2004/09/30  

誰かがきっと書いているだろうな、と思いつつ書きます。

ストライキとストライクって、英語では同じ「strike」だ。

ということは、プロ野球の選手の人たちは「スト回避」とか言って「ストライク」を回避する、という手にでてもいいかもしれない。ぜんぶボール。ある意味、新手の「ストライキ」だと思う。

その際には審判にはぜひ「ストライキ!」って言ってほしい。

(総裁談)



2004/09/29  

インターネットを利用した買い物や広告などのビジネスは急成長しているものの、市場全体から見ればまだまだ微々たるものだ。「結局リアルなビジネスが強い。インターネットなど恐るるに足らず」などという評論家もいる。

ところで、最近、マンガや小説を原作とした映画が多い。

「ついに実写化!」などと高らかに謳いあげられていたりして、どうやら「実写」は表現が行き着いた最終形として位置づけられているようだ。

たとえば、典型的なサクセスストーリーとしては

小説→マンガ化→アニメ化→ついに実写化!

といった感じだろう。

個人的にはどうして「実写化」がこうも重んじられるかが理解できない。いいじゃん、アニメ化でも充分じゃないのか。やっぱりリアルがいいのか。

たぶん、ライブドアとか楽天は言うなれば「実写化」がやりたいんだと思う。

(総裁談)



2004/09/27  

小学生とか中学生は、しばしばバカみたいに短絡的にあだ名を付ける。

ぼくが中学生の頃はズボンのチャックをうっかり閉め忘れたクラスメートが、それをからかわれ、翌日から「チャック」と命名され呼ばれていた。そのまんまだ。

気の弱い「チャック」君のしょげ返りぶりを見かねて何人かのクラスメイトが「そういうあだ名はよくないと思う」と命名した生徒をたしなめていたが、余計に事態は悪化し一向に効果はなかった。

ついに問題は担任の先生にゆだねられることとなった。先生はいきさつを聞いて一言「ていうかそのまんまだな。ひねりがない。命名したやつはバカじゃないのか」と言い放ち、めでたく事態は収束したのだった。

ところで、いわゆる水着の「ビキニ」をビキニと呼ばないようにしよう、という運動があることを知った。

聞けば、この「ビキニ」、発表当時、胸と腰をわずかな布で包んだだけの女性の姿の衝撃を、太平洋に浮かぶ珊瑚礁の島々ビキニ諸島で行われた原水爆実験の衝撃になぞらえてそう呼ぶようになったのだとか。

「ビキニ」と呼ぶことを反対している方々は「被爆国であり、またこの環礁沖で第五福竜丸が死の灰を浴びた日本としてはこのような名前を許すわけにはいかない」という趣旨のことを言っている。

しかし、正面切ってそういう抗議をしてもしょうがないと思う。ここはひとつ、くだんの先生のように「ていうかそのまんまだな。ひねりがない。命名したやつはバカじゃないのか」って言い放てばよいと思う。

(総裁談)



2004/09/26  

地球環境のために割り箸を使うのをやめよう、という運動が一時期盛り上がったことがあった。

つまり、使い捨てのもののために木材を伐採するのはいかがなものか、という趣旨だ。賛同する人たちがいつも箸箱もって歩いてたりしてた。

ところが、この割り箸の木材、割り箸のために刈られた木で作られているのではなく、他の目的で伐採された木の余りの部分で作られているのだそうで、この運動はあっという間に下火になったように記憶している。

使い捨てのもののために使われている木材といえば、ぼくが思い出すのは、駅に用意してあるホームなどにまき散らされたゲロの上から撒くオガクズだ。駅員の方が処理をしやすくするための素材として木材がこういう形で利用されている。

これほど無駄感あふれる木材の使い捨てもないと思う。割り箸と同様、ゲロ用オガクズのために木材が伐採されているはずもないが、割り箸を槍玉にあげる前にこちらをどうにかした方が良かったのではないかと思う。

「環境のために駅でゲロをするのはやめよう」って。


えーと、環境以前に、ふつうにやめるべきことでした。

(総裁談)

2004/09/22  

野球界では「全員野球」という言葉がかなり一般的に使われているようだ。

全員野球。どうなのだろうか。全くの門外漢からすると少々奇妙なかけ声に聞こえる。

「起死回生の逆転ホームランで受注に成功!」など、しばしば野球用語はビジネスの現場でも聞かれるものだが、この「全員野球」も例外ではないようで「全員経営」という言葉がよく聞かれる。

考えてみれば野球とは労働としては非常に不平等なものだと思う。ピッチャーとかめちゃめちゃたいへんだが、ライトの選手とか、ものすごく暇そうだ。

おそらくこの「すごくたいへんな人と暇そうな人」がいるというのが経営の現場に近いため、「全員野球」「全員経営」という似た言葉が生まれたのだと思う。

しかし「全員経営」を検索したところその定義として「会社と従業員が経営理念を共有し、一つとなって臨む」などという文章が見つかった。

同様に「全員野球」を検索したところ「試合中は控えの選手も全員、ベンチの前方に立って声を出すなど全員野球が実践された」などという文章がみつかった。

なんだ、結局かけ声だけか。

野球にも経営にも縁遠いと思っていたぼくだが、これでいいならぼくも「全員」のひとりとして実践できる気がする。

(総裁談)




2004/09/20  

先日、電車のなかで「ムンクの叫び、って誰の絵?」っていっている人がいた。

確かにもはや「ムンクの」+「叫び」というセットでの呼び方が定着してしまったために、まるでそういう作品名かのようではある。

これは「叫び」という言葉がタイトルとしては一般的な言葉でありすぎるために「ムンクの」という言葉が付け加えられる必要があったと思われる。

似た例に「卓球の愛ちゃん」があるとおもう。「愛ちゃん」が世の中にいっぱいいるために「卓球の」と付けなければ、あの奇声を発する愛ちゃんなのかどうなのかが分からないというわけだ。

似ているけどちょっと違うものに「シュレディンガーの猫」とか「パブロフの犬」というようなものがある。たしかに「猫」とか「犬」だけでは一般過ぎてなんのことか分からないが、「シュレディンガー」「パブロフ」がついているのはこれらの愛玩動物を形容・修飾しているというよりは、「シュレディンガーの猫」「パブロフの犬」でひとつの単語だ。決して彼らが飼っていたとかそういうことが重要なのではない。猫の方にいたっては飼ってたとかいう以前に存在してるかどうかも定かじゃないし。

そんな「○○の□□」界のなかでもどうかと思うのは「ピサの斜塔」である。

これも「ムンクの叫び」ばりにワンセットで呼ばれて定着しているが、「ピサの」って付けなければ特定できないほど傾いちゃった塔が世界にはたくさんあるのか。あれだけじゃないのか、そんな違法建築は。


(総裁談)



2004/09/19  

山本カントクをけっこうNHKで見かける。

山本カントクといえば、「女風呂とボイン」「新婚・性と愛の手帳」「のぞいてのぞいて大作戦」などで知られるポルノ映画の名監督である。よく知らないけど、たぶん。

べつにポルノ映画を撮っていた人はNHKにふさわしくないなどとは思っていないが、それにしても「無難をもって良し」とするNHKが、ことさら彼を出演させるのは不思議だ。とくに面白いキャラクターと言うわけでもなく、そんなに積極的に出演させる意味を彼に見出すのは難しい。

同じように、立川談志をよく出演させるのも不可解だ。彼もまた無難には程遠い。そしてわざわざ出演させるほど面白くもない。発声もよくなく、聞き取りづらい。

たぶん、NHKは「江戸っ子」が好きなんだと思う。本当に江戸っ子かどうかはべつとして、キップのよさ、みたいな物を体現する記号としての江戸っ子。

江戸っ子は江戸っ子だというだけでそれ以外の肩書きなり履歴なりをチャラにする力を持っているように思う。免罪符としての江戸っ子。

そして最近ではここに「沖縄出身」が加わったように思う。こちらには、江戸っ子の「キップのよさ」にあたるものとして「素朴さ」みたいなものが期待されているように思う。

船橋の人間としては、つぎはさしずめ「いわれなき劣等感」あたりを武器に千葉出身ブームを期待したい。なんなら埼玉県とタッグを組んでも良い。

(総裁談)



2004/09/18  

兵器の世界も進化しているらしい。

単純な爆弾とかだけではなく、最近では音とか臭いとかも兵器として利用されているときいた。怖くなるほどの大きい音とかゲロとか生ごみの強烈な臭いとかで敵の戦意を喪失させるのだとか。

将来的には「サーバーがダウンしました」とか「納入時期が1ヶ月繰り上げになりました」とか「これ、明日までにお願いね」とかそういう戦意喪失の兵器も開発されるんだと思う。やっぱ戦争は嫌だ。

(総裁談)



2004/09/16  

洋服屋さんで服を見ていると、にこやかな店員がいろいろと薦めてくる。

シャツを見ていると「シャツとかお探しですかー?これなんかどうですかー?」、ちょっとジャケットを見ていると「そのジャケットだったらこのパンツを合わせるといいですよー」とか。

いや、ちょっと見てただけです。そんなに短絡的にお薦めしないでください。

ところで先日オンラインブックストアの「amazon」で「ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展のカタログ」を注文したところ、それ以来amazonさんはことあるごとに「週刊わたしのおにいちゃん」などオタクっぽい商品を薦めてくる。

いや、たまたまちょっと買ったです。そんなに短絡的にお薦めしないでください。

(総裁談)



2004/09/15  

電車が止まってしまった際に車内に流れるアナウンスで納得できないものがある。

それは「停止信号です」というものだ。

この言い方をよく耳にするのだが、これは乗っている人へのアナウンスとしてぜんぜん意味がないと思う。問題は「なぜ停止信号が出ているのか」ということなのではないのか。こんな言い方で何か説明したような気になってもらっては困る。こっちはイライラしているのだ。

同じようなものに「足を踏み外して転落したとみられます」というニュースの常套句。いやいや、「踏み外す」と「転落」はほぼ同義だろう。踏み外したのは原因ではなく結果ではないのか。

ほかにも「すいません、遅刻しました」といって会議に来るとか。ええ、それは分かっています。

あと、犯罪の動機として供述される「むしゃくしゃしてやった」も意味無いと思う。

(総裁談)



2004/09/13  

「おしゃれな街」というのがある。

白金とか自由が丘とか国立とかそういう街。

いっぽうで我が西船橋なんてのはおしゃれの対極にある街だと思う。

双方をわける違いは何か。非常に残念なことに、団地のある街はおしゃれとは認められない傾向にある。われわれの団地啓蒙活動もここらへんをどうにかしなければなるまい。

もうひとつは、お店の前でイヌが待っている街はおしゃれな街といえる。紀ノ国屋のまえとか。

かたやおしゃれじゃない街ではパチンコやの前のクルマのなかで子供が待っている。

(総裁談)



2004/09/10  

ゴキブリホイホイなど、ゴキブリ退治の商品のパッケージにはどうしてあんなにリアルにゴキブリが描かれているのか。

これらの商品を買おうって人はゴキブリが嫌いなはずで、たとえ絵であってもゴキブリの姿など見たくないし、手に取りたくないのではないかと思うのだが。

こんなところでリアリズムを追求しなくてもいい。意味さえ伝われば。例えば、ナプキンなど生理用品のCMでは血を生々しく描くことなく、ブルーの液体で表現している。

じゃあゴキブリもブルーなもので表現するといいのか。バッタとかで代用か。それもちょっと違う。

あと、あまり生理用品を見習いすぎて「多い日も安心」とか「羽付き」とか言うと逆に生々しいので、そこらへんは気を付けたほうがいいと思う。

(総裁談)



2004/09/09  

まだまだ暑い日が続いているが、夜ともなれば虫の声が響きわたる。秋がやってきたのだ。

いろいろなことをやるのに秋は最適な季節だということになっている。「スポーツの秋」「読書の秋」「芸術の秋」「食欲の秋」などなど。きっともっとあるだろう。

他の季節にもこういう肩書きがないことはない。「出会いと別れの春」「恋の季節、夏」などだが、やはり秋のオールラウンド感には遠くおよばない。

秋、ちょっと欲張りすぎじゃないか。

各国から与えられた名誉称号が160余りもある池田大作みたいな感じがするので、秋はちょっと考えたほうがいいと思う。

(総裁談)



2004/09/08  

この「カモだより」と同じような感じで日記を書いている友人のサイトがある。

ふつうにHTMLで書かれているそのサイトが最近、「ブログ」として紹介されていて妙な気分だ、その友人がこぼしていた。「なんかいやですよねぇ、ブログ」と。

以前、この「カモだより」も「ブログ」として紹介されてなんとも言えない違和感を感じたものだ。なんなのだろうか、このむずむずする感じは。

たぶんブログの方が優れているだろうから誉められたと解釈するべきなのだろうが、なんかいやだ。まだ「ダメ日記」とか「バカなサイト」のほうがしっくりくる。なんなら「でべそ」とかでもいい。「ブログ」でなければ。

そうだ。たぶん、今の小学生は「おまえのかあちゃんブ・ロ・グ!」とか言ってはやしたてるのかもしれない。

今「噂の刑事トミーとマツ」が放送されていれば、マツはトミーに向かって「お前なんか、ブログの腐ったのだ!。この『ブロコ!』」って叫ぶと思うし、「バック・トゥー・ザ・フューチャー」が今作られれば、「チキン」じゃなくて「ブログ」って罵倒されることと思う(*1)

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*1
ブログやってる人には申し訳ないです。自分でもなんでこんなに嫌なのか分かんないです。

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(総裁談)



2004/09/06  

「1+1は2になるとは限らない」という言葉をよく聞く。

曰く「シナジー効果で3にも4にもなる」とか、組織論+心意気、みたいな文脈でいい意味で使われることが多い。

ぼくはいちおう理系出身だが、それでも経験上、「1+1は2になるとは限らない」には賛成したい。ただし、たいてい1.5とか場合によっては0.8ぐらいになるという点で意見を異にするが。

これが「1+1+1+1+1…」とかだと、なんと答えは「0」だったりする。そういう会議がよくある。「マイナスにならなくてよかった」ぐらいのものだ。

なんだかんだでやっぱり、「1+1は2」にしておくのが良いように思う。

(総裁談)



2004/09/04  

谷川俊太郎さんの朝のリレーという詩をご存じだろうか。

「カムチャッカの若者が
 キリンの夢を見ているとき
 メキシコの娘は
 朝もやの中でバスを待っている」

という出だしのすてきな誌だ。

「この地球では
 いつもどこかで朝がはじまっている
 ぼくらは朝をリレーするのだ」


何がすてきって、

「カムチャッカの若者が
 キリンの夢を見ているとき
 日本のエンジニアは徹夜で
 サーバーの復旧作業に追われている」

とかがないことだ。

朝がリレーされない時代。それがIT時代なのだと思う。

(総裁談)





2004/09/02  

「ぞっとする」と「ぞっとしない」はほぼ意味が同じだと思う。

どちらも「うれしくない話」の意味のはずだ。「〜する」と「〜しない」なのに意味は逆ではない。

似たようなタイプの言葉に「笑うしかない」と「笑うに笑えない」がある。

かたや笑っていて、かたや笑ってないのだが、どちらも非常に困難な状況を前にしているのは同じだ。

ただ、クライアントからすごいたいへんな仕事をもらったが「明日までにお願いしますね」と言われたときは「笑うしかないですね」で、その結果、案の定ろくな納品にならなかったときにクライアント側がえらそうに言うのが「笑うに笑えないですな」だという違いはある。

ぞっとしない話だ。

(総裁談)



2004年8月のカモだより