2003/09/30  

ビジネスマンは坂本龍馬が好きだ。

なにかというと成功哲学を龍馬に学びたがる。ビジネスマンのちょっとしたアイドルだ。

しかしどうなのだろうか。天国で龍馬自身はこのことをどう思っているのだろうか。維新という大きな時代の変革に一役買ったひとりとしては、平成のしょぼくれたサラリーマンどもにアイドル視されることをいささか苦々しく思っているのではないだろうか。

維新志士からビジネスマンのアイドルへ。これを苦々しく思わないようなら、龍馬は、アウトドア界のアイドルにいつのまにかなっていた田中律子やママ界のアイドル気取りのRIKACOらと何ら選ぶところがない。そんな龍馬からは学ばないほうがいい。

せめて「RYO-MA」とか名乗らないように、そこだけは踏みとどまっていただきたいと思う。

(総裁談)





2003/09/29  

新たに組閣された「小泉改造内閣」。

「改造内閣」と聞くたびに「メカ内閣か」と思う。

さまざまな物語で、話が煮詰まったときに登場しがちな「メカ〜」。その使用法は「ニセ御黄門様」に近い。

「メカ〜」の最期はたいてい燃料切れとかいうメカならではのオチだったりすることが多いようだ。

構造改革実現への疑問が囁かれる小泉改造内閣だが、燃料切れだけには気を付けてもらいたいと思う。特に麻生氏あたりは要注意だ。あの顔は燃料切れしやすそうだ。

(総裁談)




2003/09/28  

「メセナ活動」という言葉もあまり聞かれなくなった。

一般に企業による文化支援活動のことをさすこのメセナ活動。一時期は盛んだったが、不況の折りメセナ事業から撤退する企業も多いようだ。

ところで先日、ある女性から、小さい頃「黄桜」のポスターやコマーシャルの、あの裸のカッパにちょっとドキドキした、という話を聞いた。確かに無意味に豊満な胸を持つ、きれいめ系の女性カッパが登場する黄桜の宣伝は有名だ。

「今思えば、あれが性の目覚めだったのかもしれませんね」などという彼女。同じようにあれで目覚めちゃった人は多いのかもしれない。ていうか、そんなこというあなたにぼくがなんだかドキドキしちゃうよ。

性とならびオトナへのステップの代表格としては「お酒」があり、黄桜の本職はそちらだが、黄桜でお酒に目覚めたという人はあまり聞かない。もっぱら性の目覚めをサポートし、本職はそっちのけか。

聞けば同じ業種であるアサヒビールは、社団法人企業メセナ協議会で受賞を繰り返すなどメセナ活動の雄として有名だそうだが、ぼくとしては黄桜にメセナ活動功労賞あたりを贈りたいと思う。

(総裁談)




2003/09/26  

テレビで「最近の若者はテレビゲームのやりすぎで現実とゲームの区別が付かなくなっている」と言っている人を見た。

ところでよくあることだが、電車の7人掛けの座席が6人で占領されている光景を目にする。今日見たときは、あきらかにひとりの若者が2人分をひとりじめしていた。その人がもうちょっと詰めて座ればもうひとり座れるのに、と車内にいる人の誰もが思っていたことと思う。

問題はその若者が一心不乱にケータイのゲームをやっていたことだ。そう、「テトリス」を。

もしかしてあれか。詰めて座ったら消えちゃうと思っているのか。

(総裁談)




2003/09/25  

まだ会社です。

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建築家の話を聞いた。最近のプロジェクトについて一席ぶっており、そのなかに「安らぎと調和のシンボル化」という言葉が出てきた。建築のデザインを行う際にはこの「安らぎと調和のシンボル化」を念頭においたのだそうだ。

シンボル化といわれてぼくが思い出したのが女性器のシンボル化だ。よくコンクリートの高架の柱やトイレの壁などに落書きされている、同心円を一本の長い棒が貫き、外周の円に放射状に何本かの短い棒がついている、あれだ。

中学生の頃、あの図形を何かというと好んで描く中里君というクラスメイトがいた。ノートとかそのシンボルでいっぱいにしてはしゃいでいた。

ぼくはといえば、あまりに抽象化されたその図形を見て、本当に女性器はこういうものなのだろうか、とかなり疑問に思った。案の定、大人になって実際に拝見する機会を得てみると全然違う。もっと複雑な代物だった。シンボル化なんてやめて欲しい。はしゃいでいた中里君がばかみたいだ。

件の建築家も、重要な「安らぎと調和」をシンボル化などせずに、ストレートに描写してはどうかと思う。


(総裁談)




2003/09/23  

ちょっと旅にでていました。

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移動中の電車の中で隣に座っていた女子高生2人が恋愛談義に花を咲かせていた。議題は
「振るのと振られるのはどちらが辛いか」

2人の結論はどうやら「そりゃやっぱり振られる方が辛いよね」というものだった。

しかし、経験豊富な30歳のひとりの男に一言言わせていただければ、振る方も結構辛い。

新幹線とか飛行機とかでは一見窓側の座席が快適そうだが、「すいません」と、いちいち通路側のかたにどいていただかないとトイレに行けないのは、結構辛い。

飛行機や新幹線の経験を積むうちに、くだんの女子高生達にも振る方のつらさが身にしみて分かってくるようになるだろう。彼女たちの人生に幸あれ。なんだこのコラム。


(総裁談)




2003/09/18  

人気ユニットB'zのヒット曲「野生のエナジー」。ミリオンセラーを達成したというこの曲だが、なぜ「エネルギー」ではなく「エナジー」なのだろうか。

たとえば「マクドナルド」など、英語と日本語で発音が違ってしまっている言葉は数多くある。「エネルギー」もそのうちの一つだったが、いつのまにか「エナジー」という発音も一般的になった。言うなればB'zのイカしたネーミングセンスのたまものだと思う。素肌に皮のベストは一般的にならなかったけど。

同じように日本語での発音が英語のそれと違っていて、「エネルギー」と似た感じの発音のものに「アレルギー」がある。きけば英語での発音は「アレジー」なのだとか。これは放ってはおけない。

ここはひとつ、B'zさんに一肌脱いでいただいて、次回作を「野生のアレジー」というタイトルにしてもらうことで正しい発音を世に広めるというのはどうだろうか。

彼らが皮アレルギーになったらそういうタイトルにも現実味が帯びてくると思う。

(総裁談)




2003/09/16  

ひさびさに団地更新しました→

あと、9/10の「カモだより」が珍しく好評でした。もしかしてここを見てくださっている方々って、みんな体育にコンプレックスを持った人たちばかりなのか。

(総裁談)




2003/09/15  

どうにもこうにもならなくなってしまったプロジェクトの会議に出席しなきゃならなくなることがある。

打開策は見えず、出席者一同だまりこくったまま数時間。重苦しい雰囲気の中時間だけが過ぎていく。

そんなときケータイに電話がかかってきて「ちょっとすいません」とか言いながら会議室の外へ席をはずし、そのままなかなか戻ってこなかったりする人が出現しはじめる。

ひとりふたりとそうやってケータイを持って会議室から消えていく。この調子で全員消えてしまったら、会議室はさぞかし不思議な光景になるだろう。起動したままのノートパソコン。まだ温かいコーヒー、吸いかけのタバコ。


マリー・セレスト号の謎が解けたような気がした。


(総裁談)




2003/09/14  

テレビ番組で、ゲストの家族や親しい友人が登場して、ゲスト宛の手紙を読み上げる、というシーンをよく見かける。「いつもありがとう」とかいう内容で、最後は感動の涙だ。

しかし、本来手紙は「遠くにいるので直接言えない」あるいは「面と向かってはなかなか言えない」時のためにあるのではないかと思う。手紙は渡すか郵送するかして読んでもらえばいいのに。本人目の前にいるんだから、手紙なんか朗読してないで他のこと言いなさい。

企画会議の場で、企画書にかいてあることをそのまま一字一句読み上げる人がいるが、あれも同じようなものだと思う。企画書はいただいているので文面は読めますよ。本人目の前にいるんだから他のことを説明しろってば。

あるいは企画書の説明のあと、感動して涙を流せばよいのだろうか。そんな会議やだ。


(総裁談)




2003/09/13  

たまに田舎の方へ出かけて、野山でキノコが生えているのを見かけると必ず「これ、食べられるかなあ」という話題になる。

野山に生えている植物は数多くあるが、見つけられる度に食べることができるかどうかが取りざたされるものは、キノコ以外にはそうないのではないかと思う。

ところで以前の上司は初めての人と会ったあとは必ず「こことのつきあいはビジネスになりそうか」という話をする人だった。そのあまりの無節操な問いかけに対し、MBAを持っている先輩は、ビジネスとはそういうものではない、と一度ならず憤慨していた。

つまり、ぼくにとってMBAとキノコ博士は同じようなものなのです。


(総裁談)




2003/09/12  

電車の中で、3人の社会派サラリーマンが議論していた。ほろ酔い気分だったようだ。

議論の内容は多岐に渡っていた。最初は「同時多発テロから2年経って思うこと」という議題から始まり、その延長線上で論点は「自衛隊の海外派兵の是非」に移り、そして最後には「電車の中で化粧するのはどうか」という普段使いの議論にまでおよんでいた。

「自衛隊の海外派兵の是非」に関しては「憲法第9条の原理原則にとらわれず、派兵することが本当に意味があるのかということを今一度じっくり議論した方がよいのではないか」ということで意見の一致をみて、そのあとの議論に関しても「電車の中で化粧する女は許せない」で速やかに満場一致だった。

しかし、どうせなら最後の議題に関しても、その行為の是非の原理原則にとらわれず、化粧することが本当に意味のある顔かどうかを今一度じっくり議論して欲しかったと思う。


(総裁談)




2003/09/11  

一ヶ月遅れで夏が来た、などと言われるここのところの暑さだが、さすがに夜になると8月の暑さとは違う秋の香りをそこに感じる。帰宅する時間はすでにそういう時刻で、日中は冷房の効いたオフィスにいるので、その「一ヶ月遅れの夏」をなかなか感じることができない。

しかしそんな季節感のない生活を送る都市生活者達にも、独特の夏の感じ方があるように思う。

ぼくの場合は、駅の自動券売機のお釣りがでてくるところから吹き出している冷気がそれだ。それがぼくなりの夏の感じ方。今日もそれを味わった。夏は、まだ終わっていない。

中途半端に風情のあるもってまわった表現をしてみたが、要するに、あの冷気はなんなんだ、なんであんなところから吹き出して来るんだ、サービスか、と言いたいわけです。


(総裁談)




2003/09/10  

教育テレビの幼児向け番組では「歌のお兄さん」と「歌のお姉さん」そして「体操のお兄さん」と「体操のお姉さん」の2組フォーメーションが、それぞれの役割を果たし子ども達を楽しませることになっている。少なくともぼくが最後に幼児番組を見たときはそうだった。

ところがどうも最近の「体操のお兄さん」は歌もこなすらしい。しかもかなりの歌唱力を披露するのだとか。長年互いの領分は侵さないという暗黙の了解の元、バランスを保っていたはずの「お兄さん界」に異変が。

いうまでもなくこうなってしまっては「歌のお兄さん」の面目は丸つぶれだ。さらに「体操のお兄さん」側から歌方向への領土侵攻であり、その逆でないという事実が問題を根深いものにしている。

ぼくの経験から運動ができるということは、それだけでほかの欠点を全てちゃらにする力を持っており、その上でのさらなる領土拡大は犯罪行為だと言わざるを得ない。たとえ5教科全てにおいて秀でていても、いわんや歌ごときがうまくても、運動ができる川島君のモテぶりには敵わない(*1)。その上歌まで上手に歌っちゃう気か。おまえは充分モテるんだから、こっちくんな。

ぼくがここまでこの越権行為を問題視するのは、ぼく自身、音楽は得意だったが体育はからきしダメだったせいで、スクールライフにおいて辛酸をなめつづけたという個人的な体験によっている。社会人になり運動ができないことによる不利を実感することがなくなっていたが、後進の運動ができない同胞達のためにも、ここは声を大にして教育テレビに抗議したい。

さらにいえば、団地マニア界では総裁にまで登りつめた自分だが、キムタクあたりが急に団地マニア界に領土侵犯してこないよう、目を光らせたいと思う(*2)。おまえは充分モテるんだから、こっちくんな。


なお、お姉さんの方に関しては、領土侵犯はなんの問題もないです。というか、歌も体操もうまくなくても全然問題ないです。

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*1
興奮のあまり実名を持ち出してしまった。申し訳ない。

*2
そういう意味では、キムタクに領土侵犯されてしまったサーファーの男性諸君はさぞかし苦々しく思っていることだろうと思う。同情を禁じ得ない。ていうか、まさかサーファーにシンパシーを感じるときがくるとは思わなかったよ。

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(総裁談)




2003/09/09  

日本では、月ではうさぎが餅をついていることになっている。

月の模様がそういう絵柄に見えるとのことだが、どうやってみてもそんな風には見えない。こどものころから不思議でならなかった。

いったいいつの頃に誰が言い出してこういうことになったのか。

たぶん、うさぎ、というキャラクター選定マーケティングもさることながら「餅をついている」という唐突な状況設定が功を奏したのだと思われる。そもそもウサギが餅ついてるところなんて誰も見たことがないのだから、月にそれが見えると言ったところで、それを否定する理由などないわけだ。

「私にはそう見える」と言い張りたいときに活用できる「餅ソリューション」。ミイラ化した死体を「これは生きています。生きて餅をついています」と言うのもよし、「スカラー波が餅をついています」と言うもよし、「景気は回復基調で餅をついています」と言うもよし。

とりあえず、間に合いそうにない今週木曜日締め切り予定の提案書はこの「餅ソリューション」で切り抜けたいと思う。

奇しくもその日は中秋の名月ということだし。


(総裁談)




2003/09/05  

備長炭を代表とする炭の効能が広く知られるようになっている。空気の脱臭や水の浄化・ミネラル付加などは代表的な効果で、ポットや炊飯器に炭を入れている人も多いと聞く。さらに「癒し」を謳った炭商品もよく見られる。

「あるある大辞典」あたりなら「驚異の炭パワー」とでも呼びそうなこれらの効能の秘密は炭に存在するおびただしい量の微細な孔にあるらしい。

ところで、昨日またもやMicrosoft OfficeやWindowsに5種類のセキュリティ・ホールが見つかったそうだ。今回のものは最大深刻度「緊急」で、「細工が施されたOffice文書を開いただけで、パソコン上で任意のプログラムを実行させられる恐れがある」とのこと。

ここのところMicrosoft製品のセキュリティホールが無数に見つかっており、そのたびに説明される「任意のプログラムが実行」の意味がよく分からなかったが、ここまでセキュリティーホールがあると言うことは、そのプログラムとは空気の脱臭や水の浄化ではないかと思う。

Microsoftは「Windows Update」の実施を呼びかけているようだが、あえて無数の孔はそのままにしておいて、癒し効果に期待してはどうだろうか。


(総裁談)




2003/09/03  

どんなにイアン・ソープがつなぎの水着を着て世界記録を塗り替えてもかわらないのが、プールの監視員(男)の割れ目パンツルックだと思う。

お尻の割れ目をさらして堂々と歩く彼等をみると笛を吹いて注意してもいいような気もする。割れ目の見えるパンツにいかほどの意味があるのだろうか?
水の抵抗をなくすため小さいパンツをはいている説もある。それでも、同性の割れ目へ見たいわけでもないのに視線が向かってしうまうのが悔しくもあり、情けがない。

やりきれない思いを「割れ目」を「谷間」に置き換えることでバランスをとろうとしたことがあるが、そもそも「谷間」を持たない水泳部男子が「谷間」を求めて行き着いたのが「割れ目」だったのかもしれない。

あこがれへの創意工夫が仇となり互いの溝が深くなってしまった悲しい例なのだろうか。それでも割れ目は隠した方がある意味で抵抗は少なくなると思う。

(長野談)



2003/09/01  

アメリカのアーミテージ国防長官が、日本に対しイラク復興支援のための自衛隊派遣を強く要求したそうだ。なんでも「逃げるな」と言ったとか。

治安が悪化している現地の情勢により、派遣に対する慎重論が主流を占めつつあることに対しては、イラク復興支援活動は「お茶会ではない」と表現したともきいた。

復興支援は決して気楽な活動ではないことを表現したかったのだと思うが、そこに「お茶会」を持ち出してくるのはいかがなものだろうか。日本の「お茶会」をなめてはいないか。「千」を名乗れる跡取りは長男だけという厳格な家元制度。すべてのプロセスが細かく決められた作法にのっとって行われるお茶会。「気楽」の代名詞として使用するのは間違っている。

千利休が切腹をするにまで至った歴史を持つ日本の「お茶会」である。日本政府は、自衛隊の派遣をするかどうかはとりあえずおいておいて、誇りを持って、アーミテージ国防長官に「むしろイラク復興支援活動はお茶会だ」と言い返すべきだと思う。

(総裁談)




2003年8月のカモだより