●2005/01/31 |
趣味で伝書鳩を飼っている人の話を聞いた。スローフードやスローライフなどスピードよりゆとりを求めるご時世、伝書鳩で連絡を取り合いゆとりを感受するのだろう。 昔、日本人がフランスで調教された鳩を輸入し、着いたばかりの鳩を全く訓練もせず熱海から長崎に向けて放したが一匹も長崎には到着しなかった話がある。 店で買った食べ物を家に着く前に食べ終えてしまう身として当時の人のせっかちさは共感できる。しかし、買った瞬間の喜びを我慢し鳩を訓練させる必要があった。 一方、同じせっかちでも買い物をするだけで満足する人がいる。封も開けずに部屋に放置して次の買い物をするらしい。これにはゆとりが感じられる。度が過ぎるとせっかちもゆとりに変化するのかもしれない。 日本伝書鳩協会のホームページでは迷い鳩の情報交換をしているが、迷い鳩はほおっておいて新しいのを買う方がゆとりは感じられると思う。 (長野談) |
●2005/01/28 |
とある文芸批評のサイトで「小説を書く以外の仕事をしたことがない、社会経験が全くない小説家はダメだ」といった趣旨の文章を読んだ。 ところで、小説を含めフィクションの世界では、いわゆる「夢オチ」は許されないことになっている。 主人公がどうしようもなく絶体絶命の危機におちいった挙げ句に「実は全部夢でした」というのは、確かにいかがなものかと思わないでもない。 しかし本当にそうだろうか。 関係各方面への調整に次ぐ調整。仕様はまだかと外注先にせっつかれ、資金に関して経理と一悶着。 ようやくまとまるかと思いきや、上層部から「やっぱりもうひとつの方のプランにしよう」の一声。 なぜこのどうしようもない絶体絶命が夢オチでないのか。いいじゃん、夢オチ。夢だったと言ってくれ。 「夢オチはダメ」なんて言っている小説家は、やっぱり社会経験を積んだほうがいいと思う。 --- デイリーポータルZに「おめかしコインロッカーを鑑賞する」というコラムを書きました。 自分自身では楽しんで書いてるんですけど、デイリーポータルZ的にはこういうネタで良いのかな、と心配になってきています。 --- (総裁談) |
●2005/01/26 |
「セックスと嘘とビデオテープ」という有名な映画がある。 「○○と□□と××」という語呂の良さが功を奏して、いまだによくネタとして使われる。「セックスと嘘とTシャツと私」とか。 しかし、この「ビデオテープ」もそろそろ時代遅れになってきつつある。時代はDVDだ。さしずめいまなら「セックスと嘘とDVD」といったところだろうか。 聞けば最近は次世代のDVDの規格争いが本格化してきているという。「ブルーレイ」と「HDDVD」だ。 映画業界も巻き込んで両者一歩も譲らずの混戦状態らしいが、語呂で言えば「セックスと嘘とHDDVD」よりは「セックスと嘘とブルーレイ」のほうに軍配が上がると思う。 (総裁談) |
●2005/01/25 |
WindowsのパソコンにCDRなどを入れると「大容量ドライブ」と表示される。 DVDRはもちろんのこと、ちょっとしたUSBメモリをつないでも「大容量ドライブ」呼ばわりだ。 次世代DVDはハイビジョン映像を4時間とか収められる、という時代にたかだか数百メガのCDRを「大容量」と認識するなんて、ちょっと時代錯誤じゃないのか。 おそらくフロッピー以外はみんな「大容量」としているんだろう。 先日見たNHKの番組のなかでDVDを説明するときにも「なんとフロッピー○○枚分!」とか言ってたし、いまだに容量の基準はフロッピーであることがうかがえる。 時代錯誤さ加減といい、さしずめフロッピーは霞ヶ関ビルなんだと思う。 (総裁談) |
●2005/01/23 |
あるアニメを見た。 主人公は動物と心を通わすことができる不思議な能力を持った少女。その少女が人間たちによって汚されてしまった海を、仲の良いイルカやクジラと一緒になって救う、というなんとも牧歌的な物語だ。 ストーリーの途中、人間によってけがを負わされたクジラの子供に出会う、というシーンがあった。 彼女はそのクジラに触れて、涙を流しながら言う。「キミはあのときの…!。ごめんね、ごめんね、痛かったよね」 まるっきりナウシカだ。 というか、なんでこの手の人たちは動物に向かってタメ口なのか。ほんとに動物たちを思いやっているのか。ナウシカも王蟲に向かってタメ口きいてたし。 ほんとに申し訳ないと思っているのなら「先般の件ではまことに申し訳ないことを…重ねてお詫び申し上げます」とか言うべきではないのか。 この女の子もナウシカもちょっと会社勤めとかしたほうがいいと思う。 (総裁談) |
●2005/01/22 |
今年の花粉はいつもの20倍の量だとか。 なんでまたそんなに張り切っちゃったんだろうかと思ったら、理由は「昨年の夏が暑かったから」。 なんだそれ。夏がアツかったから、受粉に一生懸命か。高校生かお前は。 杉なんて全部切っちゃえばよいと思う。 (総裁談) |
●2005/01/21 |
初詣に神社でおみくじを引いた。結果は「中吉」。 この「中吉」と「吉」ではどちらがより上なのかがいまだによく分からない。 カレー屋で辛さの段階に「普通」と「中辛」があるときの困惑に似ている。 (総裁談) |
●2005/01/17 |
阪神・淡路大震災から10年。 折しも区役所で地震の講演会「あなたは生き残れるか!?」があった。 若くして立派に禿げ上がった大学教授が分かり易く地震災害からのサバイバル法を教えてくれた。 ただ講演では、幸運にも生き残った場合の話は触れられなかった。直後の避難所生活でプライバシーを確保するのは大変だという。例えば、カツラの人は気が気ではないだろう。 講演台にいる教授は禿を惜しみもなくさらしいている。普段から余計な秘密を持たないことが地震対策であるという暗に示した、いや赤裸々な教授のボディーランゲージと捉えたい。 (長野談) |
●2005/01/16 |
上の写真はとある英会話学校の広告の一部。 「英語を話せるようになるということはその国の文化を理解するということだ」といったようなことをよく耳にする。 確かにアメリカ人とかみてると、言葉がどうとか言う以前に、日本人にとっては、下唇をつきだして肩をすくめたり、なにか失敗があったりしたら大げさに「オーマイガッ!」とか言えたりするメンタリティを獲得することの方が大変なのでは、という気がする。 「さっきまで敵だったコイツと、案外、一生の付き合いになるかも。」という、日本人のメンタリティからするとすこしこっぱずかしい状況設定をしているところからみると、この英会話学校は言葉のみならず、そういう部分をも指導してくれるのだと思う。 「コイツ」がカタカナであるところに本気を感じる。 (総裁断) |
●2005/01/14 |
人気のラーメン屋に行った。 店の外には長い行列ができていて、座席数もそう多くないこともあり、なかなか進まない。 しばらくたって店の中を覗いてみると、空いている席が2つほどある。しかし列は進まない。みると行列の先頭が4人組だ。店の人が4つ席が並んで空くのを待っているようなのだ。 その4人組の後ろは連れのいない1人だけの客。寒空の中長いこと待たされていることもあり、不満が出る。4つ並んで空くのを待っていないで先に自分を入れろ、と。 こういう場合の店側の対応は、この店のようにあくまで順番を守るやり方と、「お後のお客様を先にお通しして良いでしょうか?」と先頭の組に声をかけて後の1人を先に通す、というやり方の2種類がある。 前者だと、今回のように後で待っている1人が不満に思うケースがある。しかし後者だと、いつまでたっても4人並んで席が空かなくなる。 よく分からないが、パレスチナ問題はこんな感じなんじゃないかと思った。なんとなく。 こういう問題をなくすには席を全部カウンターにして、座席も電車のベンチシートのようにして、席が空いたらどんどん詰めてもらうようにすればよい。多少落ち着かないが、効率的だ。 イスラエルもカウンターとベンチ方式にすればいいのかもしれない。 --- デイリーポータルZに「広告が入っていない看板を鑑賞する」というコラムを書きました。取材が非常に楽しかったです。 今後各週で木曜日にぼくのコラムが登場するので、お楽しみに。 --- (総裁談) |
●2005/01/12 |
ブルボンの「ラテショコラ」というお菓子を食べた。 「ルマンド」「レーズンサンド」などと比べると知名度の低いブルボンシリーズのひとつだが、味わいの方向性はこれら歴代のお菓子たちと同じだ。 このラテショコラのパッケージをみて思ったのは、どうしてこんな味のあるフォントで名前を記すのか、ということだ。 上の画像を見ても分かるように一連のブルボンシリーズのパッケージはどれも同じような味のあるフォントだ。 このフォント、どこかで見たことがある。 そうだ、「エマニエル婦人」のフォントだ。 どこか淫靡な薫り漂うブルボン/エマニエルフォント。 「ホワイトロリータ」だけいたって普通のフォントなのもうなずける。 (総裁談) |
●2005/01/07 |
きたる2月10日にイベントをやります→ 主にゲストが豪華なのでみなさん来るとよいと思いますよ。 (総裁談) |
●2005/01/06 |
コンビニで流れていた曲の歌詞の中に「俺はようやく命を懸けて咲かせたい花を見つけたよ」という一節があった。 大ヒットしたSMAPの「世界に一つだけの花」の中にも自らの生き様を花を咲かせることになぞらえた部分がある。「花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」という歌詞だ。 どうして自分とか生き方とかを、ちょっとしゃれた表現にすると「花を咲かせる」になりがちなのだろうか。 小学生の夏休み、朝顔を観察するはずがそうそうに枯らせてしまったことに始まり、観葉植物をことごとくまともに育てられない人間としては、花にたとえるのは勘弁してほしい。一生懸命枯らせまいとがんばればがんばるほど根腐りするぼくの花たち。 せめてなんの世話もいらないサボテンあたりで妥協してはいただけまいか。 と思ったが、サボテンすら枯らせてしまったことがあったのを思い出した。 歌詞から植物経由で追いつめられるぼくのオンリーワン。 2005年はナンバーワンとかオンリーワンとか言う前にまずはちゃんと植物を枯らさない人生を目指そうと思う。 (総裁談) |
●2005/01/05 |
デジカメ売場でおばさんが店員さんに「この5メガピクセルっていうのは、何万画素?」って聞いていた。 たしかに、画素数をわざわざ「5メガ」と言わなくてもいいと思う。500万のほうが迫力もある。 ところで「画素」っていう言葉もすごい。IT関係の用語のほとんどが意味不明なカタカナ語であるなかで「画素」。すごい和風。 たぶんデジカメメーカーは旧態依然とした「画素」の呼び名から脱却し「ピクセル」に移行すべく、500万を5メガって言ってるんだと思う。 「5メガ画素」って言いづらいのでおのずと「5メガピクセル」になるという寸法だ。 ギガ時代になったらもっと言いづらい。「5ギガ画素」。ガ行ばっか。 (総裁談) |
●2005/01/01 |
紅白歌合戦ではじめてマツケンサンバをちゃんと聞いた。 ところで「日本のblogのほとんどは本当のblogじゃない」と言っている評論家がいた。 曰く、blogは旧来のジャーナリズムや情報共有の仕組みを変える力を持っているのに、日本ではほとんど日記の代わりにしか使われていない、と。 マツケンサンバを聞いて分かったことは、この曲はぜんぜんサンバじゃないってことだ。 淡谷のり子のブルースがぜんぜんブルースじゃないのと一緒だ。 だけど松平健や淡谷のり子にたいして「本物じゃない」なんて言わないだろう。本物かどうかなんてどうでもいいんだと思う。 本当のblogじゃない。結構だ。堀江社長が歌う「blogロック」とかが来年の紅白に流れればそれでいいんだと思う。 (総裁談) |
2004年12月のカモだより |