●2005/03/30 |
なぞの腹痛と吐き気と節々の痛みで丸2日寝込んでいました。 今日はお知らせを。 来る4月24日20:00〜20:59 BS2「熱中時間」という番組にぼくと長野氏が出演します。何に熱中って、まあ、やっぱり団地なんですけど。 ところでこの番組の出演者にゆうこりんがいたのですが、残念なことに3月いっぱいで降板。4月からは平山あやさんでした。 「こりん星の団地事情」を詳しく聞きたかったのに、残念です。 (総裁談) |
●2005/03/26 |
ぼくが万博に行ったら、人気のあるパビリオンの行列に並ぶ根性もなく「イエメン館」とか「国際赤十字館」とかばかりめぐってしまうんだと思う。 「話題のものはどんなに並んででも見る!」という根性のある人だけがそういうメインストリームなパビリオンを見ることができ、そういう根性がない人はニッチなところばかりをめぐることになる。 ちょっとひねくれた「サブカルチャー好き」みたいな人たがそうやって強化されていってしまうんだと思う。それでもほんとに「愛・地球博」か(*1)。 --- *1 自分で書いてて意味が分かりません。 --- (総裁談) |
●2005/03/24 |
例によってデイリーポータルZに「駅のパイプを鑑賞する」という記事を書きました。 だんだんわけの分からないものを鑑賞するようになってきていると自分でも思います。 (総裁談) |
●2005/03/22 |
ずっと以前にも書いたことがあるが「生物学的解決」という言葉がある。 公害訴訟や戦争裁判などの審理が長引くことで、高齢の被害者や証人などがみんな亡くなってしまうことで「問題そのものが無くなってしまう」ことを揶揄する言葉だ。 ところで「フロッピーディスクの発明者はドクター中松である」と信じている人が多い。本人はもちろんテレビでもそうやって紹介されることがあるが実はかなり怪しい(*1)。 こういう嘘をつく本人もよく確かめもせずに報道するメディアも問題だが、最近ではフロッピーそのものをとんと見かけなくなったのでもはやふつうの人にとってはどうでもいいことかもしれない。いま20代前半より若い人ってフロッピー触ったことないんじゃないか。 こういうのを生物学的解決というんだと思う。 --- *1 http://222.146.204.251/〜mame/doc/nakamatsu/mokuji.html --- (総裁談) |
●2005/03/21 |
友人の営業マンが、法人向けのあるシステムを一般消費者向けにカスタマイズして営業活動を始めたそうだ。曰く「やっぱりより多くの一般の人に使ってもらってこそだよな!」 ところで日本のスギ花粉症人口は、全人口の10%をこえるとか。ぼくもご多分に漏れずその一員なわけだが、この時期欠かせないのがティッシュペーパーだ。 そのティッシュペーパー、最近ではすごく柔らかいものや、保湿のものや、アロエエキス配合のものなど、花粉症人口の増加によって進化している。 ユーザーニーズに基づいて進化を続けるティッシュペーパー。しかし、そもそもは金箔(ティッシュ)を包むために使われていた紙が発祥だとか。 金箔の保護から花粉症の人の鼻水処理へ。 より多くの一般の人に使ってもらってこそだとは思うが、ティッシュ自身はどう思っているのか。これを進化と呼べるのか。 (総裁談) |
●2005/03/19 |
「ローレライ」をついつい「ローラレイ」と言ってしまうのは、ぼくがガンダム世代だからだと思う。 (総裁談) |
●2005/03/18 |
上は「TEPCOひかり」の車内広告。 新進気鋭の吉本若手芸人の名前が紹介文章とともに列挙されている。TEPCOひかりならこれらお笑いコンテンツが見れますよ、っていうことらしい。 問題は「中山功太」なる芸人と「ラフ・コントロール」なる芸人の紹介文章が全く同じであることだ。これは誤植だろう。 一般消費者の目に触れるもの、ましてや広告ともなれば社内の何人ものチェックを受けるものだが、どうしてこんな誤植が最後まで指摘されなかったのか。 しかし、ぼくは芸人についてはまったく疎く、中山功太もラフ・コントロールも存じ上げないが、もしかしたらこの両者は同一人物なのだろうか。「誤植」だとかいったら今時の若い芸人に詳しい女の子とかに笑われてしまうのだろうか。そういう可能性もぬぐいきれない。 たぶんTEPCO社内のチェックした人たちもこのことにもちろん気づいていたのだが、ぼく同じように「これ誤植だよとか言ったら笑われちゃうかな」とかびびって「んー、いいんじゃない」と言ってしまったのではないかと思う。 (総裁談) |
●2005/03/16 |
「世界の七不思議」と呼ばれるものがある。 ナスカの地上絵やストーンヘンジやイースター島のモアイ像など、記録が失われているため、その目的が謎に包まれている神秘の建造物たちだ。作るのはすごく大変だっただろうと思われるものばかり。 ところで、仕事であるシステムを作ったことがある。 プロジェクトが始まった当初は、そのシステムの目的とそれを実現するための機能が明確だったが、関係部署や偉い人たちがいろいろ口を出してくるにつれ、相反する機能が次々と盛り込まれた。 各方面への根回しと調整と妥協を繰り返し、終わってみれば何のために作ったんだかわけの分からないものが完成。作るのすごく大変だったのに。 たとえば1000年後の人がそのシステムをみたら「何のために作ったんだろう、これ」と首をかしげるに違いない。 ストーンヘンジやモアイ像も、きっと当時の偉い人がいろいろ口を出してきたせいで「謎」になったのではないかと思う。部長が思いつきで「そうだ、石を上に載せるってのはどうだ?」って言った、とか。 (総裁談) |
●2005/03/15 |
ホワイトデーは全国飴菓子工業協同組合(全飴協)が1978年の名古屋総会で決議採択されたそうだ。 欧米では「ポピーデー」「フラワーデー」「クッキーデー」などの名前で親しまれていたそうだが、全飴協関東部会で「ホワイトは純潔のシンボル。ティーンのさわやかな愛にぴったり」との考え方のもとに、「ホワイトデー」と名づけたのだそうだ。 「純潔」「ティーンのさわやかな愛」 先月ぼくにチョコをくださった女性の方々には、いまいちどこの全飴協関東部会の考え方を噛みしめていただき、当方からのお返しが滞っている点をご理解いただきたい。義理チョコなのは承知していますが。 ていうか「全飴協」て。 (総裁談) |
●2005/03/10 |
本日10日更新のニフティポータルZに対談・「WCピクト」を鑑賞するという記事を書きました。 いつのまにか「鑑賞するシリーズ」になってしまったぼくのコネタですが、今回は毛色を変えて、「ぱんだ印」のmacoさんとの対談です。 ぜひご覧ください。 (総裁談) |
●2005/03/08 |
海外でビジネスをやっている会社の社長さんが「日本人の気配りは誇りに思っていい。日本人に比べると外国の人たちは無神経でお行儀が悪い」と言っていた。 彼の言う「日本人の気配り」とは、公共空間、特に電車内などでは携帯で話をあまりしないこと、とか、公共の場で寝転がったり、足を椅子に乗っけたりしない、ということだった。 ぼくが「日本人の気配り」と聞いて最初に思い浮かべるのは「レモン搾っていい?」だ。 あまり誇りには思えない。 (総裁談) |
●2005/03/05 |
めずらしく東京で雪が降った。 よく言われることだが、首都圏の鉄道は雪に弱い。雪国の人から見たらきっと「その程度で遅れたり止まったりするなよ」という感じなんだろうと思う。ぼくが通勤で使う電車も相当ダイヤが乱れて、朝の会議に遅刻してしまった。 昨夜の夜中に降りはじめたのだが、朝の各局の天気予報で「雨は夜半に雪へと変わるでしょう」と言っていたのが印象的だった。クリスマスイブではなくひな祭りなのだが。 山下達郎が「きっと君は来ない」と歌ったのは、じつは単に小田急線が止まっていたとかそういうことなんじゃないかと思った。 (総裁談) |
●2005/03/04 |
会社のトイレがいわゆるウォシュレットなのだが、いつも便座を温かくする機能がOFFになってる。座って冷たくてびっくりする。 で、そのたびにONにするんだけど次使うときにはやっぱりOFFになってる。 だれがOFFにしてるのか。盗撮カメラつけたい。 きけば女性の友人も同じような体験をしているそうだ。彼女の好みの温度は「中」らしいのだが「弱」にする人がいるとか。それで彼女は自分好みの快適な便座空間を作るためにトイレに通い詰めてかたっぱしから「中」に直しているらしい。 個室に入ったら自動的に自分の好みの温度設定にカスタマイズされると良いのに。ICタグとかの先端テクノロジーはこういうところに使うべきだと思う。 息詰まる攻防は春まで続きます。 (総裁談) |
●2005/03/03 |
電車で隣にいた人が読んでいたビジネス書とおぼしき本に「営業とは恋愛のようなものだ」という一節があった。 こういう営業を何かに喩えちゃうのはビジネス書でよく見かける。と思う。たぶん。なんで何かに喩えるんだろう。いいじゃん、営業は営業のままで。素顔のままで。 喩えるにしても、恋愛に喩えるのはちょっと卑怯だと思う。恋愛自体がわけの分からないものなのだから、何を喩えてもしっくりくる。 ・文章を書くというのは恋愛のようなものだ ・写真とは恋愛のようなものだ ・リモコンをなくしちゃって、エアコンが動かない。本体はあるのに動かせないなんて、この理不尽さは恋愛のようなものだ ・横浜線は横浜駅にとまらない。まるで恋愛のようだ まあ、横浜線にこの前初めて乗ってびっくりした、ということが言いたかっただけです。 (総裁談) |
●2005/03/02 |
自分に外人風の名前をつけるおじさんがときどきいる。 「誠」という名前の人は「マイク」と名乗り、「秀典」という人は「ヘンリー」と名乗っていたりする。海外の人と仕事をすることがあって、彼らに覚えてもらいやすいようにしているのだと言うが、どうなんだろうか。本当はそう名乗りたいだけなんじゃないか。 いま中年の芸能人には「ジョージ」と名のついた人がちらほらいたりして、この年代の人たちには英語圏の名前を名乗ることがかっこいいという価値観があるのではないかと思う。 そしてぼくたちの年代以下の人たちはそのうち「Gackt」とか「TERU」とか名乗ったりするんだと思う。 (総裁談) |
2005年2月のカモだより |