●2004/02/27 |
日経新聞やビジネスマン向けの本や雑誌などを読まないので、ビジネス用語に疎い。会議とかでうろ覚えのまま間違った使い方で口に出してしまうと恥をかいてしまう。特にCRMとかSCMとかSEOとかアルファベット3文字ものはまぎらわしいので要注意だ。あれは人を試すためにわざとまぎらわしいようにしてあるのではないか。 ところで最近はさっぱりテレビを見ないので、芸能人の名前に疎くなっている。これらも、ビジネス用語と同様、うろ覚えで口に出してしまうと恥をかいてしまう。 特に女性アイドルはAV女優と紛らわしいので要注意だ。「美」とか「子」がつくだけでAV女優とか。 (総裁談) |
●2004/02/26 |
仕事で、けっこうややこしいことをやっている。 マーケティングに関わる小難しい仕事で、調査の設計から始まり→あれをやり→これをやり→こんなこともやり→そうすると最後にこういう成果が上がって→会社が儲かる、という論理の連鎖がたいへんややこしい。仕事してて自分でもなにやってるか訳が分からなくなる。 近々予算獲得のため、偉い人にその論理のつながりを理路整然と説明できなければならないのだが、しどろもどろになって、最後は「というわけで、桶屋が儲かります」ということになってしまいそうだ。 桶を売っている会社に勤めればよかった。 (総裁談) |
●2004/02/25 |
妹がアメリカから帰ってきた。 今朝ぼくが起きたら、ふつうに居間にいたので、時差ボケはないのかと聞くとそうでもないという。ぼくのほうがよっぽど眠そうだ、と。 もしかしてぼくがいつも会社で眠いのは時差ぼけだったのかもしれない。日本にいながら常に時差ボケ。いつでも世界を股にかけていると言ってもいいだろう。 いわばグローバル・アイだ。ねむい。 (総裁談) |
●2004/02/24 |
新しいものを追うのがめんどくさくなる年頃というのがあるように思う。 たとえば、ぼくの場合、モーニング娘。が世に登場したときにはすでにそういう年頃をすぎていたので、彼女らに対して今日まで興味が持てずに終わっている。たぶん、このさきずっと興味を持つことはないだろう。 食べ物で言えば、エリンギがそれにあたる。このちまたで人気のキノコ、ぼくの記憶ではあるとき突然はやりだしたように思うが、いまだに興味が持てない。 「エリンギって、おいしいか?」と今まで疑問だったが、これはエリンギの問題と言うよりは、ぼく側の問題だろう。食材に対しても新しいものを追うのがめんどくさくなっているということだ。 つまり、ぼくのなかではエリンギもエミネムも同じだってことです。 (総裁談) |
●2004/02/21 |
久しぶりに公園で遊んだ。 いわゆる児童公園というやつだ。ブランコやジャングルジムなどがあるような、子供のための、どこにでもあるような公園だ。 そんな公園にある遊具を試すのは実に久しぶりのこともあり、すっかりいい大人になった今でも比較的楽しむことができた。 しかしそんななかで大人には実に気まずい遊具。それはシーソーだ。子供時代には気にもならなかった自分の重さ、というのが相手との比較の中であらわになる、そんな大人にとってはタブーな遊具、シーソー。 さっきまで童心に返って無邪気にブランコで遊んでいた面々がシーソーを前に微妙な雰囲気を漂わせる 「シーソー、やる?」 「いや、あれはいいや」 「そうだよね、やめとこう」 恋はシーソーゲーム、などと例えるまでもなく、シーソーはシーソーゲーム。大人の休日、公園の午後。 (総裁談) |
●2004/02/20 |
どうして「さいしょはグー」なんだろうか。 ぼくの記憶では、この作法はある時急に始まった気がする。小学校高学年の時のことだったと思う。 やおら持ちかけられる「さいしょは…」。おっとなんだ。さいしょは、ってなんだ。じゃんけんじゃないのか。と、とまどっているうちに言われる「グー」。 よく訳の分からないまま、パーとか出すと「なにパー出してんだよ」とか怒られる。おいまて。こんなじゃんけんの作法は聞いてないぞ。だいたいなんでグーだ。誰が決めたんだ。なぜグーを優遇する。パー、チョキ、グーが平等の三すくみだからこそ成り立つじゃんけんだろう。 当時から今に至るまでぼく自身はいまだに納得できないこの「さいしょはグー」。しかしぼくのとまどいをよそに定着した観のある「さいしょはグー」。 たぶん「とりあえずビール」みたいなものなんだと思う。 もはや、こどもたちの平和的解決手段としてのじゃんけんの純粋さは、そこにはない。 (総裁談) |
●2004/02/19 |
フチ無しメガネのCMを目にする。「フチ無しメガネをかけた妙齢の女性がそっとメガネを外す」というCMだ。曰く「素顔に近い」だそうだ。 フチがないから素顔に近いというのは本当だろうか。やっぱりそこにはレンズがあってツルがあって、どう見てもメガネ顔なのではないのか。 同じようなごまかしは肩紐が透明の素材でできたブラジャーにも見られる。肩が大胆にあいたお召し物を着こなす際に最適、とのことだが、やはりどう見てもそこには肩紐の存在感がある。透明になったから見えないことにする、というのはかなり幼稚な発想ではないかと思う。 そういえばこのメガネとブラジャー、形状的にはかなり似ている。レンズ:ツル=カップ:肩紐という構成だ。 だとしたら、ブラジャーの方もフチ無しメガネのように、思い切って、メガネのレンズ部分にあたるカップ部分を透明にしてはどうだろうか。言うなれば「カップ無しブラジャー」だ。これなら「見えないことにする」を受け入れてもよい。 その場合、CMは冒頭のそれにならって「カップ無しブラジャーをした妙齢の女性がそっとブラジャーを外す」というものにしていただきたいと思う。 (総裁談) |
●2004/02/18 |
アメリカに行っている妹からメールが来た。前々回02/16のカモだよりを読んで一言、とのこと。 『「メイビー」ってかなり口癖になっています。キムタクに、「がんばって英語を学んでいる人のことも考えてあげられるくらいじゃないと本当に優しい男とは言えないぞ」と言ってあげたほうがいいと思いました。』 だそうだ。 今は、海外で英語を学んで帰国してくる時期としては最悪なのかもしれない。しかも彼らは日本のドラマなんかを見ていないので、うっかり知らずに「メイビー」と使ってしまう危険性も大きい。それだけに、その問題の根は深い。 結局のところ彼の優しさは中途半端だったということだ。もっともっと日常では使われない言葉を選ぶべきだったのだ。 そういう意味では、せんだみつお氏なんかはすごく優しい人だと思う。「ナハナハ」て。 (総裁談) |
●2004/02/17 |
天気予報では「暦の上ではもう春ですが、とうぶん寒い日が続きます」などというせりふがよく聞かれる。 なんとなくみんなそんなもんだよね、と思っているようだが、どうなのだろうか。「暦の上では」って。そこらへん正確に知らせることは、暦の重要な役割なのではないのか。 だったら、期末も近づいてきたので「暦の上では納期ですが、とうぶん作業は続きます」とか言ってみようかと思う。 (総裁談) |
●2004/02/16 |
キムタクが、主演のドラマの中で「メイビー」と言っているらしい。 以前の主演ドラマでは「ぶっちゃけ」を繰り返していたとも聞いた。 会社の先輩は、そのドラマが放送される前から「ぶっちゃけ」を口癖として使っていたが、キムタクが言うようになってから、真似をしたようで恥ずかしくて使えなくなったので困る、と言っていた。こういう人は多かったのではないだろうか。 今回の「メイビー」は、「口癖として無理がある」「不自然だ」など各方面で酷評を浴びているようだが、「ぶっちゃけ」のときのように迷惑をかけないように、あえて日常では使われない言葉を選んだのではないかと思う。これは彼の優しさなのだ。 たぶん。 (総裁談) |
●2004/02/15 |
ある女性誌の中吊り広告のコピーに『女の価値は「あご下」で決まる』とあった。 女の価値を決める代表的なボディパーツとしてはまた微妙なところを狙ってきたものだ、と思ったが、そのとなりには『ネイルで爪の先まで女』とあり、やっぱりあご下さえどうにかすればどうにかなる、というものではないようだ。 考えてみれば、これまであまたの女性誌が「ここさえ押さえておけば大丈夫」と、さまざまな女性のボディパーツをあげてきた。「目元でキマる」とか「背中を磨け」とか「理想のバストを手に入れろ」とか。 これらの言うことをひとつずつ信じていったあかつきには、結局のところ全身が美しくないとダメ、ということになりそうだ。そんなことは最初から分かっている。 ただ一点、女性誌が「ここを押さえれば」として挙げないボディパーツがあるとしたら、それは、いわゆる「女性のデリケートな部分」であり、すなわちここらへんが女性誌のメディアとしての限界なのだと思う。 (総裁談) |
●2004/02/14 |
海外のテレビドラマが好きで昔からよく見ている。 最近気がついたのは、アメリカのシチュエーションコメディでは、「主人公の家族の隣に住んでいる友人」というのが主要登場人物として必ずと言っていいほど登場することだ。 しかもそのお隣さんはたいていちょっとイカれたキャラだ(*1)。 ひるがえって、日本ではどうか。たとえばサザエさんにおいては、隣人はあこがれのお姉さんだったり、あるいはしっかり者の中島君だったりする。 イカれた隣人としっかり者の隣人。これが日米の隣人観の違いなのか。 つまり、アメリカの銃社会っていうのはこういうことなんだと思う。 --- *1 ファミリータイズのスキッピーとか、フルハウスのキミーとか。 --- (総裁談) |
●2004/02/13 |
パソコンのデスクトップに散らかっていたファイルを整理した。 その内容によってファイルをいくつかに分類し、フォルダに分けていったが、何とも言いようのないファイルがいくつか残った。しょうがないので「その他」とか「総合」とかなんとも煮え切らない名称のフォルダをとりあえず作ってそこに放り込んでおいた。 この「総合」に分類されちゃうようなファイルはは、恐らく二度と開かれることのないまま最終的には捨てられちゃうことになると思う。それが「総合」の悲しみだ。 ところで、先日相棒の長野氏が具合が悪いと言って団地の撮影を中止したことがあった。 その後、ずいぶんと具合が悪かったと聞いたので、インフルエンザだったのか、と聞くと、がっかりした声で「医者には『ただの風邪ですね』って言われたよ」と言っていた。 しんどい思いをしている病人に対して、この「ただの風邪」という言い方ほど気落ちさせるものはないと思う。 何とも言いようのない病気を、しょうがないので「総合」となんとも煮え切らない名称のフォルダをとりあえず作ってそこに放り込んでおいた感じだ。 つまり「総合感冒薬(風邪薬)」というのは、そういうことなのだと思う。 (総裁談) |
●2004/02/12 |
前回2/9の「カモだより」でキャッツアイの長女の名前がなんだったか思い出せない、と書いたところ、かつてないほどのメールをいただいた。ありがとうございます。 どうやら長女の名前は「泪(ルイ)」のようだ。 コラムに「分からない」と書けば、みんながメールで教えてくれる。もしかしたらこれは新たな検索サービスかもしれない。 結果が分かるまでに一日二日かかるが、時代はスローライフ。検索システムもネクストジェネレーションに突入だ。 (総裁談) |
●2004/02/09 |
キャッツアイの三姉妹の名前が思い出せない。 「瞳」と「アイ」は思い出せる。なんせキャッツ「アイ」だ。目にちなんだ名前だろう。しかしこれ以外に女性の名前になりそうな目の呼び方なんてあるだろうか。となりのトトロに「さつき」と「メイ」に続いてもうひとり出て来ちゃうようなものだ。「目」のフランス語とか出てきちゃうのだろうか。 だいたい考えてみれば、三人もいる必要があるのかあやしい。うろ覚えながらストーリーを思い返してみる限り、三人必要な理由なんてないような気がする。ふたりっきりの姉妹でも良いのではないか。目だけに。 たしか「瞳」「アイ」はそれぞれ次女、三女だったはずだ。となれば、親のネーミング時の心情から考えて長女は、よりストレートに「目」をあらわす名前であることが予想される。フランス語とかではなくて。 「目」だな。 (総裁談) |
●2004/02/06 |
「電子メール」という呼び名はそろそろ使われなくなってきている。「電子メール」から「eメール」となり、いまや何も冠せず「メール」という言い方が一般的だろう。 似たような呼び名の変遷をしたものに「電気ギター」があるように思う。「電気ギター」から「エレキギター」となり、いまや何も冠せず「ギター」といえばエレクトリックのほうを指し、むしろ昔ながらのほうをわざわざ「アコースティックギター」と呼ぶようになっている。「eギター」とはならずに「エレキ」だったあたりに時代のにおいを感じるが、たどる道は同じだ。 「電気自動車」もそのうち「e自動車」あるいは「エレキカー」などを経て最終的には何も冠せず「自動車」と言えば電気自動車のことを指すようになるのだろう。呼び名の進化と定着というのはこういうものなのだと思う。 つまり、上記のようなステップを踏まずにいきなり最初から山手線を「e電」と呼ばせようとしたのが間違いだったのだと思う。まずは「電気電車」から始めるべきだったのではないだろうか。 (総裁談) |
●2004/02/04 |
京浜急行線の北品川駅は、品川駅の南にある。 北品川駅は品川区の北端にあり、その名に偽りなしなのだが、品川駅は実は品川区にはなく港区にあるので、どちらが正しいかと言われれば北品川駅さんのほうが正しい。 しかし、新幹線も停まるようになり、駅前の再開発の勢いめざましい品川駅に比べ、北品川駅には各駅停車しか停まらず、その各駅停車はめったに来ない。 北品川駅に対しては、細かい言葉の定義にこだわるより、まず急行を停めてもらう、など中身の伴った主張が大事なのではないか、と言わなければならないだろう。 ところで藤井フミヤは自らのアート活動のことを「FUMIYAとARTの融合でフミヤート。フミアートではない」と主張しているようだが、これに関しても細かい言葉の定義にこだわるより、中身の伴った主張が大事なのではないか、と言わなければならないだろう。 (総裁談) |
●2004/02/03 |
節分には歳の数だけ豆を食べることになっている。 子供のころは「もっと食べたい」と不満に思った豆も、今年は31個食べられるが、そんなにいらない。よく考えてみればそんなに美味しいものじゃないし、食べ過ぎておなかを壊す危険だってある。食べざかりの年齢には少ししか食べられず、たらふく食える権利を得たときには精神的にも肉体的にも大量の豆を受け付けなくなってしまうとは、世の中うまくいかないものだと思う。 しかしそこにビールがあるとなれば話は別だ。31個ぐらい余裕だろう。もっとあったっていい。できれば炒った豆ではなく茹でて軽く塩でもふってほしいものだが、贅沢は言うまい。 「豆だけじゃそんなに食えないよなあ」と感じるとき、それが大人になる、ということなのであり、つまり、お酒は二十歳から、というのはそういうことなのだと思う(*1)。 --- *1 さらに言うなら「ビールがあったところでそんなに豆食えないよなあ」と思い始めるのはだいたい60個ぐらいではないか。還暦を迎える、というのはそういうことなのだと思う。図らずも「節分」の意味の奥深さが分かってきた。 --- (総裁談) |
●2004/02/02 |
革製品のお手入れにはミンクオイルを使う。 牛の革には牛みずからのオイルが良さそうなものだが、そうじゃないらしい。じゃあミンクの毛皮のお手入れには何を使うのだろうか。 ひるがえって、牛のオイルは何に使われているか。世界で一番牛の脂が使われているところと言えば、それはマクドナルドではないだろうか。 だとしたら、この三者の輪廻の輪をきれいに閉じるには、ドナルドの脂をミンクのお手入れに使えばよいということになる。ほのかに赤みがかった鮮やかな黄色のオイルが、あなたの大事な毛皮の艶やかさを保ちます。 最近彼をあまり見かけないと思ったら、そういうことだったのか。 (総裁談) |
●2004/02/02 |
札幌から帰ってきました。 たしか来週は札幌雪祭りのはずだが、大通公園にはまだぜんぜん制作にも着手していない作品がいっぱいあった。だいじょうぶか。間に合うのか。 いままでなんとなく雪祭りとかなじめない感じだったが、追い込まれないと始めないタイプが多いと見受けられる道産子たちと、雪祭りに親近感だ。 なかにはとうとう間に合わなくて、「今回は本番の企画提案ではなく、まずヒアリングのための資料ということで」とか言ってお茶を濁すような作品もあるといいと思う。そんな人なら友達になれそうな気がする。 (総裁談) |
2004年1月のカモだより |