●2004/03/31 |
アイドルのグラビアにはいくつかおきまりのロケーションというのがある。 南の島でビキニ、とかベッドの上でシーツにくるまって、とかイヌと戯れるひととき、などがそれだが、「田舎の電車の線路の上を歩く」というのもよく見られる。 なぜ線路の上を物憂げな表情で彼女たちは歩くのか。ビキニやベッドに比べるとアイドルの魅力をひきたてる要素がそこには何もない。そもそもシチュエーション自体にもなじみがない。ていうか、あぶないよ。線路の上は歩くものじゃないよ。 ところで「吊り橋効果」というのをご存じだろうか。あぶなっかしい吊り橋を渡るときにそばにいる異性とは恋に落ちやすい、というものだ。動悸の高まりを恋と錯覚してしまうというのがその説明である。 これを前述の線路の上のアイドルに置き換えると、見るだけでドキドキしちゃうかわいこちゃんが線路にたたずむことによって、見ている人は、そのドキドキを線路への胸の高鳴りと勘違いしてしまう、ということになる。 これは仲間を増やそうとする鉄道マニアの陰謀なのだ。マニア界では団地マニアの一歩も二歩も先を行く鉄道マニア。さすがだと言わざるを得ない。 (総裁談) |
●2004/03/30 |
仕事で「情報拠点」という言葉を聞いた。 地域の情報がそこに集められ、市民がいつでも必要な情報を取り出せる施設や仕組みのことのようだ。また、ただ集められている。というだけでなく、市民みずからが発信できたりすることも重要、と強調されていた。 我が家の伝統的な情報拠点といえば、トイレである。高校のテスト勉強のときは古文の助動詞の表などがトイレの内側のドアに貼られ、効率のよい暗記法として我が家に定着したものだ。いまは全国地図が貼られている。ついさっきも「佐多岬と足摺岬って、どっちがどっちだっけ?」という疑問を解決するために食事中でありながらトイレに向かった。 当然のことながら、トイレの機能は情報を取り出せるだけではない。上述の情報拠点における市民による情報発信がどういうものかは分からないが、我が家の情報拠点の重要な機能の一つである、ある種の発信機能も決して負けてはいないと思う。 (総裁談) |
●2004/03/28 |
ボーリングをやった。 ボーリングは特殊な遊びだと思う。どんなに大人数で行っても、プレーのさいちゅうはきわめて孤独だ。みなに背を向け、自分のプレーの結果をひとりだけで見届けなければならない。 そして結果を見届けた後、くるりと後ろを振り向き、こちらを見ている仲間たち一同に向けて何かリアクションをしながら戻っていかなければならない。 ボウリングの難しさは、実はこの瞬間にある。無邪気にずっこける、派手なガッツポーズをとる。そういったアクションを違和感なくとれるかどうか。 自分自身に関して言えば、こういったアクションはからきし苦手だ。ガータをだしても、ストライクを出しても、半笑いで頭とかかきながら無難にやり過ごすだけである。派手にハイタッチとかしながら席にスムーズに戻ってこれる人は大人だなあ、と思う。 ぼくのようなアクション下手な人間のために、ボウリング場側が用意したお茶濁しのサービスが、あのミュージックビデオなのだと思う。特にアクションとかが行われなかった場合、なんとなくモニタに視線を移す仲間一同。日本人の細やかな心配りだと思う。 ただ、せっかくのサービスだが、なぜか曲のラインナップがボンジョビとかミスチルだったりと微妙なのはどうにかしてほしいものだと思う。 (総裁談) |
●2004/03/26 |
なまはげの里、秋田県男鹿市の観光施設「なまはげ館」に新たな誘客の目玉として、市の予算で「なまはげロボット」が導入されるとか。 このなまはげロボットの主要にして唯一の機能とは、相手とジャンケンして負けると、「おめぇ強いな」などと言い、両手で頭を抱え悔しがるというものだそうだ。 費用は1610万円。市は「全国でも珍しい、インパクトのあるものと考えた」とコメントしている。 なまはげと言えば「泣く子はいないか」と刃物片手に子供に迫るアクションで知られている。あんな形相で刃物片手に詰問されたら誰だって泣くと思うのだが、しかし、あえて泣かせるようにしむけ、それに耐えさせることで立派な大人に成長する、という地域ぐるみの教育方針なのだと理解する。 しかし、R指定で育った現代っ子たちにそういった子供だましが通用するのだろうか、と危惧していたところに登場したこの「なまはげロボット」。 1610万円でじゃんけん。泣かせる手段も時代の要請を受けて高度化してきたということなのだと思う。 (総裁談) |
●2004/03/24 |
いかりや長介氏がなくなったそうだ。 ドリフターズのリーダーとして君臨した後は、俳優としても活躍した彼。近年では「踊る大捜査線」での名優ぶりが際立っていた。 刑事モノのドラマで言えば、天国にはすでに石原裕次郎ボスがいて、中条きよし課長も控えている。天国の警察署は管理職ばかりだ。 そこへ新しくやってきたのが和久さん。管理職ではないものの、もっとこき使える新米デカを期待していたであろう両氏は、正直「またか」と思ったに違いない。 唯一の部下といえば松田優作だ。彼も使いでのある後輩を期待していたであろう。和久さんの登場に「なんじゃこりゃー」と言ったであろうことは予想される。 しかしそこは、長さんのこと。「だめだこりゃー」で対抗するのだと思う。 ご冥福をお祈りします。 (総裁談) |
●2004/03/23 |
「人の集まるところにビジネスあり」という言葉を聞いた。ネットビジネスをやっている社長さんの言葉だ。 キワモノ扱いされてきた、2ちゃんねるなどをはじめとするネット上の掲示板も、そこに大勢の人が集まった結果、ビジネスが生まれた、という。 まだ誰も目を付けていない「人が集まるところ」を発見できれば、うまくすればあなたも大金持ちだ、と言っていた。 そう言われてぼくが思いついたのは、デパートのトイレの前だ。そこには必ず、女子トイレから出てくる連れの女の子を待っている男性がいる。 女性がなかなか出てこないために、ひまを持て余してデパートのビルの避難経路とか眺めていたりする男性諸君を目にするが、あれを広告とかに変えればいいのではないだろうか。これは特許か何かでおさえておいたほうがいいだろうか。こんなコラムに書かない方がよかったかもしれない。 早くしないと、赤いパーカー着た人たちがそこでモデム配ったりしそうだ。 (総裁談) |
●2004/03/21 |
話題のヌーブラ、今年はカラーバージョンが登場だそうだ。 まるで付けていないかのような外見、そこに万感の思いを込めての「ヌー」だったはずだ。目立ってどうする。 ストラップがいっさいなく、大きく背中が開いたドレスなどを着てもまるでブラが存在しないかのように見えること。いわば黒子に徹してきたヌーブラだが、大きな話題になったことに力を得て、一気にブランドとしての存在感をアピールしたくなったというところだろうか。 ヌーブラの公式ウェブサイトを見ると偽モノに悩まされている様子がうかがえることから、元祖正統派であることを強く印象付けたい思いもあるのかもしれない。しかし、その手段がカラー化というのはどうなのだろうか。 今後、匂いつきとかうっすらと「ヌーブラ」という立体的な文字が服の上からでも確認できる、とかそういう方向に迷走しないことを祈るばかりである。 あと「黒子に徹する」って字面を見ると、特殊な髪形をしたユニセフ親善大使も勤めるタレントを思い出す。以上。 (総裁談) |
●2004/03/19 |
自動車のCMには、外人さんがよく登場する。 たとえば、ブロンドの二人がドライブの末、風光明媚な海辺にたどり着き、ダイナミックに切り立った海岸の崖の上で、抱きあいながら遠い水平線を見つめる、というシーンなど。なぜ外人さんなのか。日本人じゃだめか。 たぶん、日本人タレントが切り立った崖に男女でたたずむと罪を告白して自殺しちゃいそうに見えるからだめなんだと思う。 特に川上麻衣子と船越栄一郎とかの組み合わせは最悪だ。 (総裁談) |
●2004/03/18 |
年賀状とバレンタインデー/ホワイトデーの交換形式は逆にするべきではないだろうか。 なぜなら、ホワイトデーに贈り物をするためには、あらかじめバレンタインデーにチョコをもらっておく必要がある。いくら好意を示したいからといって、もらってもいない相手にホワイトデーに物を贈るのは反則とされているようだ。これは切ない話だ。 これが年賀状のように、あらかじめもらったとかもらってないとかそういうのは関係なく、男女双方から、せーの、って感じで贈ることができれば恋のチャンスも増えるというものだ。 一方、年賀状は送ってなかった人から来たら、その返事は一ヵ月後でOK、という形式にしてもらえるとたいへん助かる。 というか、いっそのことクリスマス形式にすれば「今年年賀状が来なかったのは良い子にしてなかったからだ」ということになり、世の中のたいていの上司や取引先には送らずに済むのではないだろうか。すごく助かる。 (総裁談) |
●2004/03/16 |
サッカーの解説で「絶対に負けられない試合」という言葉をよく聞く。 絶対に負けられない試合。そんなものがあるのだろうか。 いや、その心意気は理解できるが、対戦相手のどのチームもそう思っているはず。対戦すればそこに必ず敗者が生まれる。だったらそこに「絶対」はない。 スポーツが苦手なよわっちい男のひがみも含みつつ苦言を呈すとすれば、「絶対に負けられない」と大きく出ればスポーツマンとしてのプライドを表現できると思ってやしないか、と言いたい。 「絶対に遅らせられない納期」 「絶対に値切られない見積もり」 「絶対に寝てはいけない会議」 サッカー選手達も、すこしサラリーマン経験を積んで「絶対」などない、ということを実感してはどうだろうか。 (総裁談) |
●2004/03/14 |
団地更新しました。 --- 人という字は、人と人が支えあっているということになっている。 しかし、どうだろうか。人という字を書いてみて欲しい。左の人が右の人に一方的に寄りかかってはいないだろうか。支えているのは右の人だ。 と思ったが、ディプレイで見るとコンピューターで使われるフォントはちゃんと両者が支えあっている。 ウォズニアックとジョブスが夢見たパーソナルコンピューターの理想はこんなところに生きている。うそです。 (総裁談) |
●2004/03/12 |
パソコンの記憶装置であるハードディスクは衝撃に弱い。 ノートパソコンを落としたりすると、その時すぐにはどうということもなく、すこしたって突然ハードディスクがダメになったりする。そういうものらしい。 ある日突然倒れた人が、実は1年前に頭を強く打っていた、というのに似ている。 コンピューターは人間になれるか、という話題がよく聞かれるが、こんな地道なところから人間に近づいていってるのだ。 (総裁談) |
●2004/03/11 |
ZAKZAKによると、入院中の長嶋監督は、点滴ではなくヨーグルトを1カップ食べ、ベッド上に自力で起き上がるなど、順調な回復をみせているという。 それはいいのだが、そのZAKZAKの記事のタイトルが 「長嶋監督、起き上がった、ヨーグルト食べた」 「赤と黒」で有名な文豪、スタンダールの墓碑は「生きた、書いた、愛した」だが、長嶋監督のは「生きた、起き上がった、ヨーグルト食べた」ぐらいがちょうどよいと思った。 (総裁談) |
●2004/03/10 |
大阪に来ています。 久しぶりの大阪宿泊出張だ。宿はAPAホテル。そのインパクトのある顔立ちで有名な女社長で有名なホテルである。 以前の「カモだより」でも書いたが、客室には必ずその女社長の問題のある顔面の造形が惜しみなく表紙に施された書籍「私が社長です」が置かれている。上の画像はその表紙である。カモだより二度目の掲載だが、この狼藉を知っていただくために、あえて。 一方でAPAホテルのサービスの特徴としては有料放送が無料であることがあげられるだろう。 そしてさらに、今回チェックインの際には「サービスです」と言ってフロントで缶コーヒー「FIRE」が手渡された。 有料放送を鑑賞するも、そのテレビ画面の横には女社長の笑顔。そしてKIRINが豊かなコクにこだわった「FIRE」。 APAホテルは日本人男性の間に新たな性文化を広めようとしているのかもしれない。 (総裁談) |
●2004/03/09 |
品川港南口に「洗練された上質な個性と出会う、大人の空間『アトレ品川』」ができた。ちょっとコジャレた駅ビルとでも考えてもらえばよいと思う。 コジャレ具合をあらわしているのがその売り文句である。曰く「NY STYLE」。 「エキサイティングな大人の街、ニューヨークにインスパイアされた、かつてないショッピングセンターの誕生。シックで落ち着いたデザインの館内。上質なサービスをご提供する、スタイリッシュで個性的な各ショップ。ゆったりと流れる時間の中で、本当の価値を見つける歓びを、あなたにも。」 だそうだ。付近のあちこちに「NY STYLE」「NY STYLE」って貼ってある。 上記のコピーを考えたご本人をはじめ、関係者の誰もが「NY STYLEて」と苦笑いしていることだろう。これが仕事というものだ。薄っぺらい売り文句をことさらあげつらうのは大人げないというものだろう。 しかし、オープンしたてのアトレ品川に先日行った、という人がいたので、どうだったか、と聞くと、一言、「ひとえちゃんの絵が展示されてた」と。 スピード解散後、その日本人離れした顔立ちを活かして渡米、NYでイラストの勉強をしたというひとえちゃん。たしかに、かつてないショッピングセンターには欠かせないものかもしれない。 こういうNY STYLEなら歓迎したいと思う。 (総裁談) |
●2004/03/07 |
長嶋茂雄さんが脳梗塞で入院した。 現在の容態について巨人の広報部長は「意識レベルが改善され、問い掛けへの反応も早くなっている」との医師の所見を発表した しかし、どうなのだろうか。彼の場合、元の意識レベルに戻ったところで、問いかけに対してする反応としては「こんばんは、長嶋シゲルです」(*1)と言ってしまったりするわけで、何をもって回復しているとするのかは非常に難しいと思う。 脳の科学は、研究分野としてはまだまだ謎の部分が多い、と聞くが、そんな「意識」に関する研究の難しさをあらためて思い知らされる長嶋茂雄さんの脳梗塞。 これこそが「ミスター」の貫禄なのではないかと思う。 --- *1 ラジオ番組の収録中どうしたわけか、自分の名前を間違えて「シゲル」と言ってしまったことがあったらしい。 --- (総裁談) |
●2004/03/06 |
「ストックオプション」を間違えて「ストップオクション」と言ってしまった。 97年、商法改正によって日本にも導入されたストックオプション制度。バブル崩壊以後、低迷が続く日本経済において、特にベンチャー企業の発展・成長を促しひいては日本を活性化することに効果があると期待されている。 しかし、一介の世間知らずの団地マニアには縁遠い話だ。ついうっかり「ストップオクション」と言ってしまうのもむべなるかな。 しかし、バブル時代の徒花「億ション」に対して疑問を呈する、という意味では「ストップオクション」もそう見当違いではないのかもしれない。 当時まだ小中学生だったとはいえ、80年代バブルを経験した者として、これからも臆することなく堂々と「ストップオクション!」と言っていきたいと思う。 (総裁談) |
●2004/03/05 |
「住宅都市整理公団」はぼくと長野との2人で運営されているわけですが、ときおり「ソロで活動とかされないんですか」と聞かれることがある。 ソロでやったところでやることはきっとなにも変わらない。変化があるとすれば、それはカメラも三脚もひとりで運ばなきゃならなくなることや、団地への侵入もたった独りで心細くなることなど。いいことなどなにもない。 音楽業界ではよく耳にする「ソロ活動」の名の下に行われるバンド本体の解散や一時休止。それらを見ると、そのじつ我々と同様、バンドでやっていたこととほとんどなにも変わらなかったりする。だったらわざわざソロでやんなくていいじゃん、と思う。 ところでヒステリックブルーの元ギタリストが逮捕されたそうだ。容疑は強制わいせつ。本人は容疑を認めているという。 ぼくは「ヒステリックブルー」なるバンドのことは、その名前を耳にしたことがある程度で、ほとんどなにも知らなかった。今回あらためて知ったところでは、彼らは3人組のバンドで、98年にデビューし、昨年9月でバンド活動を休止しており、同容疑者はソロ活動をしていたという。 強制わいせつ。いわばバンド時代にはできなかった真の意味でのソロ活動。「ほかにも何件かやった」と供述しているという点から、その充実ぶりもうかがえる。 意味のないソロ活動が横行する音楽業界のなかで、アーティストのみなさんにはぜひ彼を見習っていただきたいものだと思う。 (総裁談) |
●2004/03/04 |
いまだに「ピースサイン」がよく分からない。 ぼくがはじめてピースに出会ったのは小学校2年か3年の頃だったと思う。遠足か何かで記念写真を撮る段になって、同級生達が「ピース!」のかけ声も高らかに差し出す人差し指と中指。なんだこれは、とショックだった。 後に「ピース」の意味を知るようになって、困惑の度合いはさらに深まる。なぜ記念撮影でピースなのか。なぜ極東の島国の小学生や中学生が、何かっていうととりあえずピースなのか。ピースって、そんなにカジュアルなものなのか。 しかし思えば当時は純粋過ぎたのだと思う。いつでもどこでも、深く考えもせずに「ピース」。それこそが平和の証、被爆国の心意気、憲法第9条、というものなのかもしれない。 と思っていたら、同じサインは「Vサイン」とも呼ばれることに気がついた。 この「V」はおそらく「勝利」のVなわけで。そして勝利の前提には必ず戦いがあるはずで。 戦いと平和のアンビバレントなサイン。それがピースサイン。そして、そんなサインをしたものかどうかという困惑に軽々と決着をつけてくれた窪塚洋介。 (総裁談) |
●2004/03/02 |
米大統領選の民主党指名争いが始まった。米大統領選の予備選などは火曜日に一斉に行われるしきたりだそうで、これを「スーパーチューズデー」と呼んでいるとのこと。 この「スーパー」という語への感覚の違いがすなわち日米の違いなのだと思う。一国を代表する大統領を選ぼうって時に「スーパー」。これが常任理事国の底力だ。 しかし思えば日本での無分別な「スーパー」使いの歴史がその価値を下落させてしまったのもまた事実。日本でスーパーといえば大根とか売っているか、銭湯か字幕ぐらいのものだ。 それに引き替え本国アメリカでは、冒頭の大統領予備選やスーパーボウルなど、華やかな催し物に冠することでスーパーの価値のデフレを防いでいるのだと思われる。 「スーパーチューズデー」に関して言えば、あとはミニロトが問題だと思う。 (総裁談) |
●2004/03/01 |
電車の中で「あるある大辞典でウコンがダイエットに効果があるって言ってたから、ウコン買いまくったんだけど、ぜんぜん痩せない。あるある大辞典は詐欺だ」と憤慨している女性がいた。 かように、あるある大辞典で紹介される効果に関しては賛否両論のようで、番組を非難するサイトも数多く見られる。 確かに番組を見ていると、司会者・コメンテーターたちのカジュアルな胡散臭さもさることながら、「実験」と称して行われる恣意的な解釈などには首を傾げざるを得ない部分が多い。 しかしそこは「あるある」という表現でクリアなのだと思う。あくまでそこは「あー、そういうのって、あるある」というようなノリで。科学的かどうか、とかそういうのはどうでもよい、「あるある」の一言にはそういう思いが込められているのだと思う。 くだんの女性は「おれおれ詐欺、っていうか、あるある詐欺、って感じよねー」(*1)などとうまいことを言っていたが、彼女にはなつかしの名番組「クイズ100人に聞きました」を思い出して欲しいと思う。 出場した素人が意気込んで答えた回答に対して沸き起こる、会場からの「あるある」の声。しかしそんな声援もむなしく響き渡る「ブー」の音。関口宏のしたり顔。 「あるある」とはそういうものなのだと思う。 --- *1 ヒロミは逆に「おれおれ大辞典」とかやりそうで嫌だ。 --- (総裁談) |
2004年2月のカモだより |