2004/11/30  

仕事で、ある会社の方から企画のプレゼンテーションを受けた。

若手の人が企画内容を説明してくれたのだが、要所要所で彼の上司らしきおじさんがいらん口を挟んでくる。

「今回のこの調査によりま…」
「すいません、口挟んで申し訳ないんですが、この調査ていうのが我が社独自のシステムでありまして…」

「以上の結果を踏まえて提案が3つあります。まずひと…」
「この提案の3つめっていうのがですね、ほら、以前おうかがいしたときちょっとお話ししたあれでして…」

目立ちたがりやなのか、なんなのか。とにかくうっとおしい。プレゼンターに便乗したじゃまはやめてください。

沿道でマラソン選手たちの横を並んで走る小学生を思い出した。

(総裁談)




2004/11/29  

「クラブ」という言葉には二通り発音があって頭の「ク」にアクセントがある「ラブ」は学校とかであったクラブだ。もうひとつの発音は平坦なアクセントの「クラブ」というもので、これは、なんだ、そのDJとかいう人たちが音楽かけてたり踊ってたりするすてきな場所だ。行ったことないから知らないけど。

同じように「ニメ」と「アニメ」という発音の違いがあって、おばさんとかは前者で、秋葉原にいる方々は後者を使う。

どちらももとは同じ英語なのに日本に来て微妙に違うものを指すものとして使い分けられている。極端な例では「ストライク」と「ストライキ」とか別の言葉になっているものだってある。

長年「ボジョレー」と言っていたワインが昨年から急に「ボージョレ」と言われるようになって違和感を感じたが、今年はまた「ボジョレー」が戻ってきている気がする。ぼくの体感では今年の「ボジョレー」と「ボージョレ」は半々ぐらいだ。

こうなるとこの二つは日本では違うものを指す言葉として使われていくのかもしれないと思う。解禁するやつとしないやつとか。解禁しないやつって、意味分かんないけど。

というか、「解禁」とか言っても、解禁日以降しばらくたつとぜんぜん見かけないけど、あれはほんとに「解禁」なのか。

(総裁談)




2004/11/28  

いまの京都駅ビルができるとき、その大きさから「古都の景観を乱すことになる」と議論になった。

ぼくも京都駅ビルはあまり好きではないが、それにしても「古都の景観を乱す「ということであればあの京都タワーの方がはるかに問題ではないのか。あれはひどい。夜空にライトアップされるさまなど、古都とか古都じゃないとかそういうものじゃない。

いや、ひどい、というのは言葉のあやで、あのあられもないキッチュな造形はかなり好きだ。

でも京都の景観を議論する中であれを真剣にどうにかしようという話はあまり聞いたことがないように思う。たぶんみんな慣れちゃったし、ぶっちゃけぼくみたいに「ああいうのもいいよね」って大方の人は思ってるんじゃないだろうか(*1)

つまり、「景観」ってそういうものなんだろう。

東京の国立駅前の大学通りに大きなマンションが建てられたときも同じように「景観を乱す」と住民の反対運動が起こった。これは裁判になり、一審では住民側が勝ち、二審では逆転敗訴している状態だ。

次は最高裁だが判決は「タワーにしたら?」という和解案が提出されるとよいのではないかと思う。

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*1
京都人は腹黒いとか冷たいとかいろいろ言われるが、ぼくはあの珍妙な建築を支持する人たちなら、京都人もそう悪い人たちじゃないんじゃないかといつも思う。

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(総裁談)

2004/11/27  

近所の八百屋さんが100円ショップになっていた。

どうやら店の主人は同じ人のようだ。つまり、八百屋をやめて100円ショップ経営に切り替えたということらしい。

それは100円ショップではなくて100万円ショップなのではないかと思う。

(総裁談)

2004/11/25  

子どもの頃、みなさん「自分のものには必ず名前を書きなさい」と先生に言われたことと思う。

ぼくはそう言われても名前を書かなかった。なんかかっこわるいと思っていたのと、あと単にめんどくさかったからだ。

「みんながちゃんと書けば名前が書いていないのはぼくのものだって分かるからいいはずだ」とも思っていた。

言うまでもなく、みんなが同じことを考えたらこの理論は成り立たない。

ところで、みんながWindowsでieとかOutloookとかを使っているからウイルスの制作者はそういう環境を狙ったウイルスを作る。ぼくは自分のマシンにたいしたセキュリティを施していないが、使っているコンピューターはMacで、ブラウザもメーラーもきわめて少数派のものを使っているので安心だ。

言うまでもなく、みんなが同じことを考えたらこの理論は成り立たない。

(総裁談)



2004/11/24  

「世界の中心で○○を叫ぶ」の○○のところに「愛」以外の言葉を入れていい気になっている人がたくさんいたものだが、今後は「ハウルの動く○○」っていうのが増えると思う。

そういうのダメだから。今から言っておくけど、たいてい面白くないから。

というか、いつか自分が言っちゃいそうなので。自らの戒めとしても。

(総裁談)



2004/11/22  




上は駅で見かけた携帯電話の広告ポスター。

広告されているのは、丸いフォルムとパステルカラーがかわいらしい京セラの携帯電話機である。コピーは「まあるいケータイはじめて」。いままでにないやさしいデザインは、主にかわいいものが好きな女性をターゲットとしたものだろう。

と思いきや、なぜかポスターには汗臭く走る長淵剛。胸元に光るチェーンもいつもどおりだ。ぜんぜんまあるくない。まったく重ならないターゲット設定だ。だいじょうぶか。

ポスターにはよく見ると「そうくるか!京セラ」とあるが、それはこっちのせりふだ。

(総裁談)

2004/11/19  

人気の衰えないペ・ヨンジュンさんだが、ぼくは最近、彼をどう呼んだものか悩んでいる。

彼のファンが「ヨン様」と呼ぶのに対し、一連のブームを斜めから眺めている人たちは万感の思いを込めて「ペ様」あるいは敬称なしに「ペ」と呼んでいる。

ぼくは一連のブームとは適度な距離を保っているが、もはや「ペ」と呼ぶのもなんだかやらしいなあ、と思っている。

しかし「ヨン」でも「ペ」でもなければなんと呼んだらよいのか。

ところで日本では、つい最近まで中国や韓国の方の名前を日本語読みで呼んでいた。「登小平」は「とうしょうへい」だったし「金大中」は「きんだいちゅう」だった。いまは「きむでじゅん」だけど。

ならば、ペ・ヨンジュンは日本語で読んでも良いかもしれない。調べたところ漢字表記だと彼の名前は「裴勇俊」だそうだ。

「はいゆうしゅん」か。思ったより煮え切らない響きだ。

ていうか「ゆうしゅん」って吉岡秀隆さんを思い出してなんだか暗い気分になるのでやっぱり「ペさん」あたりでいいや。

(総裁談)



2004/11/18  

お札が新しくなって、1000円札の肖像が夏目漱石から野口英世になった。

新旧並べてみてまず気がつくのは、野口英世ぶさいく、ということだ。夏目漱石のほうがかっこいい。どことなく愁いを帯びた表情も、いまこうして野口さんのそれと比べてみるとモテそうだ。

新しい1000円札は「透かしがすごい」と評判だが、不利な容姿をそういう小手先でカバーしようという風にも見える。いわゆる「スカしてる」とはこういうことか。「おれっちの透かし、スゴイんだぜ。見てみる?」とか。

あと野口さんの方にはパールも仕込んであるそうです(*1)

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*1
正確には「潜像パール模様」だそうです。潜像パール。なんかやらしい。
http://www.boj.or.jp/money/03/bnnew4.htm

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(総裁談)



2004/11/16  

世の中には、夫婦間で夜の営み実行可否のブロックサインがあるときく。

「玄関の花瓶の位置が左寄りになっていたら『今夜はOKよ』という意味」とか「座布団が裏返しになっていたら『今夜はOKよ』」とか。

まどろっこしい。なぜそんな秘密めかすのか。なんとなく言い出しづらい、というのはあるかもしれないが、夫婦でもっとちゃんと話し合った方がよいのではないだろうか。

ぼくがそういう夫の立場に置かれたとしたら、サインを見逃すことうけあいだ。なんか夜寝床で妻がもじもじして意味ありげな目配せをしてるなー、とか疑問に思いながらぐーと眠ってしまって、翌日気まずい雰囲気になったりしそうだ。

ぼくと同様にそういう微妙な分かりづらい意志表示を見逃している男性諸氏はが少なからずいるのではないだろうか。

また、夫婦の営み以外でも、言い出しづらいことをこういうサインを出すことで表現しているケースがあると思われる。内容によっては「気がつかなかった」では済まないこともあるかもしれない。

例えば、先日の拉致問題をめぐる日朝実務者協議での北朝鮮側の言う内容は信用できない、と非難の声があがっているが、会議のイスの座布団は裏返しになっていなかっただろうか。

(総裁談)



2004/11/16  

あんみつがあまり好きではない。

餡とみつまめと寒天、フルーツなど内容物が均等に口の中に入らなくては気が済まないから。口に入れたときにみつまめばっかりとかすごくやだ。

しかも、それぞれの量は同じではないから、最後にそれぞれが同時になくなるように全体を見越してペース配分を考えなくてはいけない。

すごく疲れる。あんみつ相手に何やってるんだ。

スパゲッティとかでも具と麺が同時になくならないと気が済まない。

最近気がついたが、これは小学生のとき給食でたたき込まれた「三角食べ」のせいではないか。主食、汁、主菜、を均等に食べなきゃダメ、というあれだ。

あんみつはミキサーにかけて食べることができれば、気が済むのではないかと思っている。

(総裁談)



2004/11/14  

繁華街を歩いていると、路上にたたずむお兄さん方に「カラオケはいかがですか」と呼びかけられることがある。

カラオケはいかがですか、って。

あえてひねくれて解釈すれば、カラオケに関する意見を求められているようにも聞こえる。

「ビジネスとしては成熟期を迎えているように思えます」と答えればいいのかと思う。

(総裁談)

2004/11/12  

雑誌の広告見出しによく「緊急インタビュー!」という文字を見かける。

しかし、編集の現場もコンピューター化が進んだとはいえ、取材して原稿書いてチェックしてレイアウトして印刷に回してまたチェックして、というプロセスに時間がかかる雑誌づくりの現場でほんとに「緊急」ってことはないと思う。本当に緊急だったら間に合ってない。

おそらく「話題の人にいちはやくインタビューしましたよ」ぐらいの意味で使っているとだと思われる。

本当の緊急は「役員への報告が明日になったから今夜中に資料お願いね」と言われるのを指すのだ。

たかだか韓国の人気俳優のインタビューをものにしたとかで軽々しく「緊急」と言ってほしくないと思う。

(総裁談)



2004/11/11  

日本の名字のバリエーションの豊富さは世界一だそうだ。

中国では350、韓国では250、ヨーロッパは全土合わせて5万程度なのに日本は30万。

日本では江戸時代まで庶民は名字を持っていなかった。明治になって「名字付けなさい」ってなって、あわてて好き勝手に付けてこういうことになったのではないか。

だって「四十物谷 」(あいものや)とかぜったいおかしいし、「はせがわ」という読みでも「糠川」「初瀬川」「馳川」「長谷河」「沙魚川 」とかバリエーションありすぎ。ぜったい他の人と違う変な名字付けようと思ってがんばったのだと思う。明治の庶民。

スパムメールでも来ると警戒したのか。明治の庶民。

今「名字考えろ」となったら「nkmr2004」とか「i_love_takuya」とかそういうことになっちゃうんだと思う。明治で良かった。

(総裁談)



2004/11/09  

竹内まりやさんの有名な曲に「喧嘩をやめて〜二人を止めて〜私のために争わないで〜」っていう歌詞のものがある。ちゃんと聴いたことないけど。

これは恋愛の話だからまだよいのであって、クライアント側にディレクターと現場の実作業担当がいて、彼らからの無理難題な納期と費用に対して「ちょっと難しいですねー」と回答したら、その2人が「そういわずに何とか頼むよ」「いやいや、それは僕も無理だと思いますよ」ってな感じで喧嘩を始めたというシチュエーションだったら、歌い手はこっぴどく怒られると思う。なにさまだよ。だいたいおまえが悪いんだろう、とかって。

まあ、恋愛でもなんかむかつくんですけど。

ていうか「喧嘩をやめて〜」は2人に言ってるんだろうけどその後の「二人を止めて」は誰に言っているのか。まだいるのか男が。

(総裁談)



2004/11/08  

「マルチユース石鹸」という商品を見た。

この優れた石鹸は洗顔、手洗い、ボディウォッシュはもちろんのこと、洗濯石鹸としても使え、のみならず台所や浴室用洗剤としても使えるそうだ。

物事があまりに複雑・細分化した現代にあって、マルチユースのソリューションは確かに求められている。「これさえあれば、いちいちどれを使うべきか考えずにとにかく洗えばよい」というのは魅力なのかもしれない。

しかし石鹸にはちょっとマルチすぎやしないか。一般的には洗顔と台所用洗剤が一緒というのには抵抗があるのではないだろうか。

ところで下は京王線のホームで見かけたゴミ箱


分別が複雑・細分化した現代における、ユーザーサイドに立ったゴミ捨てソリューション。マルチユース界に一石を投じる画期的なサービスだ。

なんでもマルチユースにすればよいというものではないと思う。

(総裁談)



2004/11/07  

教師の体罰のニュースを見た。授業中に騒いだ罰として子供を殴った教師が処分されたという内容だ。

その事件に対して教育の専門家がコメントとして「叩くなどしてルールを教え込むというやり方は、昔はよく行われていたが、実際には効果がない。いまはそういう時代ではない」と言っていた。

確かに一昔前までは、たとえばテレビがうまく映らなくなったという場合には、筐体を叩いて直したりしたものだが、最近のエレクトロニクス製品にたいしてはそういう行為はご法度だ。

パソコンがうまく動かないからといってハードディスクを叩いたりしてはならないし、ケータイが壊れかけたからといって端末を叩くという対処法もあまり耳にしない。おそらくテレビに関しても、今のものは叩いてはいけないのだと思う。

制作費の横領、裏金豪遊疑惑など不祥事で、NHK会長の海老沢氏へのバッシングが盛んだが、会長自身は強気の姿勢であまり効果がないとか。

だったら、NHKへの受信料支払いをボイコットするというやり方で抗議しようという呼びかけがなされている。

いろんな意味で、いまはテレビを叩くという時代ではないのだと思う。

(総裁談)



2004/11/05  

「戦争を知らない子供たち」という歌がある。

小学生の頃、なぜかこの歌をよく歌わせられた。「戦争が終わって、ぼくらは生まれた」と。ええ、高度成長期に生まれましたから。

当時も今も、なぜこの歌を歌わせたのか意味が分からない。「おまえら戦争知らない世代だろ。おれたちは苦労したんだぞ」ってことかと思ったが、よく考えてみれば歌わせている先生だって戦後生まれだ。もしかしてあれか、ベトナムか。

時代は流れ、ぼくらは「子供たち」ではなくなったばかりか、本当に「戦争を知らない」のかどうかもあやしくなってきた。もちろん戦場に赴いたわけでもなく、あれが戦争かどうかもよく分からないが。

とりあえず、何が起こるかわからない時代にあって、不用意に「僕等の名前を 覚えてほしい 戦争を知らない 子供たちさ」などと歌わせないほうが良いと思う。というか、ぼくそんな名前じゃないし。

あと、二番の歌詞が唐突に「髪の毛が長いと揶揄されたので、涙をこらえて歌う」という趣旨なのだが、これの意味も分からない。髪の毛て。涙こらえてないで他にやることあるような気がする。

たぶん、戦争はどうでもよくて、これはジェネレーションギャップを歌った歌なのだと思う。何でもいいから「何かを知らない子供たち」ならよいのだ。「ファーストガンダムを知らない子供たち」でも「『バナナ大使』を知らない子供たち」でも。

いずれ「トラックバックを知らない子供たち」とかになると良いと思う。

(総裁談)



2004/11/03  

労働災害で手の指を切断するなどした場合の障害等級が、今年約70年ぶりに見直された。「銃の引き金を引く指」として特別視されていた人さし指が格下げされ、中指、薬指と同等になり、小指は他の指より一階級格下のままだという。

確かにカップを持つときに立ってしまう小指は、さぼっているように見えなくもない。それに引替え「小指立ってる」と指摘する人さし指は仕事がデキる感じがする。今でこそタイピングでリターンキーを押したりしている小指だが、まだまだ働き足りないのだろう。

他の指に比べ格下の小指だが、格上の三役はどうだろう。人さし指は指摘をし、中指は相手を罵倒する、役割をちゃんと果たしている。しかし、薬指で薬をなめたりしないし、カップを持つとき小指とともにさぼっていたりする。

役目がありながら仕事をせず、それなりの格を維持する薬指。薬指のように賢く生きたいと思う。

(長野談)

2004/11/02  




昨日の「カモだより」の続き。

上はとある美容専門学校の校長先生。

人に教える前に自分のそのアタマをどうにかしろといいたい。

やっぱり自分のことは占えないのか。

というか、自分では自分の髪を切ることはできないのだからしょうがないのか。だったら誰に切ってもらっているのか。

生徒か。

それはそれで指導力に問題ありだ。

(総裁談)



2004/11/01  

会社の同期の営業さんが、企業向けに業務を効率化するシステムを売っている。

彼の悩みは、売り込みにいった相手先の企業に「そんなよいシステムならおたくの会社でもすでに導入して効果が上がっているのでしょうな」といわれることだそうだ。

実際には自社内にはそのシステムは導入されておらず、返す言葉がないとか。

占い師や超能力者に、どの宝くじが当たるか占って自分で買えばいいじゃないか、と言うとたいてい「自分のことは占えない」という答えが返ってくるそうだ。おかしな話だ。

同期の彼も「自分のところは効率化できないのですよ」って言えばいいんだと思う。

(総裁談)





2004年10月のカモだより