2004/01/31  

突然ですが、札幌に来ています。

雪国では長いこと放置してある自転車には盛大に雪が積もってしまうことに気がついた。

一方、東京では自転車のカゴにどれだけゴミが詰め込まれているかで放置自転車かどうかが分かる。

つまり、東京におけるホワイトスノー、それはゴミなのだ。

明け方のセンター街とか、かなりの豪雪地帯。

(総裁談)



2004/01/30  

男が妻や情婦にほかの男を誘惑させ、それを種に相手の男から金品をゆすりとることを「美人局(つつもたせ)」と言う。

なぜ「局」なのだろうか。実は放送事業者か。

今話題のデジタル地上波の特長の一つに、視聴者が番組に参加できる双方向性があるが、美人局はそのインタラクティブ性をウリに今後一気に人気放送局になるのではないかと思う。

(総裁談)




2004/01/29  

論文などを読んでいると、「この点に関しては今後の研究が待たれる」という言い方をよく目にする。

「待たれる」て。おまえが研究しろよ。

よく「象牙の塔の学者先生の研究とビジネスは違う」などと言われるが、臆面もなく「待たれる」と言えるかどうかがその違いではないかと思う。

いや、ビジネスの方がシビアと言いたいのではなくて、これがビジネスの現場では「その点は来期以降の課題として認識しております」になるだけ。

(総裁談)





2004/01/28  

みなさんもご存知かと思うがミス・ユニバースというものがある。いわゆる美人コンテストだ。

同じ美人コンテストといっても、ご当地で乱発される「ミス八王子」「ミス福娘」「ミス納豆」などとは違い、このミス・ユニバースは約50年の歴史を誇り、ミス・ワールド、ミス・インターナショナルとならんでミス界では権威あるコンテストと聞く。

しかし一方で、未婚の女性のみを対象とし、しかもその容姿を画一的に評価する、という美人コンテスト自体への疑問や、「ユニバース」と謳っておきながら、実際には特定の人種が多く優勝してきた点に対する批判も多くあるようだ。ぜんぜんユニバースじゃないじゃん、というわけだ。

この「謳っておきながらぜんぜんユニバースじゃない」という事に関してわたしが声を大にしていいたいのはUSBだ。この「U」は「ユニバーサル」の意味らしいが、USB挿そうとすると、いつもかならず表裏が逆で挿さらないというのはどういうことか。

これはぼくがおっちょこちょいだから、では済まされないように思う。「ユニバーサル」を謳うのであれば表と裏逆でも挿さってしかるべきではないのか。

(総裁談)



2004/01/27  

友人が、朝のテレビ番組の占いで「今日は良いことがある」という内容だったにもかかわらず、自転車のチェーンが外れたため駅まで歩かねばならず遅刻してしまった、とぼやいていた。「ぜんぜん良いことなんか無かったよ」と。

しかしその話を聞いた別の友人は「きっとそのチェーンが外れていなかったら、事故とかにあっていたんだよ」と言った。

この手の「一見トラブルにあったように見えて、実はそれのおかげで助かった」という話はよく耳にする。

しかし、どうなんだろうか。災難を避けさせるための警告手段が少々回りくどくはないか。

こういう配慮を施すのは神様とかなんだろうが、神様は字とか書けないのか。書けるんだったら分かりやすく「今日は自転車に乗ると事故にあうので歩いて行きなさい」って警告すればよいのではないか。朝起きたらそういうメモが冷蔵庫に貼ってある、とかの方法で。今だったらケータイにメールが届く、とかでもいい。

こういう回りくどいやり方は、なんとなく小学校の時の先生を思い出す。理科の実験とかやり方教えてくれれば早く済むところを、あえてわざわざなにも教えずにやらせて、失敗させた上で学ばせる、というやり方。子供心に「さっさと普通に教えろよ」と思ったものだ。

神様=小学校の先生。なんか神様むかつく。

(総裁談)




2004/01/24  

年末、「はなまるマーケット」を見た。番組中、レシピを紹介するコーナーで「冷蔵庫にあまったものを使ってできる簡単料理」が特集されていた。半分使ったきりのニンジンや、中途半端に残ったハム、さらには微妙に残っているドレッシングなどを活用した、まさに年末の冷蔵庫内大掃除料理だった。

そんな年忘れな素材を駆使して、いったいどんな料理ができてしまうのだろうと期待して見守ったが、いくつか完成したものたちのできばえは、微妙だった。

そんなお茶の間のがっかり感を察するかのように、アシスタントの女性がしきりに発するフォロー。それは「お酒のつまみなんかにはぴったりですね」というものだった。

一人前の料理としてひとり立ちできない料理も「お酒のつまみ」としてならOK。よく聞かれるせりふではあるがなんなのだろうか、このお酒のつまみの万能感は。

おそらくそこには、どうせ酔っ払いの味覚には何も分かったものじゃないだろう、という見くびりがあるのではないかと思われるが、やはり酒がかもし出す非日常の世界にも、この万能感の正体があるように思われる。

たとえば「酔った席での発言だからかんべんしてやってくれ」とか「今夜は無礼講」とか「朝起きたら知らない男と一緒のベッドに」とか。免罪符としてのお酒の効果は絶大である。

駅など公共の場での、酔っ払いによる迷惑行為が問題になっているが、解決策としてまず「お酒のつまみ」は万能ではない、とするところから始めてはどうかと岡江久美子さんならびにヤックンに言っておきたい。

(総裁談)



2004/01/23  

「そろそろ結婚かな…」というコピーを目にした。結婚相手を紹介するサービスの広告だ。

しかし、団地マニア風情がこんなことを言うのもなんだが、結婚とは「そろそろしなきゃなあ、誰かいないかなあ」と思ってするものなのだろうか。「この人と人生を共にしたい」という相手が現れた結果、導かれるアクションが結婚ではないのか。ほんと、31歳独身団地マニアにこんな正論言われたくないと思いますが。

いままでの仕事での経験からすると、ちゃんとした準備もなされないまま唐突に締切日だけが設定されるプロジェクトはろくな結果にならない、と一言警告させていただきたい。

くだんの広告には「成婚率No1!」とも謳われていたが、この手のプロジェクトの場合、重要なのは納品できるかではなく、納品後のメンテナンス体制だ。納品された新郎にバグが多数見つかる、などの不具合を覚悟しなければならないだろう。

持ってるトレーナーにことごとくでっかく「VANS」あるいは「TOMMY HILFIGER」って書いてあるとか、持っているかばんが全部cosbyだったとか、靴下が全部白だったとか、そういう感じの。

(総裁談)



2004/01/21  

ここ数年、よく行く銀行に置いてある雑誌に変化が見られる。

以前はあった女性自身や女性セブンなどの雑誌が姿を消し、値段の表記のない銀行の冊子などにとって変わられている。何かもう少し読み易いものをと探すと、でてきたのが雑誌「詩とメルヘン」。

やなせたかしが編集している「投稿された詩やメルヘンを載せた読者がつくる雑誌です」と紙面に説明がある。あまりにもサラッと書かれているので見逃しそうになるメルヘン。
なんだ、メルヘンって。でも、知りたくない。そんなジレンマがメルヘンの魅力なのか。

以前、銀行のポスターに「生まれ変わります」とか書いてあったが、女性自身からメルヘンへ。確かに変わったのは分かるが、金融改革がこうした変化ならきっと夢物語で終わるのだと思う。

(長野談)



2004/01/20  

携帯電話で通話中は、なんとなくアンテナを伸ばさないと気が済まない。

しかし、どうやらこの通話スタイルは格好悪いとされているようで、しばしば笑いながら「なんでアンテナ伸ばしてるの?」と人に指摘される。

だが、アンテナは伸ばすために存在しているのではないのか。伸ばせるものを伸ばさない、というのは携帯電話メーカーに失礼ではないのか。

しかし「使えるものを持っていながらあえて使わない」という行為に大人の美学が存在するというのもまた事実だ。「本場のイギリス紳士が常にこうもり傘を持ち歩いているにもかかわらず、肝心の雨天時にはそれを使わない」というものを頂点に、卑近なところでは「学ランの着こなしは第2ボタンまではずすのが粋」というものまで、「あえてつかわない美学」にはいたるところでお目にかかることができる。

だとすれば「アンテナは伸ばすためにあるんだから伸ばすべきだ」というぼくの主張はエスプリを解さない子供の意見なのかもしれない。

もしかしたら「車内では通話はご遠慮ください」というのもJR流のエスプリ指南なのか。通話するための携帯電話機をあえて使わない。これはすでに英国紳士の域だ。

ぼくの知る限り、喫茶店で午睡をとる外回りの営業さんあたりが「携帯電話あえて不使用」のトレンドリーダーだと睨んでいるのだが、どうだろうか。

(総裁談)










2004/01/19  

アメリカの狂牛病騒ぎで、牛タン専門店の経営者が「国内産に切り替えたために、売れれば売れるほど赤字ですよ」と言っていた。

ところで、ここのところお風呂に入っても入っても頭が痒い。

ようやく、どうも原因はシャンプーが合わないかららしい、と気がついた。痒いから一生懸命洗う→よけい痒くなる、というかゆみがかゆみを呼ぶかゆみのデフレスパイラルだ。

「痒いから洗うとよけい痒くなる」はなんとなく、「売れれば売れるほど赤字」の理不尽さに似ている。社会問題を、頭皮で実感だ。牛タン専門店よ、いっしょにがんばろう。

ていうか、シャンプーはチェンジしますけどね(*1)

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*1
「植物物語」とかに。

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(総裁談)








2004/01/19  

任天堂の花札の箱にはナポレオンの肖像が印刷されている。

日本には肖像権は法律の条文として存在しないらしいが、問題は起きないのだろうか。選挙で選ばれる政治家は政治家のプライバシーに関する情報が公益となる場合もあるために、政治家がプライバシー権を主張することは困難だという。

国民投票により皇帝に即位したナポレオンだから肖像権を主張しにくのかもしれない。それでも、嫌疑がかけられたときのためか花札の商品名は「大統領」だ。

「皇帝じゃないです。大統領です。『よっ、大統領!』の。ただのおじさんです。」とお茶を濁すのだろう。こうなると「下町のナポレオン」は花札のコピーみたいだ。

(長野談)



2004/01/15  

とある歌舞伎の公演のポスターを見た。「若手歌舞伎五人衆が大暴れ!」だそうだ。

聞けば「歌舞伎」の語源は「傾く(かぶく)」という言葉で「暴れん坊」といった意味合いもあったそうだ。とすれば「大暴れ!」とわざわざ銘打つまでもなく、歌舞伎とはそういうものなのだろう。

言うなれば「若手歌舞伎五人衆」とは「アバレンジャー」なのではないだろうか。となれば一体だれが「アバレッド」なのか、という点が問題となるだろう。

「若手歌舞伎五人衆が大暴れ!」には最近人気の中村獅童さんが出演するらしいが、ヘアから察するに、残念ながら彼は「イエロー」ではないだろうか。

やっぱりカレーが大好物ですか、獅童さん。

(総裁談)






2004/01/13  

乱暴に言うならば、人間は「音楽がなっていないと落ち着かない」というタイプと「音楽がなっていると集中できない」というタイプとに分けられると思う。自分は前者にあたり、中学生や高校生の頃は音楽を流しながら勉強していた。深夜ラジオ番組を流しながら勉強したという方も多いだろう。ぼくは恥ずかしながら、いわゆる「マイベスト」的なカセットテープを作ってそれを流していたこともある。

ところで、先日フィギュアスケート競技の様子をテレビで見た。いつも思うのは、あの競技中に流れている音楽には何か意味があるのか、ということだ。素人目にも彼らの華麗な滑りと音楽の間に何か関係があるとは思えない。ぜんぜんビートとかグルーヴとかにのっている感じじゃない。ていうかグルーヴの意味分かってないですが。

しかし、解説には、選手自身が選曲などを行っている、というくだりもあり、当たり前の話だが、スケート場がなんとなく流しているBGMとかとは違うようだ。

たぶん、フィギュアスケーターのみなさんは「音楽がなっていないと落ち着かない」タイプであり、あの曲はいわば彼らの「マイベスト」なのだと思う。

だとすれば、今後「堀内健とビビる大木のオールナイトニッポン」とかを流しながら滑る新世代のスケーターが現れる可能性もある。今後のフギュアスケート界に注目だ。

(総裁談)




2004/01/13  

バッグの持ち方も人それぞれだ。

背負う人、肩から下げる人、手提を持つ人などバッグ自体の形状に依存することが多いが、こと、手提げの把手が付いていると途端にバリエーションが豊富になる。

把手を握る、肩にかけるのを標準とすると、女子校生に見られる把手の大きさを無視しての肩へのねじ込み法や、子供の通過点ランドセル背負いなどがある。

さらに、ひじを曲げた所に把手を引っ掛ける持ち方も忘れてはいけない。
注目したいのは曲げた手を返し、握りしめた拳(パーの場合もある)を上に向け、いわば逆招き猫状態でぶらぶらさせる持ち方だ。

気取りたい気持ちは分からないでもないが、これほど違和感を覚える持ち方があるだろうか。しかし、なまじ気取った姿に見とれて、すれ違いもすれば、握りしめた拳が飛んでくることがある。

一見、異端に思えるこの持ち方も「バッグをもつことは格闘技」だと考えると幾分納得がいく。ねじ込んでみたり、若さのアピールだったり、拳をゆらしたりする訳だ。

きっと反則技は満員電車のリュック背負いなんだと思う。

(長野談)



2004/01/08  

おとなり中国の経済成長がすごいらしい。

景気低迷が長引く日本にとってこのことは一大事であり、ビジネス雑誌や新聞などでは、この中国の脅威についての記事をよく目にする。たしかにぼく自身も何回か上海を訪問しているが、常に街中が工事中といった趣で、訪れる度に新しい高層ビルが建っているという光景には驚きを禁じ得ない。

しかし一方で、中国恐るるに足らず、といった趣旨の論調も聞かれる。ものづくりを中心とした世界に誇れる日本の技術はそうそう簡単に脅かされるものではない、というようなものだ。成長ぶりの派手さに惑わされることなく、どっしりと構えていこう、と。

とはいえ、やはり実際に中国を訪れると街の活気に圧倒されてしまう、という御仁には、とりあえず「街中が常に工事中」は「要するに横浜駅と同じ?」と置き換えていくことで心の平静を保ってはどうだろうか、と提案させていただく(*1)


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*1
もう何年もやってる気がするんですけど、あの工事いつまで続くんですかね。

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(総裁談)




2004/01/07  

東京の杉並区立和田中学校で校長先生が授業をするドキュメンタリー番組を見たことがある。

トップ営業マンであった校長が受け持つ授業「よのなか科」は生きた社会の仕組みをゲストを招いてレクチャーをする。
なんかためになりそうな授業なのだ。ちょっと気になったのは全てちゃんとしている所だ。せめて授業の名前ぐらい「よのな科」だったりしてご愛嬌があってもいい感じがした。

トップ営業マンの生きた社会では、そんな安直は許されないのだろう。
個人的にはアルキメンデスとかがあった頃の死んだ社会の仕組みを勉強したい。

(長野談)



2004/01/05  

レストランでジビエの料理を頼むと「肉の中に鉄砲の弾が残っているかもしれないのでお気をつけ下さい」と言われることがある。
弾の混入とその注意が野生動物であるメルクマールのなのだと思う。

以前、行きつけの弁当屋の揚げ物の中に規則正しいウェーブヘアが入っていたことがあった。毎日通ってる甲斐もあり、すぐに弁当屋のソバージュのおばちゃんの毛と判明。

このヘア混入、ソバージュには野生という意味があるらしいけれど、今時珍しい髪型という点でもジビエが作った料理と捉えたい。

(長野談)
 
 

2004/01/03  




ロシアのクリスマスのニュースを聞いた。新年を迎えてもクリスマスは続きツリーも飾られているという。

新宿の実家近所でもまだクリスマスイベント「わくわくランド」のポスターが貼ってある。ポスターでは「ぼくがようちえんにあそびにいくよ!」とサンタクロースとコメントしている。

大きな袋を持ち、変わった洋服きたヒゲのおじさんが普段から路上にいる土地柄では奇妙なリアリティを感じる。
袋いっぱいのプレゼントをもらい街へ戻っていくおじさん。
フィンランドとかが福祉大国と言われるのが分かった気がした。

(長野談)



2004/01/02  

去年の年末に異種格闘技の番組がいくつか放送されていた。

ボクシングとプロレス、ムエタイと空手。様々なジャンルの格闘技が混じり合うのに紛れて各競技内では厳密区分される重量の階級は、結構おろそかにされている印象があった。クルーザー級などと区分するちゃんとした感が異種格闘技のダイナミズムに支障を与えるのだろうか?

ところで国宝級と紹介される美術品を見聞きすることがある。美術商の話によると売買の際に不利になるので、申請すれば国宝になるが、国宝にはしないで「級」にとどめておくという。

これは異種格闘技でも「計算されたビックマウス達が集まる国宝級」とかで使えそうな気がする。「売り場面積世界最大級」や「超ド級」なども可能性アリ。

(長野談)

2004/01/01  

子供向けのテレビ番組やアニメに登場する悪役には、とりあえず高笑いする癖がある。「グハハハハ」とか。

デーモン小暮氏の高笑いはそのパロディであるわけだが、そもそもこの悪役の高笑いは何なのだろうか。そこは笑うとこじゃないだろ、というところで実に豪快に笑う。

同じような笑いは、ビジネスの現場でよおくお目にかかることができる。豪快さにはかけるものの、そこは笑うとこじゃないだろ別に、という場面で営業さんはよく笑う。

思うにこれは、間の悪さを笑いで補う、という手法なのだろう。だとすれば悪役の高笑いも理解できるというものだ。いい大人が世界征服とか言っているのだ。そりゃ間も悪いだろう。笑うしかない。

となれば近々ブッシュ大統領あたりには、本気じゃないしるしとしてぜひ「グハハハ」と笑ってほしい。

なんか、年始早々社会派気取りのコラムになってしまった。すまん。明けましておめでとうございます。

(総裁談)




2003年12月のカモだより