●2003/12/31 |
四足歩行から二足歩行になったことによって、人間ができるようになったもっとも有意義な行為は、女の子と手をつないで歩けるようになったことである。 団地マニアふぜいが急になにをロマンチックなことを、とお思いかもしれない。しかし。ここでぼくが言いたいのは、スーパーマンをはじめとする空を飛べる人間は、なぜ手をグーとかにして前に伸ばしているのか、ということだ。どう考えてもあれは手持ち無沙汰のあまりの意味のないポーズと思わざるを得ない。 そういう意味で、しずかちゃんと手をつないでタケコプターで空を飛んだのび太は、最も進化した空の飛び方を実践しているのではないだろうか。 あとは、二足歩行ですらない空の旅において、今後彼がどのように足を絡ませてくるのかに注目である。 (総裁談) |
●2003/12/30 |
知人が、気に入って使っていた電気製品が壊れたので修理をメーカーに頼んだところ、その製品は生産終了して5年程たっていたが、無事に壊れた部品を交換し、再び使えるようになったそうである。 知人はその電気製品をいたく気に入っており、修理できたことが非常にうれしかったようだ。メーカーには、製品自体が生産終了しても部品交換やメンテナンスなどサービスを続ける責任があるようだが、5年たってもメンテナンスを受けられるというのはたいしたものである。 これは、ドリアン助川が先日こともあろうに「TETSUYA」に改名したことを考えると、メーカーがいかに良心的であるかが実感できるかと思う。若気のいたりとはいえ、世の中には当時ついうっかり彼に心酔してしまったものも大勢いるだろう。確かに生産は終了してしまった感があるが、ある程度までメンテナンスの責任は取るべきではないだろうか。 (総裁談) |
●2003/12/29 |
推理小説のジャンルのひとつに、鉄道の乗り換え時刻のトリックを駆使したアリバイ工作ものがある。主人公の刑事がそのアリバイを崩していく様が情緒豊かに描かれていく、根強い人気を誇るシリーズだ。 しかし、インターネット上に便利な乗り換え案内サービスが存在するいま、この手の小説にもはや未来はないのではないか。だが、それはこのシリーズをまともに読んだことのないぼくの考えること。実際には彼らの能力を見くびっているという可能性もある。しょせん、機械は機械。人間の能力に及ぶものではないのかもしれない。 人工知能の研究が、人間の能力の研究にあると同時に、その能力をコンピューターなどに移植することを目的としているのであるならば、ぜひ彼のアリバイ崩し能力を移植したルート検索サービスを実現してほしい。 どうやっても会議に遅刻してしまうルート検索結果しか出てこないのが「駅前探検倶楽部」だとしたら、「そんな!間に合うわけないのに!」という奇跡のルートをひねり出してくれるサービスのネーミングは「十津川警部倶楽部」で決まりだ。あとは「部」がかぶっていることが問題だ。 (総裁談) |
●2003/12/26 |
ラジオ体操第2といえば例のパートだろう。 ガニマタになってがんばるぞ、とでも言いたげなポーズは、小学生にっとっては気恥ずかしいものだ。そこのパートだけ照れ笑いしながら動きを止めてみたりして。 大人になる、というのは、このパートを特に何の感慨もなくこなすことができるようになる、ということと同義だだと思う(*1)。 同じ意味で、朝会でなんの感慨もなく社歌を歌えるようになることとおっさんになることは同義だと思う。 --- *1 そこには「第2にもなると動きもネタ切れだよなあ。こんな体操として意味のなさそうな動きを入れなければならなかった体操担当者も大変だっただろうなあ」という大人ならではのシンパシーがあると思う。 --- (総裁談) |
●2003/12/26 |
実は、31にもなってラブホテルに行ったことがない。 べつに行く必要もない人生を送ってきたため問題はないのだが、ぼくが幼い頃から住んでいる西船橋といえば風俗店とラブホテルの街だということを考えると、自分でも少々意外な気がしないでもない。中学生の頃などは学校への近道がラブホテルの駐車場を突っ切るコースだったにもかかわらず、だ(*1)。 たぶん、東京の人ほど東京タワーにのぼったことがない、というあれと同じようなものだということにして、これまでラブホテルにべつに行く必要もない人生を送ってきたことや、クリスマスの夜にこうやってコラムをコラムを書いたりしていることの言い訳としようと思う。 --- *1 当時から不思議なのは、あの駐車場の入り口の緑色したびらびらのものはなんなのか、ということだ。あれ、ラブホテル以外では見たことがないが。 --- (総裁談) |
●2003/12/24 |
人間の大事な部分に生えている毛はどうして縮れているのか。 人の家にお泊りに行ってお風呂をもらったりすると、バスタブに縮れ毛が浮いて残ったりしちゃいないかと非常に神経を使う。また、中学生のころ、友人に借りたCDのケースの中から一本の縮れ毛を発見したこともある。非常に気まずい。これがストレートヘアーだったならば、毛としては無難な頭髪だと言い張ることもできるので、こんなに気を使わずとも済むのに。 本来、これらの毛が縮れているのは、縮れることによって防御力をUPするためだ。しかし、ヒトが衣服をまとうようになって以来、あまりこの縮れ具合にも意味がなくなってきているのではないかと思う。 結果的に、身体を守るための配慮が裏目に出て精神的ダメージを生む。 これが文明化というものなのだと思う。 (総裁談) --- イベントにお越しくださった皆さん、ありがとうございました。50人以上の人々とともに団地を巡るというのはさしものぼくも初めての経験でした。皆さんが楽しめたかどうかははなはだ疑問ですが、僕は楽しかったです。また、そのうちに。ぜひ。 |
●2003/12/22 |
よく、日本のテレビ番組・CMは欧米のそれと比べてもより成熟した内容だと言われる。 一時期、商品のアピールよりも「作品」としてのテレビコマーシャルが流行ったことがあり、その頃によくそういう評価を受けていたように思う。 ところで先日、とあるテレビ番組を目にした。柔道選手と野球選手の結婚披露宴とそのドキュメンタリー番組だ。 視聴者の誰もが苦痛と感じるであろうその内容は、あるいは番組制作者にとっても、そして披露宴の出席者も同様にとっても精神的にかなりきついものであったと思われる。 当時「作品」と称されたテレビCMの内容は、おうおうにしてシュールな内容であり、それが当時の流行のようなものであったのだが、上記の披露宴番組は、単にその内容というレベルを超え、主人公以外の出演者、制作者、および視聴者、の誰にとっても苦痛、という番組制作から放映までの構造的なシュールさをもっていたように思う。 これは日本のテレビの成熟の頂点、いや、爛熟だ。 爛熟を通り越して発酵の域に入ってきたことをうかがわせる酸っぱい臭いをもって、成熟すればよいというものなのか、と関係者には問いかけたいと思う。 (総裁談) |
●2003/12/20 |
電車の中でのケータイの利用が、いつのまにか優先席付近でだけ禁じられるようになった。いままでのヒステリックな騒ぎはなんだったのだろうか。 どうせ全面禁止にしても守られないのならせめてここだけ禁止、というエリアを作ってみる、というのは大人な妥協案だ。いっそのことケータイだけでなく、迷惑とされているものをすべて優先席付近では禁止にすればよいと思う。 ・優先席付近での化粧はご遠慮ください ・優先席付近でのヘッドフォンの音漏れはご遠慮ください ・優先席付近ではポップアップ広告はご遠慮ください ・優先席付近では締め切り直前の仕様変更はご遠慮ください ・優先席付近では「最近『はにわ』っていう歌手が歌ってる佐賀県の歌が流行ってるんだってな?」とか、どこから訂正したものやら途方に暮れる話題をふるのは遠慮ください。 優先席、すごい。お年寄りに譲ってる場合ではない。 (総裁談) |
●2003/12/17 |
突然ですが、イベントに参加します→ 一見とっつきにくそうな印象を受けるイベントかもしれませんが、そんな印象を見事に裏切る団地スライドショー&トークを繰り広げたいと思います。 あと一週間切ってるんですけど、みなさん来ていただけるとうれしいです。 (総裁談) |
●2003/12/16 |
外国のテレビニュースをみていると、かの国の人々はフセインのことを「サダム」と呼んでいるのに気がつく。 日本ではなかなか彼のことを「サダム」とは呼びにくい。仲良くなりかけの女の子をファーストネームで呼び捨てにできるかどうかの、あのどきどきにも似ている。やはり、その点、アメリカは優位だ。初対面で「やあ、ボブって呼んでくれ!」て。 つまりフセインをさらりと「サダム」呼ばわりできるかどうか。そこにグローバル社会で日本が生き残れるかどうかのカギがあると言っても過言ではないように思う。自衛隊派遣よりまえにまず「サダーム、サダーム」って練習をするべきだ。人的支援はそれからだ。 アメリカに行っている妹が帰国後さらりと「サダム」って言いだしやしないかと、それだけが心配です。戦争反対。 (総裁談) |
●2003/12/14 |
先日、ひょんなことから在学していた中学校へ行く機会があった。卒業以来初めてのことだ。 建物や校庭などほとんど変わっておらず、懐かしい気持ちになったが、一点大きく変化していたことがあった。それは渡り廊下の壁に大きく掲げられた卒業生寄贈の標語が記されたパネルの存在である。曰く 「Dreams come true --平成11年度卒業生一同」 タバコをたしなみ、週に一度は教室のガラスを割るのを欠かさず、彼を呼び出す隣の中学校の生徒が校庭をバイクでぐるぐると走り回る、そんな同級生は、その後、めでたく「事務所」への就職をはたし現在は服役中とのうわさを聞いた。 また、当時まだ晴海で行われていたコミケに行こう、とぼくを誘った同級生はその後めでたくアニメーターになったが過酷な重労働と薄給で体をこわし長らく失業保険で暮らしていたときいた。 どちらも、夢をかなえたケースなのだが、どうなのだろうか。幸せだろうか。 一方、かといって夢をかなえなかったケースが幸せかというと、そうでもないのではないだろうか。たとえば小説家になってみたい、と思っていた中学生はいまや団地マニアだ。幸せとは思えない。 無責任に「夢はかなう」と謳いあげるのはいかがなものかと思う。平成11年度の卒業生がいまだ知らないことを知っている我々としては 「確かに夢がかなう場合もある。しかし、かなえばよいというものではない。かなったところでそれが幸せとは限らない。一方、かなわなかったからといってそれで幸せかというとそれも微妙 --昭和62年度卒業生一同」 を掲げなおしに行きたい。だれか英訳して欲しい。 長すぎると言うなら「夢とか関係なく、そこそこうまいことやれ --昭和62年度卒業生一同」とかでもいい。 (総裁談) |
●2003/12/13 |
へとへとになって終電を降りて、帰路の途中での出来事。 暗い夜道、ぼくの10メートルぐらい先を女性が歩いていた。どうやらぼくの家の近くの人らしく、道が一緒だ。近道まで一緒だ。結果的に後ろから彼女をついていく形になってしまったぼく。 だんだんと人気がなくなって、彼女がぼくを警戒し始めた。ちらちらと後ろのぼくをみている。 そしてやにわに走り出した。 おい、こら。誰もあんたを襲おうなんて考えてないよ。仕事でへとへとだっていうのに。だいたいハロッズの変なバッグ持ってる女なんて誰が襲うっていうんだ。とけっこうむかついた。 夜道で女性が襲われた事件の半分ぐらいは、誤解されて逃げられてむかついた男性によるものではないかと思った。 不謹慎な話題ですが、ほんとにむかついたので許してください。だってハロッズだよ、よりによって。 (総裁談) |
●2003/12/12 |
「不良中年」という言葉を聞いた。 外回りの最中に喫茶店でさぼったり、会議中居眠りをしていたりとか、そういう中年のことではないようだ。きけば「不良中年は、仕事がデキるが、遊ぶときは徹底的に遊ぶ」「不良中年はモテるが、妻と子どもを大事にする」「不良中年は折れるときは折れ、一本通すときは通す」とか、そういうものらしい。 どうなんだろうか。どこらへんが「不良」なんだろうか。これはうっとうしい種類の「まっとう」な人なんじゃないだろうか。 さして仕事はデキなく、あそびも団地以外にはこれといってすることもなく、モテないので当然妻も子どももいないし、始終折れてばかりのぼくは「不良」以下、ということか。あんまりじゃないのか。 「不良」以下、ということであれば国語としては「ワル」だが、ワルはワルで「ワルな男には色気がある」「ワルな男は友情を大事にする」「ちょっとワルな男に女は惹かれる」とか、そういうものらしい。ワル界でも意味のインフレがおこっていると言わざるを得ない。 行き場をなくした感のある自分だが、色々調べた結果、オルタナティブな意味合いを兼ね備えた「アブない男」あたりから始めてみようかと思う。 (総裁談) |
●2003/12/09 |
みなさんご存知の童話「ウサギとカメ」。あの話の中に、ぼくが小さいころから不思議に思っていたことがひとつある。 ウサギに挑発されたカメはさして嫌がる風でもなく、それどころかどちらかというと二つ返事で勝負を買ってでる。これは、カメが「ウサギは勝負の最中寝てしまうだろう」ということを知っていたとしか思えない。どうしてそんなこと知っていたのだろうか。 ところで、先日あるプロジェクトのスケジュールをぼくが設定した。それはあきらかにむちゃなスケジュールで、スタッフの中でも一番厳しいスケジュールを負わされてしまうことになった方に、申し訳ないですねえ、と謝ったところ、その方からは意外にも「大丈夫ですよ」という返事が返ってきた。 そしてその後、これはよくあることなのだが、社内調整のゴタゴタでスケジュールが延期となった。そこで「スケジュールが伸びたので少し余裕ができましたよ」と上記の方に伝えたところ「そんなことだろうと思ってのんびりやってました」と答えられた。社内事情に詳しい方なので見透かされていたようだ。 たぶん、ウサギは「すぐ寝てしまう」ということで有名だったのではないだろうか。カメに薄ら笑いを浮かべられながら「そんなことだろうと思って勝負を買ってでました」と言われたのかもしれない。勝負に負けたことよりも、見透かされていたことのほうがショックだ。 ウサギに同情できるかどうか。それが子供と大人の違いだと思う。 (総裁談) |
●2003/12/07 |
DVDの規格にはいろいろあるが、何度きいてもその違いが覚えられない。なんせ、DVD−R、DVD+R、DVD−RW、DVD+RW、DVD−RAM、と5種類もあるのだ。ややこしい。 ところで、中学生の頃、学校の先生が「何でもいいから、これだけは人に負けない、という特技を持ちなさい」と言っていたのを覚えている。 ぼく自身はこの教えをことさら意識してはいなかったと思うのだが、昔から劣等感の多い自分のことだ、もしかしたら深層心理的に「なにか特技を持たなきゃ」というプレッシャーが働いていたのかもしれない。 そして結果的には「団地マニア」という誰にも負けない特技をもってしまった。「いや、そういうことじゃなくて」というくだんの先生の困惑顔が目に見えるようだ。 プレッシャーが思わぬ方向へ暴走したあげくの「誰にも負けない特技」。 きけばDVDの正式名称は「デジタル多用途ディスク」なのだそうだ。だれもが「どこらへんが多用途なんだよ」とつっこみたくなるだろう。爪切りとか缶切りとかの代わりになるぐらいじゃないと「多用途」とは言えないのではないだろうか。 しかし、この命名にはDVD自身も困惑しているのかもしれない「自分ができるのはせいぜいデータを保存できるぐらいですよう」と。 もしかしたら「多用途にならなきゃ、多用途にならなきゃ」というDVD自身のプレッシャーが思わぬ方向へ暴走したあげくの多規格なのかもしれない。 「なんでこんなややこしいんだよ」とむかついていた自分だが、DVDにちょっとシンパシーだ。 (総裁談) |
●2003/12/05 |
近々「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」という映画がロードショウらしい。 ゴジラとモスラとメカゴジラ。Tシャツと私と嘘とビデオテープはどこに行ったのだ、と思うほどの夢の競演、オールスターてんこもりである。 ぼくはゴジラシリーズを一度も見たことがなく、そんなぼくが言うのもなんだが、このシリーズ、正直食傷気味ではないのか。 そんななか打ち出した新機軸がゴジラ×モスラ×メカゴジラ。過去の遺産を食いつぶす物量作戦と理解したい。確かに、それもアリ、である。同じ日本映画で言えばハマちゃんとスーさんとメカハマちゃん、というかたちか。 最近見ないが、お正月にビッグスリーがゴルフをやる番組がマンネリを打破すべく、メンバー構成に新機軸を打ち出し、タモリ×さんま×たけし、にメカタモリとしてコージー冨田を加えるようなものか。 確かに「東京SOS」ではあると思う。 (総裁談) |
●2003/12/04 |
和式のトイレにはよく注意書きが貼ってある。できるだけ前へ位置して用を足してくれ、という趣旨のものだ。確かに公共のトイレで後方に誤爆してしまった名残をそこに見ることも多い。尾篭な話で申し訳ない。 しかし、どうなのだろうか。前へ前へと導くというユーザー側の努力を促すのも大事だとは思うが、同時に便器の長さを長くするというサービス提供者側のソリューションもそこには求められているように思えてならない。いいじゃん、誤爆できないぐらい長くすれば。 考えてみれば洋式の便器がウォシュレットなどの新世代サービスを進化させてきたのに比べ、和式のそれはあまりに旧態依然としてはいないだろうか。 ともすれば「和式」の名は「伝統をかたくなに守る」ことと同義とされやすいが、グローバルな規模で競争が激化する今日にあっては、町工場であっても過去の成功体験にとらわれることなく自らを変えていくことが必要である。町工場? 「金隠し」と呼ばれるパーツに問題があるのではないかとも思う。あれがあると前進しづらい。いまこそ金は隠さないというパラダイムチェンジが必要なのかもしれない。 だいたい、なによ、金隠しって。個室で誰から隠すのよ。しかも女性には関係ないじゃん。 (総裁談) |
●2003/12/03 |
街はすでにクリスマスの装いだ。 思えば、サンタさんはどうしてクリスマスの一夜に集中してプレゼントを配ろうとするのだろうか。なにせ配らなければならない相手は世界中の子供である。もっと普段からこつこつ配っておけばクリスマスの夜に苦労することもないのではないかと思うのだが。 彼がクリスマス以外の時期に何をやっているのか、に関してはながらくさまざまな憶測が飛び交い、その実態はなぞのベールに包まれていたが、ぶっちゃけ、おそらく何もやっていないのだと思う。 いうなれば彼は8月31日になって泣きながら夏休みの宿題をやる幼少時代の僕と何も変わらない男だ。いや、より率直に言うと納期寸前まで仕事に手をつけない今の僕とも同じだ。 そう、彼は「追い込まれないと何もしないタイプ」なのだと思う。 「サンタはみんなの心の中にいる」という常套句があるが、こういうことだったのか。確かにいる。僕の中にもサンタが。ていうかすごいたくさんいる。自分はサンタさんなのではないかと思うほどに。 (総裁談) |
●2003/12/02 |
飲みに行くととりあえず「カシスオレンジ」を頼む人がいる。 これは特に女の子に多いようだ。一時期「とりあえずビール」という言葉も流行ったほど、長らくビールが盤石なファーストドリンク王者の地位を保っていたが、気がつけばそこに影が忍び寄ってきている。 しかも二杯目は「カシスグレープ」だったりとかして、ぼくの困惑は深まるばかりだ。 そう、正直、ぼくはなんとなくこのカシスの台頭に納得できないものを感じている。「でもカシスは目にいいんだよ」などというエクスキューズまで備えているところがまた憎らしい。含んでいるものといえばプリン体ばかりというビールの立場はどうなるのだ。 さらに正直なことを言うと、ぼくはこのカシス関係をまだ口にしたことがなく、なぜにこんなにもカシスに対してわだかまりを感じるのかが自分でも分からない。 という話をしたら母が「そう言えばあんた、子どもの頃、『カシス』をずーっと『カスシ』って言ってたわね」と言った(*1)。 そうか。もしかしたら「カシスオレンジ」とうまくオーダーできないのではないかという無意識下の抑圧による憎悪だったのかもしれない。しかし、ぼくももう31だ。近いうち勇気を出して高らかに「カシスオレンジ!」と言ってみようかと思う。 あとはスガシカオへのわだかまりがここにあるのかどうかを考えているところです。なんとなく似てるよねえ。 --- *1 同様にずっと「ヘコリプター」「エベレーター」と言っていました。 --- (総裁談) |
2003年11月のカモだより |