2004/10/28  

友人が31歳の誕生日を迎えた。記念に「サーティーワン・アイスクリーム」のアイスクリームを31種類食べるという。

同じように数字をその名に冠するアイスクリームと言えば「セブンティーン・アイス」を思い出すが、誕生日に食べるとなれば、17と31では同じアイスクリームとはいえ、その味わいは相当違ったものになるだろう。

かたや青春真っ盛り、かたや三十路である。31歳にもなると、「甘み」も「冷たさ」も17の頃とはおのずとその意味合いを変えてくる。色んな意味で。

一方で、共通点はないのかと考えると、そこには17も31も素数だ、という点が浮かび上がってくる。

素数と言えば、1とそれ自身以外では割り切れないという性質で定義される数だ。

確かに高校2年生17歳も、そろそろ会社生活でも中堅になろうかという31歳も、「割り切れない」思いを抱えているという点では共通かもしれないが、やはりその内情にはかなりの隔たりがあると言わざるを得ない。

友人の誕生日から始まった今日の「カモだより」。なんだか湿っぽい結果となってしまったが、とりあえず誕生日おめでとうと言っておこうと思う。

(総裁談)





2004/10/26  

電車でとなりに座った女性二人がある男性の話をしていた。

その男性はどうやらその女性達の会社の同僚のようだった。とても男前ですてきな人らしいのだが、たったひとつ欠点があるとのこと。それは「ズボンの丈が中途半端」。

「あれさえどうにかなれば完璧って言ってもいいのに。でもあれだけは許せない」と言っていたその二人。なんか了見の狭いこと言ってるなー、と思ったが、みればけっこうなべっぴんさん。了見の狭さも美人の特権か。

しばらくするとひとりの女性は途中の駅で降りていった。そして車内に残ったもうひとりの女性がカバンから取り出し熱心に読み出した新聞。それは「聖教新聞」

その新聞さえどうにかなれば完璧と言ってもいいのに、といったところか。

(総裁談)



2004/10/26  




上は京都四条河原町で撮ったもの。

歩道の左には新潟地震の義援金を募る人、右にはあしなが募金を呼びかける女子高生、そして両者の間にいるのが「クリーミーのど飴」のキャンペーンのおねえさんがティッシュを配る。

古都の中心地でガチンコ勝負。

問題は歩行の方向に対して直角方向一直線上に並んでいるため、どれか一つを選ばなくてはならないということだ。

心情的には新潟に募金したいが、とはいえ女子高生も捨てがたい。おねえさんにだって惹かれるものが。

などと躊躇している間に、結局どれにも対応できずに終わってしまった。もっと別の場所にそれぞれいてくれれば。

「キミたち3人とも好きだ。だから、誰も選べない」とかいうのはこういう感じかと思った。

(総裁談)




2004/10/25  

大阪でのイベント、お越しくださったみなさんありがとうございました。入場できなかった方々、ほんとうにすいません。あと、立ち見の方々も。申し訳なかったです。

よくニュースで「行き過ぎがあった」という表現がありますが。教師が体罰で生徒に全治1ヶ月のけがを負わせたあげくに「行き過ぎがあった」

どうかと思う表現だが、今回のイベントは「行き過ぎがあった」という感じだったと思います。ある意味。

(総裁談)



2004/10/22  

あす23日(土)はいよいよイベントです。大阪周辺のみなさま、お待ちしております。

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実は、明日とあさって、いわゆる社員旅行なのだ。社員旅行を途中で切り上げて大阪へ向かう予定。

以前の社員旅行で思い出すのが、宴会で寝不足・二日酔いのなか翌日バス観光が行われた際に、車内にかけられていたラジオから流れた曲だ。

チェッカーズの「神様ヘルプ!」。

フミヤの「ヘルプ!」の連呼にこっちがヘルプだよって思った。

(総裁談)



2004/10/21  

小学生の時、紺野くんというクラスメートがいた。

インフルエンザがはやって、紺野くんも含め多くの生徒が学校に来なかったため、学級閉鎖になったことがあった。

当然彼もインフルエンザにかかったのかと思っていたところ、後で聞いたら流行とはなんの関係もなく彼は転んで足を骨折したため休んでいたという。

ところで今日、帰りの電車が運転を見合わせていた。やはり台風の影響かと思いきや、理由は「人身事故のため」。

紺野くんを思い出した。

(総裁談)




2004/10/19  

超大型台風、23号が上陸してくる。

むかしの台風には名前が付いていたと聞く。ルース台風とかカスリーン台風とか。

同じように昔は名前が付いていたのに今はついていないものとして旅客機がある。ハイジャックされた飛行機「よど号」が有名だ。

便名に名前を付けるのは分かりやすくていいと思う。「801便」とか言われても、覚えられなくて何回もチケット見ちゃう。

台風も今年みたいに「大型で強い勢力」がいっぱいあると21だか22だか23だか覚えてられないので、名前付けるのを復活させてもよいと思う。

でもどうせ時事を反映させて「イチロー台風」とか名付けちゃうんだろうと思うのでやっぱりいいや。

あと、携帯電話にも名前付けたほうがいいと思う。A1403Kとか902SHとか言われてもさっぱり分かんない。

でも色の名前に「シャイニーブラウン」とか「サンセットローズ」とか付けちゃう人たちだからやっぱりいいや。

(総裁談)



2004/10/19  

先日「風の谷のナウシカ」のDVDを見た。

テレビ放送などで何度も見ているこの宮崎アニメで、ひとつ気がついたことがある。

ナウシカ、独り言喋りすぎ。

なんせオープニング、ユパ様に合うまでのせりふは全部独り言だ。ちょっとおかしな子なんじゃないだろうか。

高校生の頃、緊張するとつい独り言が多くなってしまう、と悩んでいる友人がいたが、独り言が多くても世界を救えるんだよ、と勇気づけてあげればよかったと思う。

文明が滅びて1000年後の話ですけど。

(総裁談)



2004/10/17  

ビデオデッキのリモコンに「取り出し」ボタンがある意味が分からない。

ゆったりソファから遠隔操作で「取り出し」しても、けっきょくデッキのところまで行かなきゃならないんだから、意味ないじゃないか。

それとも「取り出し」だけやっておいて召使いとかに「あー、そのテープを交換してくれたまえ」とか言うのか。金持ち仕様か。ていうか、だったら召使いに「取り出し」ボタンも押させたほうがいい。

かねてから疑問だったこの問題。時代がビデオテープからハードディスクレコーダーになってきたため、取り出すものがなくなりつつあり、問題自体が無くなろうとしている。

ヒロシマの犠牲者が毎年亡くなっていって、核の問題が忘れ去られようとしている危機感に似ていると思います。

うそです。似てません。すいません。

(総裁談)



2004/10/16  

アメリカから帰ってきました。「マンハッタン団地紀行」を近日に。

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自治体の財政難が続くなか、「町おこし」が叫ばれて久しい。最近の町おこしのトレンドは海外の観光客をどう惹きつけるかにあるらしい。

町おこしが爛熟期を迎える今、なかにはなかなかユニークなおこし方も目にする。

分かりやすいのは農産物・海産物による町おこしだが、他の地方との差別化を図れるようなこれといった産物がない自治体では、たとえば「イモリによる町おこし」とか「蒸留木酢液による町おこし」などトンチの効いた町のおこし方を実践している。

ところで、今回のニューヨークへの旅行のために飛行機に乗ったとき気がついたのが、座席についているモニターで表示される「飛行機の現在位置」案内にでてくる日本の首都圏主要都市のアンバランスさだ。

成田から出発し、まだ関東近辺にいるときに地図上に表示される都市が「成田」「東京」「横浜」「前橋」なのだ。

なぜ前橋。

前橋の方には申し訳ないが、国際線機内において首都圏をワールドワイドに説明するために選ぶ4つの都市に「前橋」がランクインとはちょっと唐突だと思う。まだ「さいたま」のほうが理解できる。

たぶん、これは前橋の「町おこし」なのではないだろうか。「国際線に表示されることによる町おこし」だ。近年の町おこしのターゲットである海外の方々へ印象づけるためにはなかなか良い方法だ。

「それになんの意味が?」と思わせる点でも「町おこし」の定石に忠実でよいと思う。

(総裁談)




2004/10/14  

「アドワーズ広告」という広告の方法をご存知だろうか。googleなどである言葉を検索すると、その言葉に関係のある広告が検索結果のページに表示されるというものだ。いままでにない新たな広告モデルとして注目を集めているらしい。

そうなると変化の激しいインターネットの世界のこと、次なる広告モデルはどんなものか、という議論が業界であれこれ取りざたされているという。

ところで「TOMMY HILFIGER」というファッションブランドをご存知だろうか。

よくトレーナーとかにでかでかと「TOMMY HILFIGER」と描いてあるので有名なブランドだ。とにかくやたらでかく描いてある。

ブランドが自らのブランドのマークやネームを商品に入れることは、ニセモノ防止という点でも意味があるとは思うが、TOMMYレベルになるとどうかと思う。どちらかというとあれはもはやバナー広告の域ではないのか。

お金を払って服を買ったらそのメーカーのバナー広告が服にでかでかと。いうなればYahooにお金を払ったらYahoo自身のバナー広告が掲載された、みたいなものだ。

画期的だ。画期的にもほどがある。そんな広告モデルは聞いたことがない。

たぶん「アドワーズ広告」の次の広告モデルはTOMMY HILFIGERモデルではないかと思う。

(総裁談)





2004/10/13  




まだアメリカにいます。

ニューヨークのレストランで「キミタチ日本人?中国人?」とベタなことを聞かれた。やっぱり区別つかないのか。日本人と中国人。

ところで上は音楽の街ボストンでみつけた壁の絵。
凛々しく指揮をするのは日本を代表する名指揮者小澤征爾。

のつもりらしいが、どうみても筑紫哲也。

日本人と中国人の区別はつかなくていいのでボストン交響楽団の音楽監督と多事争論の区別はつけてください。

(総裁談)



2004/10/11  

アメリカにいます。ニューヨークの団地を巡りました。

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時差ボケがけっこうつらい。すごく眠い。そしてもってきたパソコンの、いつも昼の12:00に設定しているウイルスバスターの全スキャンが今頃動いている(いまこっちで午前1時過ぎ)のをみて、時差ぼけはぼくだけではないのだなと思った。

ただ、時差ぼけの結果なんにも手につかないのと、しっかり仕事をしちゃうことの違いは大きい。

(総裁談)



2004/10/07  

特許庁がやっている海賊版撲滅キャンペーン「NO FAKES!」のポスターを見た(*1)

冨永愛さんが得意のにらみをきかせるこのキャンペーン、TVCMもやっているのでおなじみだろう。

しかし気になるのは、このキャンペーンポスターに書かれたキャッチコピーだ。曰く

「気持ちにウソはつきたくない」

気持ちにウソをつかずに正直になったら、みんな海賊版を買っちゃうのではないだろうか。

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*1
http://www.jpo.go.jp/torikumi/puresu/pdf/no_fakes/b2_poster.pdf
PDFです。

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(総裁談)



2004/10/06  

パソコンのデスクトップピクチャ(壁紙)のことを”待ち受け画面”と呼んでいる複数の人がいた。
彼女らは、パソコンを前に何を待っているのかといえばメールなのだろうから、その呼称でも間違いはないと思う。

ところが先日、パソコンのデスクトップピクチャ(壁紙)のことを”壁画”と言っている人に会った。
彼は、パソコンを前に日々おもしろwebサイトとかを発掘しているのだろうから、その呼称でも間違いはないと思う。

いやいや、壁画て。


(國方談)

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*最近ちょっと忙しいのでゲストに書いていただきました。



2004/10/05  

会併を機に「ひたちなか」や「さいたま」など、ひらがなの名称をつけるのが流行った時期があった。
「やわらかい」とか「やさしい」などのひらがなが与えるイメージのおかげらしい。

ここでいう「やわらかい」や「やさしさ」とは、漢字やカタカナより角ばっていないとか、誰でも読み易いなどということなんだろう。今ひとつ釈然としないのは「くりぃむしちゅー」や「じゅわいよくちゅーるマキ」、「くりぃむレモン」のせいだと思う。

バカにしているようでもあり、怪しくもある。一歩間違えば18禁だ。自治体の方はこのようなひらがなのもう一つの顔に気付いていないのだろう。

また、イメージだけで終わらない自治を目指すのなら、漢字の名称に常にふりがなをふるのが本当のやさしさだと思う。

(長野談)

2004/10/04  

「NHK幹部の天下りの実態!」という見出しが踊るスポーツ新聞を見かけた。「天下り体質」などという言葉も。

NHKのキナ臭さ、という点で言えば、幹部の天下りだけではなくいろいろと世間で取りざたされているが、ぼくが気になるのは、山田邦子さんとか立川談志さんとか爆笑問題さんとかの出演過多だ。

ファンの方々には申し訳ないが、賞味期限切れのタレントを救済する趣味があるのだろうか。NHKには。

言うなればコンテンツレベルでの「天下り」。幹部だけでなくタレントまでもが。

「体質」の根深さを思い知った気がする。

(総裁談)



2004/10/03  

小学生のとき、同じ教室にとても勉強ができる上にスポーツも万能なクラスメートがいた。

ところが彼はついに学級委員長やリレーの代表選手などに一度も選ばれなかった。なぜならば、担任の先生が「ふだんあまりこういうチャンスがない人にやらせてみんなの活躍の場が公平になるようにするべきだ」という考えの下、彼をそういった重職に就かせなかったからだ。

いわゆる実力社会とは正反対の世界である。なまじ優秀であるばかりにこんな仕打ち。かわいそうに。

ところで、音楽界では「ラ」の音は特別な音とされているのをご存知だろうか。

周波数にして440ヘルツのこのラ音。たとえばオーケストラではこの音を基準として各楽器の調整が行われるといったように、音階の中で基準となる音とされているのだ。テレビの時報の音などもラの音だったりする。

「ドはドーナツのド」で始まる有名な「ドレミの歌」の二番の歌詞において、「ド」は「どんなときにも」「ソ」は「空を仰いで」だったりと情緒豊かな表現をされているのになぜか「ラ」だけ「ラーララララララー」などと、ことさらにぞんざいな扱われ方をされているのは、こういった普段の「ラ」の特別扱いを考慮した結果なのではないかと思う。

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今日は「テーマパーク4096」の9月30日付コラムへの答えのひとつとして書いてみました。
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(総裁談)



2004年9月のカモだより