなくて1メートルだ。ほんとか、って気になる。 ところで参加する人数が無駄に多い会議はろくな会議じゃない、という経験則がある。ここでいう「ろくな会議じゃない」というのには「何も決まらない」というのが大きく含まれている。 たとえば満場一致で何か合意を取り付けなければならない場合、出席者が5人の場合と10人の場合では全員の意見を一致させるたいへんさは全然違うだろう。直感的にはなんとなく倍たいへんな気がする。 しかし、さっきの紙を折る話でいくと、5人から10どころか、5人から一人増えて6人になるだけでも相当たいへんだということに気が付いた。5人での困難さに対して6人の困難さは20%増しではなくて、倍たいへんなのだ。 これにはすこし非現実的な前提があって、参加者のとりうる態度が「賛成」か「反対」の2種類のどちらかで、かつ各人はそれぞれ周りに全く影響されないで独立して「賛成」か「反対」を選ぶ、という状態での話だ。つまり、全員の意見が一致する確率の問題になる。実際の会議はこういう風じゃないけど。 自分が参加者の一人だとすると自分の意見にみんなが賛成する確率は、自分含めて参加人数が2人の場合は当然1/2だ。これが3人になると1/4になる。たとえば自分が「賛成」だったとするとほか2人のとりうる意見のバリエーションは「賛成・反対」「反対・賛成」「賛成・賛成」「反対・反対」の4パターンだから。要するに会議で「賛成」と決まる確率は 1/2の(n-1)乗 だ。ひとりでも参加人数は少ない方がいい。 だから5人だったら1/16で、6人だったら1/32だ。二倍たいへんだ。これが10人になると1/512で、11人だったら1メートル2センチ4ミリだ。 来週の会議に「せっかくだから参加しようかな」とか言ってるお偉いさんには「厚さ1ミリの紙を10回折りたたんでいったらどれぐらいの厚さになると思います?」って言ってみようと思う。 (総裁談) |
●2005/06/14 |
「大きなのっぽの古時計」という歌がある。 おじいさんが死んでしまったら、時計も機能を停止してしまったというストーリー展開だ。 ところで、自分が死んだ時のことを考えると一番気になるのはパソコンの中のデータだ。この「カモだより」のネタになるんじゃないかと思ってメモしてあるわけの分からないテキストデータや、団地にまつわる意味不明の写真たち。率直にいうと少々エッチなデータだってある。 恥ずかしいのでこういうデータは自分が死んだら自動的に消えてほしいものだ。どうにかならないのだろうか。大きなのっぽの古時計のように。 そう考えると「うれしいことも悲しいこともみな知っている」というくだりが意味深に思えてくる。もしかしてハードディスクの入った時計だったのか。 おじいさんも男だ。「うれしいこと」には少々エッチなデータも含まれていたんじゃないかと思う。 (総裁談) |
●2005/06/13 |
6/12付けのデイリーポータルZに「勝手に議事録」という記事を書きました。 今回はすこし気分を変えて「鑑賞する」ではないものを。サラリーマンの方々にしみじみと読んでいただけると思います。しみじみ? |
●2005/06/10 |
vodafoneのCMに元フォルダーの男の人が出ている。 へー、あの男の子がねえ、大きくなったねー、などという感想を方々で聞く。調べてみたらフォルダーのデビューは1997年。大きくもなる。 しかし時の流れを感じるのは彼のその成長ぶりではなく、グループの名前が「フォルダー」だった点だ。 今だったらぜったい「フォルダ」って言うはず。 (総裁談) |
●2005/06/09 |
「パトロール中」と書かれたママチャリでお買い物に行っている女性を見かける。 おそらく子供の安全を守るために、定期的に自転車で町内を回る任務を負ったお母さんなのだろうと思う。 だけどその自転車でSEIYUとかに買い物。ネギのはみ出したポリ袋と「パトロール中」の文字。買い物とパトロールの両立は論理的には可能だが、ネギの破壊力はすごい。パトロールの迫力を欠くと思う。 友達のおうちに遊びに行くときも「パトロール中」。クリーニングに行くときも「パトロール中」。カジュアル感覚のパトロール。7日間パトロール着回し術。大人目パトロールで全方位アピール。パトロールテイストを残したフェミニンな装い。 だんだん「パトロール」がふつうにファッション用語に聞こえてきた。 (総裁談) |
●2005/06/07 |
最近聞かないが「BSE、 いわゆる狂牛病」という言い方があった。もってまわった言い方だが、こういわねばならない事情があるのだろう。 「鋼鉄製の橋の工事をめぐる談合」もなんだかもってまわった言い方だが、「鋼鉄製の橋」といわねばならない事情があるのだろう。 そのうち「KHMD、いわゆる鋼鉄製の橋の工事をめぐる談合」とかいうようになるのではないかと思う。 (総裁談) |
●2005/06/06 |
あちこちでレッサーパンダが立ち上がっている。 実はみんな立てるものなのだ、という話も聞く。だったらどうしていままで立ち上がらなかったのか。 たぶんいこじになって立たなかったんだと思う。 今後は、ほんとは立てるのに抑圧された状況下で心の病を背負い「自分は立てない」と思い込んでいたレッサーパンダが、都会を離れ大自然の中で心を開ける友人と出会いついに立ち上がる、というドラマを聞かせて欲しい。 クララのように。 (総裁談) |
●2005/06/03 |
「パソコンとインターネットの普及で人々の考え方が大きく変わった」とテレビで言っていた。 ところでポケットをたたくとなぜだかビスケットが増える。そんな不思議なポケットがほしい、という歌がある。そりゃほしいだろう。 幼少の頃以来この歌を歌ったことがなかったので歌詞がうろおぼえになっていた。とくにその増え方に関して記憶が間違っていることに今日気が付いた。ポケットを叩くたびに倍になる、と思っていたのだ。8回叩くと256だ。 実際には、歌詞では1回叩くごとに1つ増える。それがなんとも不自然に感じられる。やはり叩く回数をnとしたら2のn-1乗で増えていくべきでないのか。増え方云々以前に叩いたら増えること自体が不自然なんだけど。 2→4→8→16→32→64→128→256→512→1M。そうあるべきだと思うのはパソコンの普及のせいだと思う。 (総裁談) |
●2005/06/02 |
中学生のとき、佳美(ヨシミ)さんというクラスメートがいた。あだ名は「ヨッシー」だった。 特に不思議ではない想定内のあだ名なのでなんとも思っていなかったが、じつは佳美さんはぜんぜん「美しくない」ので「美」を取って「佳」だけ残したのが「ヨッシー」の起源だと聞いてびっくりした。女の子って、こわい。 いつのまにか「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国」と言わなくなってただの「北朝鮮」になったのも同じようなものなんだろうと思う(*1)。 --- *1 あともうマグニチュードの説明として「地震の規模を示す」はいらないんじゃないかと思う。 --- (総裁談) 6/5(日)20:00〜21:50にNHK BS2で放送される「熱中時間 スペシャル」にわたくし総裁と長野が出演します。 番組レギュラー出演者を連れて団地撮影に行く、というのが放送されるはず。 |
●2005/06/01 |
6/5(日)20:00〜21:50にNHK BS2で放送される「熱中時間 スペシャル」にわたくし総裁と長野が出演します。 番組レギュラー出演者を連れて団地撮影に行く、というのが放送されるはず。 --- 「UFOキャッチャー」といういささか旬のすぎた感のするゲームがある。 正しくは「クレーンゲーム」というのだろう。「UFOキャッチャー」はセガの商標だったように思う。 この「UFOキャッチャー」、なぜ「UFO」なのかが分からなかった。中にあるのは同じキャラクターなのにものによって表情が全然違う中国製のぬいぐるみだったり、あるいは生きた伊勢エビだったり、であってUFOが入っているのは見たことがない。 最近ようやく気が付いたのは「UFOキャッチャー」は「UFOをキャッチするもの」ではなくキャッチャーがUFO型だということだ。 だったらそれは「キャッチャーUFO」なのではないか。語順的に言って「UFOキャッチャー」はやはり「UFOをキャッチするもの」なのではないか。 いや、「キャッチャーUFO」はおかしいか。だからといって「UFOキャッチャー」はやっぱりおかしい気がする。 こういうささいな疑問にちゃんと迷わず答えを出せるようになることがほんとの英語力なのだろう。 ひとしきり考えて出した結論は「キャッチャー・ザ・UFO」だ。「踊る大捜査線・ザ・ムービー」以降、一時期なんでもかんでも「○○・ザ・□□」というのが流行って、それは果たして正しい言い回しなのか、と疑問に思っていたが、「キャッチャー・ザ・UFO」はしっくりくる。 こうしてほんとの英語力からどんどん遠ざかっていく。 あるいは「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が「ライ麦畑でつかまえて」になるんだったら「UFOでつかまえて」でもいい。というか、それがいちばんいい。 (総裁談) |
2005年5月のカモだより |