●2003/11/30 |
ぼくが自分のことをさすとき使う一人称は「ぼく」だ。相棒Nもそうだ。 こどもの頃は、大人の男が自分のことを「ぼく」と呼ぶのはなんだかちょっと変だと思っていた。と同時に、同級生達が、一人前の男を演出するために、それまで「ぼく」だったのを急に「俺」に変えるのをみて、それもなんだかかっこわるいと思った。中学生に「俺」は似合わない、そんな器じゃないだろう、ぜんぜん一人前の男じゃないだろう、と。 しかし、とうとう一人前の男になれなかった今思うのは、少々かっこわるく感じても変えられる時期に変えておくべきだった、ということだ。タイミングを逸してしまった。一人称ぐらい男らしくしたかったものだ。 そんなわれわれだが、何を血迷ったかときどき「俺」が口をついて出てしまうときが年に1、2度ある。主に語りに力が入ってしまうときに出てくるようだ。 ここのところ色んな雑誌やラジオに団地マニアとしてインタビューを受けたが、もしかしてそこで「俺」って言っていたのではないかと思う。特にインタビュアーが女性だった場合には力が入っていたし。 普段はこそこそと人目を忍んで団地をめぐる「ぼく」が、「俺」となってメディアで語る団地趣味。これはちょっとしたオレオレ詐欺じゃないかと思う。 (総裁談) |
●2003/11/29 |
団地更新しました→ --- くだんのフロリダに行っている妹から絵はがきが来たんだけど、団地が写っている絵はがきで「下見をしてきました」とあった。 あとファーストフードはまずくて、おいしいホットドッグとか食べたければ日本でモスバーガーに行った方がよい、ともあった。 海外留学がこういうものだと知っていれば、中学生の時にあんなに帰国子女の子にびびったりなんかしなかったのに。 (総裁談) |
●2003/11/28 |
電車の中で女性2人が「ヴィトンいきがって持ち歩くのなんて高校生まで。高校卒業したらエルメスだよね」という話をしていた。 ライフステージがあがるとブランドもスイッチしていくようだ。 これの秋葉原版は「cosbyからサムソナイトへ」だと思うのだが、どうだろうか。 (総裁談) |
●2003/11/27 |
会社で、職場からセクハラをなくすための講習というものがあった。男性が「こんなのセクハラじゃないだろう」と思っていることが、実は女性にとってはとても不愉快だった、という事例を紹介するというものだった。 しかし、ぼくから一点、ぜひとも言っておきたいことがある。それは、女性のネックレスの留め具が、本来後ろにあるべきところからしばしば前に来ちゃっている、あれが意図しないセクハラの引き金になっているという事実だ。 友達の彼女とかのネックレスがそうなっているのに気がついて、気になって気になって、いても立ってもいられなくなって「ああ!もう!」って直したりして、よく嫌な顔をされる。 結果的にセクハラだ。すまん。そんなつもりじゃなかったのだが。 だいたい、21世紀にもなってネックレスの留め具が前に落ちてこないようにすることができないなんてどうかしている。そんぐらいどうにかできるだろう、ナノテクとかで。 いっそのことチェーンを全部留め具で作り上げるとか、ペンダントヘッドのデザインが留め具テイストとか、そういうソリューションもある。 一方で、そのくせ肝心のブラジャーの留め具はいつの間にか前に来ちゃってるとかいうことはない。来ちゃってたら便利なのに。面倒なんだよね、あれ。 このコラムも結果的にセクハラだ。すまん。そんなつもりじゃなかったのだが。 (総裁談) |
●2003/11/26 |
ボージョレヌーボーが100年に一度の出来映えなのは、それがボジョレーではなくボージョレだからなのではないかと思う。 きっとボジョレーの方は平年並みの出来映えに違いない。 名前を変えることでお茶を濁してもダメだということを、メグミルクを知る我々日本人は訴えた方がよいのではないか。 (総裁談) |
●2003/11/24 |
小難しい文章を書く人は「立ち現れる」という言葉が好きだ。 「その概念を基軸として世界を記述しようとするとき、その問題がいっそう鮮明に立ち現れる」とか「国家が市民の庇護者として立ち現れる今日の公権力の精神状況」云々とか。「立ち現れる」が含まれている文章があったら、それは十中八九小難しい文章だと思っていい。 しかしどうも、これらの立ち現れ文章を見ていると、わざわざ「立ち現れる」などと言わなければならないものでない場合が多いように思う。普通に「現れる」とか「姿を見せる」でいいのではないか。小難しさをアピールするために使うのではなく、「立ち現れる」という言葉でしか表現できないところで使って欲しい。 「仕事が忙しいのに生命保険のセールスレディが立ち現れた」とか「エロサイトを見ていたら次々と小画面が立ち現れた」あたりだとしっくりくると思う。 あと、Safariやgoogleのツールバーでセールスレディも遮断できたらいいのにとも思う。 (総裁談) |
●2003/11/20 |
いわゆる「ウォシュレット」と呼ばれる便座がある。温風乾燥やリズミカルに強弱をつけた水流パターンなど、メーカー各社さまざまに機能を盛り込んでいるが、ぼくが気になるのは、ボタンに書かれている表現だ。「ビデ」のほうは各社統一されて表記されているが、我々男性も利用する、より後方の部位を洗浄する機能のボタン標記にはバラツキがあるようだ。 あるものには「おしり」とあるが、あるものには「ファミリー」とある。 ファミリー。どうなのだろうか。「菊」や「*」の表記には問題があるだろう、と、ネーミング会議で紆余曲折を経て決定されたであろうことが予想される「ファミリー」。ビデと違って、老若男女を問わない開かれた洗浄機能であることを表現したいのは理解できるが、少々言葉足らずな感が否めない。 世にある他の製品やサービスで「ファミリー向け」を謳っているものといえば「ファミリー向けパソコン・VALUESTAR F」「ファミリー向けミニバン・イプサム」そして「となりのトトロ」などだろうか。 こうしてみると、人気ファミリー映画として長らく根強い人気を誇る「となりのトトロ」にあやかるという手はあるように思う。あらためて、ジブリには学ぶところが多い。響き的にもくだんの洗浄機能に「ジブリ」はしっくりくるのではないか。 「ヂブリ」だったらもっとよかったけど。 (総裁談) |
●2003/11/19 |
児童ポルノ画像をダウンロードした罪に問われていたイギリス人が、「それは誰かが自分のコンピュータにウイルスを仕込んだせいだ」と抗弁して無罪放免になったらしい。 それがほんとかどうかは別として、今後この手の抗弁が増えるのではないだろうか。「電車が遅れて」などはもう古い。これからは断然「誰かが自分のコンピュータにウイルスを仕込んだせいで会議に遅刻しました」だ。言い訳もIT時代に突入である。 他に有望なところでは「タバコ会社が十分な警告表示をしなかったので期日までに納品できませんでした」や「マクドナルドの高カロリーな食事のせいで見積を大幅にオーバーしてしまいました」などもあるが、ぼくはマクドナルドもタバコも嫌いなので、当面はウイルス一本で行きたいと思う。 (総裁談) |
●2003/11/18 |
以前「コンピューターはヒトになれるか?」という人工知能の話を聞いたことがある。 ところでコンピューターの性能を測る指標として「浮動小数点演算」というのをよく耳にする。「2GHzのPowerPC G5は、浮動小数点演算タスクの実行速度で3GHzのPentium4を遙かにしのぎます」とか。 字面的にはなんとも凄みに欠けるこの浮動小数点演算だが、実際のところなんなのだろうか。知人と議論してみた。 「浮動小数点演算ねえ」 「なんだろうね」 「小数点が不動で演算なんだからー」 「そのままだね」 「小数点が動かないとゆうことは、だ」 「違うよ『浮動』だよ」 「ていうかそもそも『演算』てなによ?」 「浮動する小数点・・・はっ! 消費税?」 「消費税?」 「消費税率の計算のこと?」 「あるいはなにか政治的な言葉か!」 「フドウといえば「北斗の拳」のフドウなんだけどなあ」 謎は深まるばかりだ。 ここまで人を考えさせる「浮動小数点演算」。ということはもしかしたらコンピューターに「浮動小数点演算とは何か」自体を考えさせることで性能を測っているのかもしれない。「今回のお題は『浮動小数点演算』です!さあ、Pentium4さんからどうぞ!」とか。 単なる計算からトンチをひねり出すところまで来たコンピューター。確かにヒトに近づいているのかもしれないが、近づけばいいというものではない。今後のコンピューターにはヒトへの近づき方を考えて欲しいと思う。 (総裁談) |
●2003/11/17 |
先日はじめて会った女性は「あたしって、こう見えてけっこう人見知りするんですよ」と言っていた。しかし純粋に見た目で言えばかなりの社交性を持った方とお見受けした。が、彼女の自己認識はそうではないらしい。 彼女は「自分自身はほんとうは人見知りをする人なんだがそうは見られないことが多い」と思っているのだろう。しかし初対面で「本当の自分」をアピールされても困る。 同じように困るのは「あたしって、着やせするタイプなんですよ」ってやつだ。何も着てない姿を見ることができない以上、「生まれたままの本当の自分」をアピールされても困る。 それとも見せてくれるつもりなのか。 (総裁談) |
●2003/11/16 |
いくら会議を重ねてもぜんぜん前に進まないプロジェクトにうんざりしている。 偉い人がたくさん出てきて重ねられる会議。しかしそのうち半分ぐらいは前回の会議ですでに議論したことを繰り返すばかりだ。それはもうやったよ。分かったから、もういいよ。 このイライラ、どこかほかでも感じたことがあるな、と思い当たったのが、テレビのバラエティ番組で、コマーシャルの後にコマーシャル前に流れたのと同じ画面を繰り返す、あれだ。それはもうやったよ。分かったから、もういいよ。 どうせならとことんテレビにならって、会議の終わりに「そこで彼はとんでもないものを見たー!」とか煽ってはどうかと思う。テレビと同様、さんざん煽って、もったいぶっても実際には大したことではない、という点でしっくりくることと思う。 さらに、会議中の偉い人の発言にテロップをつけるのもやったらよいと思う。「○○さんには俺から仁義切っとくから」とか意味なく強調したりして。 なんだか面白くなってきた。 (総裁談) |
●2003/11/14 |
カリフォルニア大の研究によると、仲間はずれにされたときの心理的な「痛み」も、体が物理的な痛みを感じるのも、脳内の反応は同じなのだそうだ。 実験では、はじめ3人が仲良くキャッチボールをしているが、突然、被験者が仲間はずれにされ、ボールを投げても2人からは返球がないよう設定した。 そのときの脳の反応を調べたところ、仲間はずれにされると、痛みに関係するとされる脳の部位が反応していたという。つまり心理的な「痛み」は言葉上の表現にとどまらず、実際に「痛い」のだ。 個人的に不満なのはなぜ、心の「痛み」の再現をキャッチボールで仲間外れにされた、という状況に求めたのか、という点だ。 これはおそらく、研究を行ったカリフォルニアの土地柄によるところが多いと思う。青い空、白いビーチ、キャッチボールで仲間外れ。 日本の大学だったら、「ジョージアのCMを見たとき」とか「窪塚洋介が、ピースな愛のバイブスでポジティブな感じ、とか言ったのを聞いたとき」などの痛みを研究したことと思う。 (総裁談) |
●2003/11/13 |
電車の中で酔った男女が「大人の恋愛はひと味違う」とか議論していた。 ところで「楽家」というリクルートの雑誌がある。「50代からの住まい選びを応援します」という雑誌だ。 vol.3の2003年秋号の特集は「住み替え資金親からどうもらう?--相続」とあった。 すごい。50代にもなるとスネをかじるのもひと味違う。ていうか、殺人か。 (総裁談) |
●2003/11/12 |
仕事で電気メーカーのデザイナーに会った。 ところで先日見たテレビのバラエティ番組に出演していた40代後半の女優さんは、笑うときかならず両手を目尻にあてていた。どうやら笑うことで目尻にできてしまうシワを防止しようとしているらしい。 その手をあてたときの顔がものすごく変なのだ。そんな姿をテレビでさらしてまで目尻のシワを防止することに意味があるのだろうか。目尻のシワの方がまだましというものだ。というか、女性の笑いジワは素晴らしいと思いますが。 その番組に出演しているお笑いタレントもかわいそうだ。せっかく一生懸命面白いことを言っているのに、相手は顔に手を当てて変な顔をするばかり。 冒頭のデザイナーは「リモコンにサランラップ巻いて汚れないようにするのって、意味ないと思うんですよね。あれだったら埃まみれになった方がまだましってものですよ」と言っていた。 これから麻丘めぐみさんのことを「サランラップ女優」と呼ぼうと思います。 (総裁談) |
●2003/11/11 |
中学生の頃、クラスにある特定の男の子の悪口を言いまくっていた女の子がいた。クラスメイト全員のまえで、あの男は嘘つきだ、あの男は卑怯者だ、などなど大声で言ってはばからない彼女は、ある種クラスの「名物」だった。 そんな2人は、夏休みが終わって授業が始まってみると、なんと恋人同士になっていた。あの彼女の悪口はなんだったのか。 こういうストーリーは少女マンガとか安手のトレンディドラマでもよく見かける。よくあることなのだろうか。 考えてみれば、あの悪口はちょっと普通じゃなかった。あれが中学生の稚拙な愛情の裏返しだとは当時のぼくは気がつかなかった。 つまり、本当は、創価学会は新潮社が好きなんじゃないかと思う。 (総裁談) |
●2003/11/09 |
ワールドカップバレーボール2003がはじまったそうだ。 テレビでバレーボールの試合を見ていつも感じるのは、その応援のえげつなさだ。日本が点を取る度にわき起こる、割れんばかりの大歓声を聞くと、門外漢のぼくは対戦相手国に対して申し訳ない気分でいっぱいになる。相手が球を取りこぼしたからって、あんなに喜ばんでも。 さらに問題を深刻なものにしているのが、このワールドカップバレーボールの大会イメージソングである。1999年の嵐に続き、今年イメージソングを歌いあげるのはジャニーズJrのフレッシュな新ユニット「NEWS」である。NEWS。 以前、とある女の子と部屋で良い感じになっていよいよというときに、つけてあったテレビからDA BUMPが流れてきたことあがあった。あのときの自分のことを考えると、アテネオリンピック出場をかけた大事な試合で流れるNEWSのデビュー曲「NEWSニッポン」はかなり問題なのではないかと思う。巧妙な戦意喪失策である。 いや、もしかしたらNEWSごときで戦意喪失しているようでは優秀な選手とはいえないのか。戦意喪失策というよりはむしろスポーツマンとしての資質を測る試金石なのか。フィールドがコートかベッドかの違いはあれど、自分のスポーツマン資質の欠如があらためて浮き彫りになってしまった。 彼の戦意具合を確かめたい女性達にお勧めする試金石としてのジャニーズJr。今年はNEWSで決まり。 (総裁談) |
●2003/11/07 |
先日、相棒のNと団地めぐりをしていたときのこと。彼が急に「城戸真亜子って、どう思う?」と聞いてきた。久々に聞く名前である。 聞けば、「城戸真亜子っていたなあ」と思ってなんとなく検索してみたところ、エロサイトがたくさんヒットしてびっくりしたそうだ。それらのサイトには、できるだけ検索にひっかかるようにアイドルの名前が列挙されており、そのなかにどさくさにまぎれて城戸真亜子の名前もあったのだとか。つまり、世の中には城戸真亜子に対して劣情を感じる男性諸氏がすくなからずいる、ということだ。 Nは「ぼく、城戸真亜子ってなんか好きじゃないんだよね」と言っていたが、ぼくも同感だ。すくなくとも彼女に対して上記のようなサービスが提供するところのニーズを感じたことはない。 しかし、「蓼食う虫も好き好き」という慣用句もあるように、人の趣味はそれぞれで、奥が深い。そもそも団地マニアのぼくらに「真亜子萌え〜」な方々を異常だとする資格などない。しかし、城戸真亜子。正直、信じられない。 繊細な感性で描く油彩作品が高い評価を得、アーティストとしての活動は、個展開催にとどまらずパブリックスペースでの制作や空間プロデュースなど多岐に渡り、タレント活動もこなす城戸真亜子。好意的に表現すればハスキーボイスとでも言っておきたいその声質ともあいまって、「マルチタレント」の言葉がしっくりくる彼女。男性の欲望の多様性と柔軟性を味方に、さらにマルチ度が高まったといえるのではないだろうか。 城戸真亜子を通じて実感する男性の欲望の多様性と柔軟性。 次回は窪塚洋介を通じて実感する女性の欲望の多様性と柔軟性についてお送りします。 (総裁談) |
●2003/11/05 |
先日、火曜サスペンス劇場的な番組を見ていたら、エンディングで犯人が告白したあと主人公の目の前で、用意していた毒入りカプセルを飲んで自殺を図る、というシーンがあった。 一体どこでこんな毒を手に入れることが出きるのだろうか、とその不自然さを指摘したところ、母親は「ネットで入手したのよ、ネットで」と言った。 かように、世の中のネットに対する万能感には目を見張るものがある。火サス劇中でも犯人がわりと易々とネットで銀行のデータベースに進入してみたかと思えば、主人公はすごく重要な手がかりをネットで検索してみつけちゃったりしている。すごいなネット。 こんなにすごいネットなのに、「誕生日おめでとう」というメールは2通しか来ない。これがネットの難しさだと思う。 (総裁談) |
●2003/11/03 |
誕生日だというのに、団地更新とかしてしまいました→ |
2003年10月のカモだより |