2004/12/31  

暮れの特別番組として、なつかしの「ザ・ベスト・テン」が放送されていた。

家族で何となく見ていたところ「THE ALFEE」がでてきて、往年の名曲「恋人たちのペイヴメント」を歌いあげた。

それを見て父は「ペイヴメントってどういう意味だ?」ときいてきた。ぼくが答えられずにいると、たたみかけるように「『支払い』って英語でなんだっけ?」と言ってきた。

それは「ペイメント」だ。オヤジギャグだ。もしかしてそれが言いたかっただけか。

「恋人たちのペイメント」。きけばTHE ALFEEは結成30周年だそうだ。当時と今とでは恋人たちのペイメントもずいぶんと違っているだろう。

おそらく当時は「男が払うのが当たり前」。今は「割り勘が当たり前」。

支払いの常識における時の流れ。父のしょうもないオヤジギャグが図らずも思い起こさせたことだが、30周年を記念してこれを期に「恋人たちのペイメント」としてもよいのではないかと思う。

(総裁談)




2004/12/30  

中学生の頃「説明ゲーム」というのを友人とよくやっていた。

ひとりが身の回りにあるものをお題として挙げ、もうひとりがそれを辞書のようにうまく説明する、というのを交互にやっていく時間つぶしのゲームだ。

たとえば「ホチキス」がお題になったとする。どう説明するだろうか。こういうありふれたものをうまく説明するのはとても難しい。

回答を吟味するのには本当の辞書を使う。例えば上記のホチキスだと「コの字形の針を紙に打ち込んでとじあわせる道具」となっている。こう言われるとなんてことないが、ここまでシンプルかつ的確な説明を自分で考え出すのはすごく難しい。

お題が抽象的なものになるともっと難しくなる。「宗教」とか「経済」とか。

ところで先日、ある研修を受けた。その研修のテキストは非常に親切で、でてくる用語ひとつひとつに意味を説明する註がついていた。

そのなかで「インターネット」にも註がついていた。その註を見る必要はなかったが、ゲームを思い出して、はたして「インターネット」をどう説明するのか見てみた。

「複数のコンピューター-ネットワークを相互に接続して、全体として一つのネットワークとして機能するようにしたもの」

と説明されていた。

そんな仕組みの説明ではインターネットの本質を説明していることにはならない、という意見もあるだろうが、この短さでよく説明しているなあ、と思う。ただ問題は。

ただ問題は、この研修がインターネットを利用したオンライン研修だったことだ。必要ないだろ、その註は。

(総裁談)




2004/12/27  




「アンバランス」というゲームをやった。上の写真のようなものだ。

「ジェンカ」という名前のゲームも売られているが、内容は全く同じだ。どちらがオリジナルなのか知らない。なぜ別の名前で同じ内容のゲームなのかは、商標の問題とかなんだろうと思う。

有名な「オセロ」にも「リバーシ」という別の名前で同じ内容のゲームが売られている。同じような問題があるのだろう。

両方のゲームの名前の違いに共通する特徴は、一方は固有名詞っぽい名前(「ジェンカ」「オセロ」)だが一方はゲームの内容をよりストレートに表現した名前(「アンバランス」「リバーシ」)だという点だ。

そして全てに共通するのはお笑いコンビにありそうな名前だということだ。

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昨日12/26日付けの@niftyデイリーポータルZ「浮かれ電飾を鑑賞する」というコラムを書きました。

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(総裁談)




2004/12/26  

買い物に行ったら「1000円で一枚差し上げていますので、どうぞ」と言って手渡されたスクラッチカード。

コインでこすると「1点」の文字がでてきた。きけば3点で抽選会に参加できるらしい。

けっこう買い物をしたので、3点以上になった。そこで抽選会に行ってみたところ、その場では何も当てることができず、住所や氏名などを書いて投函すると抽選で何かが当たる、という用紙を手渡された。

スクラッチカードをもらう

3点ためる

抽選

応募用紙をもらう

抽選

なんなんだ、このたらい回しは。役所か。

応募した結果、「ダブルチャンス」とか言ってスクラッチカードが1枚当たるんだと思う。

(総裁談)








2004/12/25  




写真はとある飲食店の外看板。

デキる男は隠れ家的な行きつけのバーを一つや二つ持っているものらしいが、これはそういう店なのか。

というか、あまりに堂々とした隠れ家。

「男の隠れ家」なんていうスノッブな雑誌もあり、正直そういう世界にはあまりよい印象を持っていないのだが、こんな隠れ家だったらぼくも男としてうまく折り合いがつけることができるような気がする。

字体もスノッブとは程遠いおどけ具合。なにより回りを縁取る電球の身もふたもない感じがいい。

団塊ジュニアがマーケットとして重視される昨今の状況を肌身で捉えた「隠れ家」の新時代の解釈なんだと思う。こういう時代の変化は歓迎したい。

行かないけどね。

(総裁談)
 
 
 

2004/12/24  

久しぶりに団地更新しました→

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先日喫茶店で久しぶりに紅茶を頼んだ。いつもはたいていコーヒーだ。

コーヒーだと注文したときにきかれるのは「ホットですか?アイスですか?」程度だが、紅茶だともう一段階手間が増えることに気がついた。「レモンですか?ミルクですか?」もきかれるのだ。

きけば「いろいろきかれるのがめんどくさい」という理由でサブウェイが苦手な友人は同じ理由で紅茶を外で飲むのがいやなのだそうだ。

日本におけるコーヒーと紅茶の消費量を比べると圧倒的にコーヒーのほうが多いらしいが、こういう注文時のインターフェイスに問題があるのかもしれない。

あと、モスバーガーの食べ物のインターフェースもどうにかしてほしい。ライスバーガーをこぼさずに食べれる人っているのか。

(総裁談)




2004/12/21  

関西の人が東京のうどんを見て「つゆが黒い!」とさわいでいた。

うわさには聞いていたが、ほんとうにしょうゆベースのつゆを問題視する関西人がいると思わなかった。あれは都市伝説か何かかと。

でも、東京で黒いものなんて、うどんのつゆに限ったことじゃない。不可解な黒さで言えば松崎しげるさんの方が上だ。

一方、関東の人はべつに関西に行って「つゆが白い!」と言ったりはしない。この差は「うどんは関西が本場」という意識を反映したものなのだろうか。

だったら、関東の人は関西に行って「女子高生が白い!」って言ってみればよい思う。なんとなく、東京は女子高生の本場って気がするし(*1)


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*1
ていうか、このまえ渋谷で見かけたけど、マンバってまだいるのね。

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(総裁談)




2004/12/19  

「ファッションリング」という言葉がある。

しかしファッションじゃないリングなんてあるんだろうか。ファッションじゃない。真剣でオオゴトなリング。

そういうリングはイライジャウッドが火山の火口に捨てに行くリングだけだと思う。

(総裁談)
 
 
 

2004/12/18  

中学生のころ、友人が好きな女の子に思いを伝えるためにぬいぐるみとかを、プレゼントとしてこっそりとその女の子の靴箱とかに入れていた。

シャイで内気な彼の精一杯の愛情表現だが、受け取ったほうは意味がわからなかったのだろう。気持ち悪がって、最後には怒っていた。逆効果だ。

とはいえ、彼に限らず恋心というものはストレートには伝えにくいものだ。万葉集には恋心を草木染の染めの具合でもって表現する歌があるというし、百人一首には月の満ち欠けに自分の恋に揺れ動く心を表現して相手に贈ったりしている歌がある。まどろっこしい。

また、恋心に限らず、言いづらいことが婉曲に表現されている例はビジネスの現場でもあったりする。

いずれにせよ、大事なことは送り手と受け取り手の間に「言いづらいんで、別の表現にメッセージを託してみましたよ」という相互諒解だ。そうでないと送られたほうは、意味のないメッセージを送られて気持ち悪がったり怒ったりしてしまう。

つまり、みんな怒っているが、北朝鮮から送られてきた骨には何か別のメッセージが託されているのではないかと思う。たぶんすごく言いづらい内容が。

DNA鑑定の結果をよーく見てみたら塩基配列が「ゴメンネ」だったとか。

(総裁談)
 
 
 

2004/12/15  

たくさんの利害関係者が複雑に絡み合っているプロジェクトにたずさわっていると、決断を下すのが難しくなる。

Aのほうがよいかなー、でもそうすると○○さんところがなんか言ってきそうだし、だからってBにすると…、というように。組織の力関係だとか政治的配慮だとかのしがらみにどっぷりと首まで浸かっている状態だと、簡単なはずの決定をひどくややこしく考えてしまう。よくあることだ。

そういうときそれまでの経緯とか背景を全く知らない人に「AとBどっちが良い?」って聞いてみるとあっさりと「そりゃAが良いに決まってるだろう」と言われたりする。

困ったときには全く脈絡を知らない第三者の意見を聞くのもよい。

ぼくはハムレットの物語を全く知らないので、彼に対しては「そりゃ生きる方がよいに決まってるだろう」と言っておきたい。

(総裁談)




2004/12/14  

中学校の先生が「害虫という言葉は使うべきではない」と言っていたのを覚えている。

曰く「害になるか益になるかは人間が勝手に決めたことだ。人間にとって害にしかならないことをする虫でも、他の虫や植物にとってはいなくてはならない存在かもしれない」と。

そうだ。そのとおり。先生良いこと言う、とそのときは思ったものだが。

先日、とある鉄道の駅のポスターで痴漢を「害虫」に喩えているものがあった。

上記の伝でいうと痴漢だって居合わせて被害にあった女性にとっては害虫かもしれないが、ほかの人にとってはなくてはならない存在かもしれない。

それを言い出したら、仕事のじゃまばかりするクライアントの上司だって、某国の指導者だってそうだ。

やっぱり害虫は害虫でよいと思います。

(総裁談)




2004/12/13  

ぼくが子どもの頃、父親に分からないことを質問するとほとんどの場合「辞書で調べてみろ」と言われた。

今思えば「答えてやれよ」と思わないでもないが、おかげで分からないことがあったら人に聞くよりまず自分で調べる、という癖がついたことは確かだ。たぶんそこまで考えたわけじゃなくて、ただめんどくさかっただけだろうけど。

ところでアメリカで新聞記者に子供から「サンタさんって、本当にいるの?」という手紙が届いて、それに対して記者が紙面上で「サンタは本当にいますよ」という記事を掲載した、という話をご存じだろうか。

1897年、「ニューヨーク サン」誌でのできごとだ。記者の粋なはからいが美談として有名になっているのでご存じの方も多いと思う。ぼく自身はたしか中学生の頃に英語の授業で英文で読まされた記憶がある。

しかし、先日この記事の全文をあらためて今度は日本語で読んでみたところ、気になった点があった。英語で読んだからか、子供だったからか、中学生のぼくが気付かなかった点だ。

それはそもそもの発端である子供から記者への質問の手紙の内容だ。

「記者さんへ
私は、8才です。私の友達に『サンタクロースなんていない』という子がいます。パパに聞いたら、『もしサン新聞にサンタクロースは本当にいると書いてあれば、そのとおりだと思うよ』といいました。だから、どうか本当のことを教えてください。
サンタクロースは、本当にいるんですか?」

問題はパパが「本当にいるよ」とも「辞書で調べてみろ」とも言わずにサン新聞にふった点だ。なんて無責任。

美談として語り継がれているこの話だが、記者のほうも「なんで父親が自分で答えねえんだよ。めんどくせーなー」と思いながらしぶしぶ掲載したのではないだろうか。

記者の文章中に

「サンタクロースを信じないですって!だったらクリスマスにパパにお願いして、誰かやとってもらい、町中のエントツをみはってもらったらどうでしょう。サンタクロースがつかまるかもしれませんよ!でも、もしエントツからおりてくるサンタクロースが見えなかったとしても、それが何の証拠になるでしょう」

という部分があるところに記者の、パパへのちょっとした仕返しがうかがえる。

無責任パパと記者との公器たる紙面を借りての息詰まる攻防。これが大人のクリスマスだと思う。

(総裁談)





2004/12/09  

「大きな蕪」という話をご存知だろうか。

畑に大きな蕪ができたので、おじいさんが抜こうとするが、大きすぎてぜんぜん抜けない。そこでおばあさん、孫娘、犬、猫、鼠の力までをも動員してついには蕪をものにする、というストーリーだ。

ところで先日、とある会社の持ち込み企画を拝聴する機会があった。先方は総勢5人。そのうちプレゼンテーターはひとりで、その人のプレゼンテーションはあまり上手ではなかった。

みかねてまわりの4人が「そこはそういう言い方じゃなくてこうしたらどうかな」とか「あー、そういう説明はよくないよ」とかアドバイスを始めた。いやいや、指導入れてないであなたがたがプレゼンテーションすればいいじゃん。

前述の「大きな蕪」の、おばあさん以下の面々の手伝い方は

『ねずみが猫をひっぱって、
猫が犬をひっぱって、
犬が孫娘をひっぱって、
孫娘がおばあさんをひっぱって、
お婆さんがお爺さんをひっぱって、
お爺さんが蕪を引っ張って』

というものだが、それを思い出した。いやいや、後ろから前の人ひっぱってないであなたがたも蕪本体をひっぱらないと意味ないから。おじいさんの握力が持たないから。

あと加えて言うなら、企画自体が大味であまり魅力的でないものだったのも「大きな蕪」を髣髴とさせた。あんな大きな蕪、絶対おいしくないよねえ。

(総裁談)

2004/12/07  

「エチケット袋」と呼ばれる袋がある。

みなさんご存知のように、率直に言うとこの袋の機能はもっぱらゲロを収納することにある。

ぼくも子供の頃は車酔いに悩んだくちなので、ゲロが伝染しやすい性質のものだということはよく知っている。気を紛らわせ、我慢に我慢を重ねた遠足のバス。道程も後半というそのとき、後方座席から伝わってくるざわめきと異臭騒ぎ。すでに臨界状態にある同胞達が連鎖的に反応する。もうだめだ。

そういった意味では、人知れずゲロを処理することは「エチケット」だと言えなくもない。しかし、これをもってゲロ袋を「エチケット袋」と呼ぶのはどうなのだろう。エチケットの示す範囲は広い。ゲロを隠すことだけがエチケットではあるまい。

たとえばきょうび、ネット上の掲示板で他人を不愉快にするような発言はしない、というのもエチケットとされている。しかし、この作法と「エチケット袋」との間には機能的関係は何もない。どうも「エチケット袋」というネーミングには無理があるのではないだろうか。

しかし、おそらく、伝染しやすい車酔い症状を持つ人を慮って婉曲な表現を求めた結果が「エチケット」だったのだと思う。臨界状態にある繊細な人の場合、「ゲロ」という言葉を聞いただけで症状が発現してしまうことすらある。だとすれば多少無理があるネーミングとはいえ、この件に関しては目をつぶるべきなのかもしれない。

同様に「その名前だったら入れるものはそれだけじゃないだろう」というものに「汚物入れ」というのがあるが、こちらは無理なネーミングであるのにもかかわらず、ぜんぜん婉曲な表現じゃないので問題があると思う。

トイレで汚物っていったら、あれだろう。あっちはトイレで発生する一番の汚物じゃないだろう。

尾篭な話でもうしわけありませんでした。

(総裁談)




2004/12/05  

「ズッコケ三人組」という子供向けの小説をご存知だろうか。「ハチベエ」「ハカセ」「モーちゃん」の小学6年生3人組がさまざまに活躍する物語で、テレビドラマや映画にもなったベストセラー作品である。

1978年以来続いてきたその「ズッコケ三人組」が先日50巻を迎え、完結したそうだ。ぼく自身も小学生の頃何冊か読んだ記憶があり、ニュースを聞いて非常に思い出深く思ったのと同時に、まだ続いていたことにびっくりもした。

3人のキャラクター設定には無駄がなく、必要にして充分、という感じだ。やんちゃで親分格の「ハチベエ」、ブレーン役の「ハカセ」。特にこの作品以降も、この手の物語では必ず一人ブレーン役のあだ名が「ハカセ」というキャラクターを登場する、という定石を定着させたその功績は大きい。

しかし「モーちゃん」はどうなのだろうか。大柄でりっぱな体格をした彼だが、とくに優れて腕っぷしが強いというわけでもなく、一見いなくてもいいような気がする。

しかし彼がいなかったときのことを考えると、彼のレーゾンデートルへの不安もすこし違って見えてくる。彼不在の「ズッコケ三人組」。おそらくそこには「ハチベエ」「ハカセ」の確執が発生するはずで、小学六年生らしからぬストーリー展開が予想される。「ズッコケ」
などとのんきなことを行っていられない状況だ。

そこに役にたたなそうな「モーちゃん」がいることで一気にズッコケ世界が展開する。ズッコケがズッコケたり得ているのは「モーちゃん」のおかげだ、と言っても良いだろう。

リーダーシップでもブレーンでも腕力でもなく、とりあえず役割はないがいると良いかもしれない存在。

たぶんそういうのを「癒し系」と言うんだと思う。

(総裁談)





2004/12/02  

なんか皇室がもめていますが。

ニュースで「皇室の役割は国民の期待に応えることだ」みたいな発言が報道されていた。

思うに、国民の皇室に対する最大の期待とは「天皇誕生日が休みになる」ことではないだろうか。

今のところ、明治天皇の誕生日が文化の日として、昭和天皇のそれはみどりの日として残っている。

万世一系と謳うならば、神武天皇までさかのぼって誕生日はすべて休日にしてほしいと思う。このさい神武天皇は実在しなかったとかそういう堅い話は抜きだ。なんせ休日が一日増えるかどうかの大事な話なんだから。

そうなると、今後は新しい天皇の誕生日がすでに休日だったりする可能性が高まる。次の皇太子からは位を継ぐのは長男とかじゃなくて「誕生日が休日でないかどうか」を跡継ぎの基準にしたらよいと思う。それが国民の期待だ。

(総裁談)




2004年11月のカモだより